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第2話

 その後どう言葉を交わしたのか、どうやって帰って来たのかも覚えていない。

 気付いたら湯浴みと着替えを済ませ、自室の机にて分厚い書物を広げていた。

 ああでも、途中出迎えてくれた兄に「運命って何でしょうか?」と自分でもよく分からない質問をして困惑させたのはかろうじて覚えているが、それはともかく。

「運命の番……」

 本好きな両親のおかげで書物には不自由しない。だから該当する書物も所持していたのは幸いだと言うべきか。

 それによると。

「その種族特有の本能が働くことにより、その相手を愛したいという欲求に抗えなくなる……番うことが出来れば、強大な力を得て、さらなる繁栄が約束される。しかし見つかることは稀であり、多くは見つかることなくその生涯を終える」

 だからこそ『運命』か、とルカは溜息を吐く。

 ちなみに『番』という認識のようなものがあるのは、竜族だけではなく獣人族もだが……それはまあ置いておいて。

(つまりあの方が私をそのように認識したのは、あくまで『本能』によるもので……まあ、そうでなかったら、わざわざ声をかけてきたりしないよな……)

 分かってはいたが何だか空しい。

 ルカはベッドへごろりと身体を横たえた。

(それに、『運命の番』が引き起こした悲劇もある……)

 かつて『運命の番』認定した相手を合意なく浚い、監禁して飼い殺しにした、という痛ましい事件が多発。それにより竜族への批判が集中し、新たな法律が制定されたのはつい最近のことだ。要約すれば、「相手の合意なく『運命の番』認定してはいけませんよ。もし誘拐監禁したらもちろん罰則ですからねー最悪死刑ですよー竜族だろうが獣人族だろうが種族関係ないからねー」というものだ。

(あの方はそれを承知なんだろうか……まあ声をかけられただけだし……)



『そなたを知る機会を与えてくれぬか……?』



 あの時リンファが紡ぎ出した言葉を思い返し、また顔が熱くなった。

(そうだ。まず段階を踏もうとしてくれたんだ。……私なんかのことを、知りたいと仰ってくれた)

 だから自分はあんな事を言って……。

「……っ!」

 自分の言葉に嬉しそうに微笑んだリンファの顔をまざまざと思い出し、ルカの顔はさらに熱くなった。




 翌日。

 なんだか妙にすっきりと目が覚めたルカは、いつものように身支度を整えた。

 昨日のことが気にならない訳ではないが、あれはもしや夢だったのかもしれないと思ってしまう。

(あり得ないよな、あんなに可愛くて綺麗な方が私に興味なんて)

 そう結論付けて朝食をとり終え、またいつものように自分に割り当てられている執務室へと向かい作業をこなしていると。

 コンコンッ!

 妙に早急なノックに違和感を覚えつつ「どうぞ」と答えると、すぐにドアが開かれた。

「ルカ!」

 兄であるアレンが焦ったような顔で中に入って来る。

 何か急ぎの書類があっただろうか、と思いながら声をかけた。

「どうされました? 書類ならまだ」

「いや、お前に来客だ」

「え?」

 告げられた用件に、ルカはきょとん、と目を見開く。

 前触れもなしに? しかも交友関係が少ない自分に?

 真っ先に思い浮かんだのは友人であるクライスだが、彼はアレンとも顔見知りだ。だからこんなに焦る理由が無い。

「書類など後で良い。早く客間に向かってくれ」

「え? あ、は、はい」

 結局誰かも教えて貰えずに廊下へと押し出されてしまった。

 内心で首を傾げながらも足早に歩き、客間へと向かう。

「失礼します。お待たせし」

 入った瞬間、ルカはぎしり、と固まった。

 何故なら。

「デジデリオ殿。突然の訪問、誠に申し訳ない」

 ソファから立ち上がり、優雅に礼を披露したのはリンファだったからだ。

(えっ? 何故ここに!? というか昨日のは夢じゃなかった!?)

 パニックに陥っていると、リンファが不思議そうな顔をした。

「デジデリオ殿……?」

 あ、まずい! 何か言わないと!

