とある夜会にて、男爵令息ルカ・デジデリオは相も変わらず『壁の染み』だった。こういった場においては、貴族間の新たな繋がりを作ったり腹の探り合いをしたりなどと様々な目的が飛び交うが、ルカの一番の目的は『婿入り先を探すこと』だった。
「はあ……」
思わず溜息が零れる。
黒髪に琥珀色の瞳と地味な色合いに、造りも極々平凡。
在学中に見つけられれば良かったのだが、生来の人見知りが災いし異性に声などかけられずに終わり、見かねた両親が話を持ってきて実際会うまでにこぎつけても、免疫がないため舌が引きつってまともに話すことが出来ず。よって、お断りされた回数はもう数えるのも疲れた。
(早く見つけないと……兄上の領地経営の手伝いを続けるのも限界があるし……)
兄であるアレンからは『助かるよ』というありがたい言葉をもらっているが、彼には既に婚約者がいて結婚を間近に控えている。そうなれば自分は本格的に邪魔者でしかない。
(見つける、なんて上から目線でいるから駄目なのかもな。……いやいやそれ以前の問題か)
容姿も能力も平凡かつ男爵などという低い身分の子息を貰ってくれる奇特な令嬢などいる筈もないか、とどよどよと思考をマイナス方向に走らせていると。
「よう、ルカ」
はっと我に返ると、友人であるクライス・ベルヴァルトが片手を上げていた。
金色の髪に翠色の瞳。さらに端正な顔立ちの彼は、学生時代から令嬢たちの人気を一心に集めていたものだ。それは今でも変わることなく、会場内の令嬢たちの視線がこちらに向けられたのを感じる。その中に「何故あのような冴えない男がクライス様と一緒にいるの?」などという蔑みの視線が混じっているのも分かっていたが、ルカはもう慣れていた。
「クライス令息におかれましてはご機嫌麗しく」
片手を胸に当てて礼をしてみせれば、クライスは困ったように笑った。
「止めてくれよ、そんなに堅苦しい場所でもないだろう?」
ベルヴァルト家は伯爵位を賜っている。身分差があるのに気安い口をきいても許されるのは、何かと気が合ったのとクライスが許してくれたからに他ならない。それを利用されて、令嬢たちから手紙の橋渡しをしたのは両手で数えきれない程だ。
閑話休題。
「元気がないな」
「まあ……。婿入り先を見つけないといけないから」
「そんなに焦らなくてもいいだろう? 俺の可愛い姪を紹介してやろうか?」
「ハンナ嬢はまだ3歳だろう?」
そんな軽口を叩き合っていると、会場が少しばかり騒がしくなった。
反射的にその方向に顔を向けたルカは、自然と目を見開く。
雪のように白い肌に切れ長の赤い瞳。その恐ろしい程に整った美貌は、まだ歳のいかない童女にも妖艶な熟女にも魅せている。きらきらと煌めく真っすぐな白銀の髪から覗くのは、黒い2本の角。
「竜族の人だ」
「ああ、珍しいな」
竜族が住まう島国『嶺煌』。高い身体能力と優秀な頭脳を持つ彼らは独自の文化を創り上げ、世界有数の強大な力を持つ国として名を馳せている。此処サリオン国とは近い位置にあるためか、他国より比較的良い関係を築いている。あくまで比較的に。
ここまで案内してきたこの夜会の開催者であるモワナール伯爵が少女に頭を下げている。取引上の知り合いなのだろうか。
少女が手を前にして許可を出し、彼の顔を上げさせた。そして一つ頷いてみせ……何気なく顔をこちらに向けたのだろう、なんとばっちり目が合ってしまった。
(まずい!)
