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第49話 そばにいて


 大きく息をつけば、思っていた以上に強張っていた肩の力が抜ける。

 深紅みくの残したメッセージに地球への帰還の手がかりはなかったが、それでも唯舞いぶが何故この世界に召喚されたのかは理解できわかった。


 ただ、のこされたメールを読むという作業に恐ろしく体力を消耗しているだけで。

 唯舞はもう一度深く呼吸を吐き出してから、スマホをアヤセに差し出す。



 「これは……大佐、ですよね?」



 唯舞からスマホを受け取ったアヤセは、そこに写る年若い自身の上司の姿に眉を寄せつつ、あぁ、と肯定の返事を返した。

 初めてエドヴァルトに会った時はこんな顔だったと何となく思い出しつつ、その隣にいる、この世界では珍しい黒髪の少女に視線がいく。



 「隣にいるのが、この封本を作った逢沢深紅さんです。先ほど大公閣下が仰っていた通り、大佐と深紅さんはリドミンゲル皇国で出会っていたみたいで……」

 「……何故だ?」

 「大佐はリドミンゲル皇国に潜入調査をしていたみたいです。深紅さんが18歳で大佐が2歳上って書いてあったので、20歳くらいの時だとは思うんですが」



 エドヴァルト達とアヤセは六学年離れているから士官学校の在学期間が被っていたのは実は一年ほどしかない。

 士官学校を卒業した士官候補生はすぐに軍属配備されるのでアヤセも詳細を知ることはなかったが、まさか新人に敵国の潜入捜査をやらせていたとは思いもしなかった。

 普通ならあり得ないことだが、まぁ普通じゃない連中だったからあり得ない話でもないが。


 考え込むアヤセを見ながら唯舞はどこまで話したらいいのか悩む。

 これはあのアーサーさえも語る事をしなかった、当時の抹消されたという記録の一部にあたるはずだ。



 「――元の世界への帰還方法は、分かりませんでした」

 「……そうか」

 「でも、私がこの世界に召喚された理由は……分かりました」



 どう言えば正解なのだろうとスマホをぎゅっと握りしめる。

 自分の判断で、一体どこまでアヤセに伝えていいのか唯舞には分からない。

 そんな唯舞を見つめて、アヤセは静かに問うた。



 「それは、俺に言える理由か?」

 「……すみません。私じゃ、判断ができなくて」



 唯舞がこの世界に来てから、事情を知っているはずのエドヴァルトは何ひとつ唯舞に語らなかった。

 きっと、何ひとつ知らなくていいと本気で思っているんだろう。


 彼は彼なりのやり方で唯舞を護ろうとしてくれていることが痛いほどわかったから、何も知らないアヤセにどこまで話していいのか分からない。

 話してしまったら、きっと世界のいざこざに巻き込んでしまうから。


 そんな唯舞をしばらく見ていたアヤセがふっと目線を下げる。



 「分かった。リドミンゲル皇国が執拗にお前を追う理由も分かったんだな?」

 「…………はい」

 「エドヴァルトは、知っているのか? その理由を」

 「…………は、い……」



 苦しげに吐き出した言葉は上手く音になっていただろうか。

 深紅はエドヴァルトから聞いたと言っていた。他の二人、と綴られていたからエドヴァルト以外にも知る人がいるのかもしれないけれど。


 ぐるぐると頭と胸の内が言いようのない感情で埋め尽くされる。

 涙の乾いた頬が引き攣るように痛くて、今の自分はきっと、とてつもなく酷い顔をしているんだろうなと思った。


 頭の中がまとまらなくて、でも吐き出せなくて。

 どうしようもなくなった唯舞は、部屋に戻りますとアヤセの顔も見ずに足早に立ち上がる。



 「唯舞」



 パシッと唯舞の手首をアヤセが掴んだ。

 何かを必死に耐えるように唯舞の体は小刻みに震え、赤くなった瞳が不安定に揺れる。



 「…………今、俺が出来ることは?」

 「……ッ」



 みるみるうちに唯舞の瞳に涙の膜が張り、握った手に力が入る。今の状態の唯舞をひとりきりにすることなど、アヤセには到底できなかった。


 堪えるように唯舞の唇は震えながらも強く結ばれ、こんな時になってミーアが言う、"世界一分かりやすい女の扱い方と女心"とやらが必要になるとは露ほども思わず、アヤセは静かに唯舞の言葉を待つ。



 「…………そば、に……いてくれますか……?」



 俯いた唯舞が、震える小さな声で呟いた。

 アヤセが掴んでいた手をゆっくりと引けば、倒れ込むように唯舞の頭がアヤセの肩口に預けられ、そっと片手で唯舞の頭を抱きしめたアヤセはその髪に顔を寄せる。



 「あぁ……ここにいる」



 この旅で何度か唯舞に触れる機会はあったのだが、この時になって初めて、アヤセは唯舞の小ささを知ったような気がした。



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