 とますますパニックになっていると、リンファの向かい側に座っていたクライスが立ち上がって、「落ち着け」と肩を叩いてくれた。

「あ、クライス。その……」

「あの後、パニックになり過ぎて会話にならなかったから先に帰したんだよ。それで、友人である私がこうしてご案内して差し上げたって訳さ」

「あ、あの、だからって」

「……やはり、迷惑であったか?」

 悲しげに視線を落とすリンファ。

「い、いえ! めめめめっそうもございません!!」

 物凄くどもったが、ルカは何とかそれだけを答えた。それにリンファは、少しだけ安堵したような表情を浮かべる。

 そんな顔も可愛い、と思わず見とれていると。

「では、後は2人で。邪魔者は失礼いたしますね」

 待ってくれ! と叫びたかったが、ルカは何とか口を噤んだ。リンファは自分に会いに来てくれたのに、その席に友人が一緒にいるとかどう考えてもおかしいと気付いたからだ。

「では、私も下がらせていただきます。何かあればお呼びくださいませ」

 リンファの従者であろう女性もまた頭を下げ、その場を後にしていく。

 扉が音もなく静かに閉められたのを見届け、ルカは改めてリンファに向き直った。

「……お、お座りください」

「ああ」

 リンファは頷いてソファへと座った。ルカはテーブルに置いてあったポットを手にし、2つのカップに紅茶を静かに注ぎ入れる。

(このジャムは……)