ルカは慌てて目を逸らす。
じろじろと不躾だっただろうか、不快に思われてなければいいけれど、と内心で冷や汗を拭っていると。
「おい……あの人、こっち来るぞ」
「え?」
クライスに言われて少し顔を向けてみれば、確かに竜族の少女がこちらに向かってきていた。
「……クライス目当てだろう?」
いつものことだとルカは返す。
「いや、止めろよ。俺に留学中の婚約者がいるの知ってるだろう?」
「それを伝えて穏便に離れて貰えば良い」
「いやいや、一緒にいてくれよ。さすがに竜族の方を一人で」
などと言い合っている内に、少女はすぐ近くで立ち止まった。この距離は明らかに用事がある、と2人の間に緊張が走る。
少女が静かに口を開いた。
「……そちらの黒髪の君」
黒髪……と反芻し、ルカは目を驚きで見開く。
「わ、わたし、でしょうか?」
少しどもったが何とかそれだけを言えた。すると少女の頬が少し赤くなる。
「いきなり声をかけて申し訳ない。わらわの名はリンファ・ルォシー」
優雅な礼と共に自己紹介をされ、ルカもまた口を開いた。
「わ、私はデジデリオ男爵家子息、ルカと申します」
自己紹介でどもってしまうのが情けない。眼の前にいるのが絶世の美少女なら尚更だ。
だが少女……リンファは気を悪くした風もなく、口を開いた。
「その……今から言うことは、そなたを酷く驚かせてしまうことになる。しかし、言わねばならぬのだ……!」
リンファの顔はもう可哀想なくらいに真っ赤に染まっている。心なしか身体も震えているようだ。
初対面の女性にこんな顔をさせてしまうなんて、一体何をやらかしてしまったんだろう、とルカは不安で心臓が高鳴るのを感じた。ただ目が合っただけ……いや、竜族の間では失礼にあたるのだろうか……と色々と考えたが、まずはリンファを落ち着かせる方が先だと思い直す。
「ゆ、ゆっくり、話してください。私は、その、大丈夫ですから」
ぎこちなく微笑みながら、何とかそれだけを口にすれば、リンファは安心したのか少しだけ微笑んだ。
(うわ、かわいい……!)
先程とは別の意味で、心臓がどきりとする。クライスは二人の動向を見守ることにしたようで、無言のままだ。
そしてリンファが意を決したらしく、口を開いた。
「ルカ・デジデリオ殿」
「そなたがわらわの『運命の番』じゃ」
……
その言葉を理解するまでに、少々の時間を要した。
「は、はいぃ!?」
ルカの口から、素っ頓狂な声が零れる。それにリンファは、悲し気に瞳を伏せた。
「先ほど目が合った瞬間、分かったのじゃ。いきなりこのようなことを言われて驚くのも無理はない。しかし、本能には抗えぬゆえ口に出さずにはいられなかった」
「はい……」
「話には聞いておったが、このような気持ちになったのは初めてじゃ」
「はい……」
「わらわの我儘だと分かっておる。どうか、そなたを知る機会を与えてくれぬか……?」
赤い瞳が、不安そうに見上げてくる。
ルビーのようにきらきらと光って、吸い込まれそうだ。
(う、運命の番って竜族の人たちに伝わるっていうあれだよな? そんなものに私が? こんなに可愛くて綺麗な人と? いやいやあり得ないって、でも竜族の人がそう感じるんだから間違いないんだよな。いや、でも、本当に? やっぱり何かの間違いじゃなくて?)
混乱してぐるぐると考えていると、リンファの瞳にじわりと透明なものが滲んだのが分かった。
(あ、まずい! 女性を泣かせるなんて、紳士失格だ! でも、いきなりそんなこと言われても、お互いによく知らないし、こういうのってもっと段階を踏んでからの方が良いと思うし運命とか壮大過ぎるし)
と、色々考えた結果。
「ま、まずはお友達から始めてください」
うわあ言っちゃったよ、と言った瞬間後悔した。
しかし。
「本当か? ……嬉しい」
ふわり、と花が綻ぶように、嬉しそうに微笑まれて。
「……っ!」
ルカの顔に、ぼふりと熱が集まった。