翌日の朝、二人は当初の予定より三日早くザールムガンド帝国に帰国した。
行きと同じく、帰りも最高級のVIP待遇にわなわなと震える
じとりと睨みつけた唯舞に堪えた様子もなく、じきに慣れる、と以前口にした全く同じ台詞を唯舞の頭に軽く触れながらアヤセは返した。
あちらを出たのはまだ朝と言ってもいい時間帯だったのに、夕食まで済ませて帰ればすっかり空は宵闇に包まれて見慣れた宿舎には明かりが灯っている。
玄関ドアを開ければ、ソファーに寝そべるエドヴァルトの姿が目に飛び込んできた。
「おっかえり~アヤちゃん、唯舞ちゃん」
「ただ今戻りました」
「今回は大変だったね。唯舞ちゃん、大丈夫?」
よいせと立ち上がったエドヴァルトがパチンと指を鳴らせばアヤセと唯舞の髪色が元に戻る。
存外色変えした髪色にも慣れていたが、やはり元の色の方がなんだか落ち着いて唯舞は戻った自身の薄紫色の髪に触れた。
「大丈夫です。中佐がいたので」
「そっか。でも怖かったよねぇー……あーもう、やっぱり俺が行けば良かったー」
よしよしと唯舞の頭を撫でてくるエドヴァルトはいつもと変わらないけれど、それでも、唯舞はもう知ってしまった。
今までだったら特に何も思わず享受していた……彼の優しさの、本当の意味を。
それを見ていたアヤセが少しだけ不機嫌そうにエドヴァルトに紙袋を押し付ける。
「ほら、土産だ」
「ちょ! ……ってうそ、お土産!? アヤちゃんが?! え、俺に?!」
「別にお前だけじゃない。リアムに元々頼まれてたやつだ」
「えぇー?! 何それ27歳にしてすごい成長じゃん~」
「……死にたいのか?」
本気で驚くエドヴァルトに若干の殺意は湧くが、唯舞がいつもの見守りスタイルに入って微笑んでいるのでアヤセはふぅと怒りを引っ込めた。その代わりに、今回はどうしても聞かねばならないことがあるのだ。
「…………エドヴァルト」
「ん? なに?」
紙袋の中身をいそいそと確認するエドヴァルトにアヤセは端的に尋ねる。
「何故、唯舞が内部でさらわれたことを黙っていた?」
「…………。やーっと、唯舞ちゃんを名前で呼べるようになったんだね。やっぱりアヤちゃん成長してるよ」
数拍の後にエドヴァルトは困ったような笑みを浮かべた。誤魔化すな、というアヤセの厳しい声が部屋に響く。
「共有すれば済むだけの話だろう。何故、使い魔達に口止めしてまで黙っていた?」
「そりゃ、心配かけたくないからだよ。唯舞ちゃんもその時の記憶はなかったみたいだしね。わざわざ怖い思いをさせなくてもいいでしょ」
「また起こったらどうする」
「
言い切るエドヴァルトの瞳は笑っていなかった。それを見て、まただ、とアヤセは思う。
この男は時々、深淵を見るかのようなそんな目をするのだ。
仄暗く、闇夜に侵された冷ややかな目を。
「そこまでしてお前が唯舞を守るのは、前の異界人……
「ッ!」
唯舞の目では捉えられない、瞬きも許されない刹那の出来事だった。
エドヴァルトの目に一瞬で殺気が宿り、アヤセの胸倉を捻り上げるように玄関ドアに激しく叩き付ける。
「――どこでその名前を知った?」
「ッ……は、図星か」
背中を激しく打ちつけて挑発的に歪んだアヤセの表情に、唯舞がハッとしてエドヴァルトに駆け寄る。
「待って下さい大佐! 違うの! これ……!」
唯舞がエドヴァルトに見せたのはバッグに忍ばせていた深紅のスマホだ。
独特のピンク色のそれをちらりと確認したエドヴァルトの瞳がみるみるうちに見開かれ、手から力が抜けていく。
「それ、は……」
「深紅さんの……深紅さんのスマホです! レヂ公国の古本市で見つけて……! 大佐も、大佐も深紅さんと一緒に封本を作って下さったんでしょう?」
震える声に何故かまた涙が溢れてきてしまう。
耐えるように体中に力を込めても大粒の涙が唯舞の目からはらりはらりとこぼれ落ちていく。
「スマホに、深紅さんから私の……次の異界人宛のメッセージが残っていて。私が何故召喚されたのかを知りました」
「…………」
「でも、それをどこまで話したらいいのかは分からなくて、中佐には何も伝えていません……っ」
「………………そう」
先ほどまでの勢いが嘘のようにエドヴァルトから力が抜けていく。唯舞の涙も止まらなかった。
ずるりと脱力したエドヴァルトの手が唯舞の頬に触れ申し訳なさそうに力なく笑む。
「ごめんね」
「……なんで大佐が謝るんですか……っ! 大佐だって……大佐だっ、て」
深紅を
聖女は全員地に還っているというのなら、もうこの世に深紅はいないのに。
エドヴァルトは苦し気な表情のまま、今度ちゃんと話すよ、と残し玄関ドアを開ける。
その背中に、アヤセは一言尋ねた。
「お前にとっての逢沢深紅は何なんだ?」
その問いに数秒止まったエドヴァルトは静かに振り向き、今にも泣きそうな顔で笑う。
「彼女は俺の、大切な子だよ」