 瓶を手に少し躊躇ったが、ええいままよ、とばかりに蓋を開けてスプーンに掬い取りカップの傍に添えた。

「どう、ぞ」

 ぎこちなくも静かに前に置けば、リンファは「感謝する」と微笑んでくれた。そして。

「昨日は突然あのような言葉を口にしてしまい、混乱させて申し訳なかった。改めて、心からお詫びする」

「い、いえ、だ、だいじょうぶ、です」

 深々と頭を下げられ、ルカは首を横に少しだけ振ってみせた。

 頭を上げたリンファの表情は、まだ晴れないままだ。

「我が竜族に伝わる『運命の番』については、知っておられるか?」

「大体は……」

 そう答えると、リンファは「そうか」とその赤い瞳を伏せる。

「では、それが引き起こした悲劇も……」

「ええ、存じております」

 これも正直に答えると、リンファの肩が僅かに震えたのが分かった。

「ですが」

 ルカは言葉を続ける。

「ルォシー様はそのような悲劇を起こすことはせず、段階を踏んでくれました。そのお気持ちが、その……上手く言えないんですが、うれしい、と思います」

 飾り気もなにもないが、それが素直な気持ち。

「……ならば、良かった」

 リンファは少しだけだが、安堵したように微笑む。ルカは、どき、と高鳴る心臓を必死で抑えようとした。

「わらわの家は……『伯』と呼ばれる身分にある。このサリオン国で言われておる『伯爵』と同意じゃ」

 気が解れたのか、リンファはぽつりぽつりと自分のことを話し出した。

「あの夜会の主催者であるモワナール伯爵とは祖父の代からの付き合いで、いずれ家を継ぐわらわが招かれたのじゃが……まさかそなたに出逢うとはな」

「……がっかりしましたか?」

 そんな言葉がつい、口をついてしまった。赤い瞳が、少し見開かれる。

「がっかり、とは?」

「そ、その……私は男爵の次男という身分ですし、顔も能力も平凡そのもので……」

「そのように自身を卑下するのは感心せぬな」

 びしりと言われ、ルカの喉がひゅ、と鳴った。

「自身の価値を下げる行動は慎んだ方が良い。吐き出した言葉は必ず自身に返ってくるものよ」

「は、はい。肝に銘じます」

 厳しい目線と口調でそう言われ、ルカはそう答えるしかなかった。

「それに」

 リンファは少し視線を逸らした。

「……がっかりしたなら、そもそも声などかけたりせぬ。例え『本能』が疼いたとしても」

 白い頬がほんのりと赤く染まっているのを認めたルカの頬も、また熱を持つ。

「そ、そう、ですか……」

 そう答えるのが精いっぱいだった。

 どこを見て良いのか分からずうろうろと視線を彷徨わせ……口を開く。

「あ、あの、紅茶……良かったらどうぞ」

「あ、ああ、そうじゃな」

 勧められてリンファもまた気を取り直したらしく、頷いた。 

 そして、添えられたジャムに目を止めたらしく、こう尋ねてくる。

「このジャムは……?」

「オレンジのジャムです。甘いものが苦手でなければ、紅茶に入れてみてください」

 そう促してみれば、リンファは「そうさせてもらおう」とスプーンを紅茶に入れて掻き混ぜた。その手付きすら優雅で思わず見惚れてしまいそうになる。

 そしてカップを傾け……。

「……美味じゃ」

 ほう、と息を吐いて言われた感想に、ルカはほっと安堵した。

「紅茶も良いが、このジャムは格別じゃな。オレンジの爽やかさと本来の甘さが損なわれておらぬ」

「ふえっ」

「……どうした? 妙な声を出して」

 不思議そうな顔をするリンファ。ルカはあわあわと慌てつつも、何とか答えた。

「そ、そのジャムは、わ、私が作ったものです……」

「なんと……!」

 赤い瞳が大きく見開かれる。

「母がオレンジが好きだったので、庭に植えてあるんです。結構沢山採れるので、生で消費できない分はこうしてジャムに加工して……」

「ほう。そのジャムの作り方は誰に?」

「母に教えてもらいました。でも、母より美味しいものは作れないですね」

 ジャムを一緒に作った時の光景を思い返し、つきん、と胸が痛む。記憶の中の母は笑顔だった筈なのだが、そこだけもやがかかったようになって思い出せない。

 亡くなってからそんなに年数は経っていないのに、薄情だろうか。

「そうか……」

 寂しそうな顔をするルカに気付いたのだろう。

 しかしリンファは追求しようとはせず、カップに口を付けた。紅茶の風味とコク、そしてオレンジの爽やかな香りが鼻を抜け、優しい甘みが口腔内を楽しませる。

「ああ……優しい味がするな。おいしい」

 心からの賛辞に、琥珀の瞳が見開かれた。

 そして。

「ありがとうございます」

 ルカは微笑んで礼を言った。

 それにつられるかのように、リンファも笑みを浮かべる。その目元が少し赤くなっているのは、気のせいだろうか。

「良かったら、庭を観に行きませんか? まだ収穫しきれていない分もありますし」

 リンファは静かにカップを置いて、微笑んだ。

「ああ。喜んで受けようぞ」

 嬉しそうな声音にも胸が高鳴ってしまうのだから、これはもう……とルカは胸を押さえつつ思うのだった。



 エスコートをするのは初めてでぎこちなくなってしまったが、リンファは嫌な顔一つしなかった。

 それに安堵しながら、整えられた庭を歩いていく。緑で調和されたそこは、やはり母の意向だ。兄の婚約者が嫁いできたら、違う色に塗り替えられるのだろうか。それは仕方ないが、せめてオレンジの木は残して欲しい、と思いながら足を進めていけばすぐに辿り着く。

「ここです」

「ほう、これは見事な」

 3本のオレンジの木には、熟した実が鈴なりに生っていた。オレンジと青い空のコントラストは、何だか目に眩しい。

「良い香りがするな」

「ええ、爽やかな香りですよね。……良かったら、採ってみますか?」

 と、自然に言葉が滑り落ちたが、ハッと気が付く。伯爵家の娘がするようなことではない、と。

 不敬にも程があるだろう、と慌てて言い直すべく口を開きかけたが。

「そのようなことをするのは初めてじゃ。……良いのか?」

「は、はい! え、ええっと、は、はさみ、鋏と籠がここに……」

 あわあわと慌てながら用意するルカに、リンファはくすりと口元を緩めた。

「こ、こちらが鋏です。これ、踏み台にしてもらって……」

「うむ」

 ルカの手を借りて頑丈な木の箱に乗る。オレンジとの距離が近くなって、爽やかな香りが強くなった。

「どれを採れば良いだろうか?」

「その辺りならどれでも大丈夫ですよ」

 言われた通り、リンファは手頃なオレンジを手に取り、鋏を構える。

 パチンッ

 小気味良い音と共に、ずしり、とオレンジの重みが手に伝わった。

「おお、採れたぞ!」

「こちらの籠に」

 と、ルカが言いかけた、瞬間。

 バササッ!

 鳥の羽ばたく音が響き、木々が揺れた。それに驚いたのか、リンファの身体が大きくバランスを崩す。

「あ……!」

 ルカは籠を投げ捨て、咄嗟にリンファの手を取り引き寄せた。

「あっ!?」

 リンファの悲鳴が小さく聞こえる。

 我に返って離そうとした、が。

「あたっ!?」

 ぼと、ぼと、と無数のオレンジが降ってきた。頭に鈍い痛みを感じたが、リンファを同じ目に合わせる訳にはいかない。ルカは必死にリンファを庇おうと、手に力を込めた。

「……」

 やがてオレンジの襲撃が止み、ルカはそっと頭を上げた。どうやら落ちきったようで、そこには緑の葉があるだけだ。

「ルォシー様、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、わらわは大丈夫じゃ。それよりも、デジデリオ殿は……」

 心配そうに見上げて来るリンファに、ルカはにこっと笑ってみせる。

「このくらい平気ですよ、慣れていますから」

 赤い瞳が見開かれ、そして恥ずかしそうに狭められる。

「そ、そうか……。そ、そろそろ離してくれぬか?」

 その言葉に我に返ったルカは、慌ててリンファから手を離した。

「も、申し訳ありません! き、気安く女性の身体に触れるなど」

「謝らなくても良い。そ、それに」


「わらわを、守ってくれたのであろう?」


「そ、そうです」

 差し出がましい真似をしてしまっただろうか、と不安に思っていると。

「感謝する……いや」


「ありがとう」


 その微笑みは酷く穏やかで、暖かいもので。

「は、はい……どういたし、まして」

 ルカは顔が熱くなるのを感じながら、それだけを返すので精一杯だった。

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