ホテル最上階フロアの夜景を望む空間で、専属バトラーにドリンクを頼んだアヤセがソファーに腰を下ろし、
「まだ、そのスマホとやらに残されたメッセージは確認していないんだろう?」
「あ、えと……はい。……でも」
言葉を濁したのは、どう伝えるべきかを悩んだから。
本に残された文面を見る限り、伝えられない確率のほうがどうにも高い。
「……中佐。先ほどの中佐達が読めなかった文字は、この本を書いたミクさんがわざとそうしたものなんです」
「わざと?」
訝しむアヤセに、唯舞は必死に言葉を探す。
「ミクさんは、今後召喚される異界人にだけに伝えたい事があって……でもそれをこの世界の人には知られたくなくて。だから、封本にして、この世界の人には分からない文字で残したみたいなんです……」
「…………」
なんとか言葉にすれば少しだけ唯舞とアヤセの間に沈黙が流れる。
丁度そこへバトラーがドリンクを置いて場を去ったので、アヤセは置かれたワイン片手に軽く目を閉じた。
「分かった。だが、それはあくまで封本で、他にどんな仕掛けがあるか分からない。俺はここにいるから、確認はお前ひとりですればいい」
「……はい。ありがとうございます」
少しほっとした気持ちで唯舞はスマホの電源を入れ、パスワードを入力する。
(パスワードは元旦。……0101)
消えるようにロックが解除されれば、唯舞の髪型によく似た、黒髪黒目の少女がホーム画面に表示された。
(彼女が、ミクさん……)
ホームに残されているのはメールと写真のフォルダだけ。
メッセージが残されているだろうメールフォルダを確認すれば、下書きに、未来の誰かへというメールが残されており、それを開くと見慣れた日本語が飛び込んでくる。
"まずは辿りついてくれてありがとう。改めて、
その名前を見た瞬間、どうにも胸が堪えられなくなる。
この世界にも、いたのだ。
自分以外にも召喚されて連れてこられた日本人が、確かにいたのだ。
"ローマ字で読みにくくてごめんなさい。でも日本語は何故かこっちの言葉になっちゃうから。ローマ字なら訳されないって偶然気付いた私は、ほんとラッキーだったと思うの"
(……うん、私もあなたの本を見るまで気付けなかった)
感情が追い付かないのに、震える指は下へ下へとスクロールしていく。
"私も、これを読んでくれているあなたも、きっとリドミンゲル皇国という国に聖女召喚されたと思う。でも、この本を読んでいるあなたなら……多分、リドミンゲル皇国以外の場所にたどり着けていると思うんだ。だからお願い。そのままリドミンゲルには近づかないで。絶対に、絶対にいかないでね"
唯舞の状況を言い当てるような文面に何故か不穏さが滲み、"絶対”と強く書き連ねられたその言葉に、心臓の鼓動が早まる。
そして、それを肯定するような次の一文が、それを裏付けた。
"リドミンゲル皇国は……あなたを殺す気なの"
「――
「……ッ」
両肩を痛いくらい掴まれて、唯舞は咄嗟に手にしたスマホを自身の胸に押し当てる。
見開いた瞳がアヤセと交わり、動揺するように瞳が揺れた。
「俺の声が聞こえるな? ……落ち着いて呼吸しろ」
「……っ、は……」
どうにか息を吐いた唯舞を見て、アヤセは掴んでいた手を放すと唯舞の胸元にあるスマホに視線を向ける。
(こういう時、リアムやエドヴァルトならどうする……?)
震える唯舞に、アヤセはもう一度手を伸ばすことができずにいた。
こういう時、リアムなら必要な言葉を、エドヴァルトなら迷わず抱きしめるのかもしれない。
だが、今のアヤセには――
感情を堪える唯舞を見つめ、アヤセは拳を握りしめる。
唯舞が自分に何も期待していないことなど、とうに分かりきっているのに。
でもそう考えるだけで胸の奥がざわつき、どうしようもなく、苛立ちが残った。
「……すみません。もう、大丈夫です」
深呼吸した唯舞を見て、アヤセは黙ってそばを離れる。
ゆっくりと再度スマホを見直しても、深紅からの警告は変わらない。
唯舞は胸騒ぎを押し殺しながらも、ゆっくりと残りのメッセージを読み進めた。
"時間がないから要点だけ。地球から喚ばれた私達の、この世界での役割だけは知ってて欲しいの"
(役、割)
たった一人で、国一つを栄えさせるほどの力を持つという異界人。
でも、何の変哲もない自分に一体どんな役割があるのだというのだろう。
"私達はね、
(……?)
だが、その先に残された深紅からのメッセージは、この世界の人間さえ知らぬ、恐るべき真実だった。