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新千歳空港に降り立った瞬間、胸の奥に冷たい風が吹き抜けた気がした。
季節は初夏。だが、東京とは違う、北海道の空気はひんやりとしていて、何もかもが少し遠くに感じられた。
「なるべく、知らない土地へ。」
そう思って選んだ行き先だった。旅の計画もない。ただ、足の向くままに。
札幌を経由して、美瑛という町にたどり着いたのは、偶然だった。
丘の上から見渡す風景は、絵のようだった。
青い空と、緑の丘陵。ラベンダーの紫、ポピーの赤、菜の花の黄色。
色とりどりの花々が、風に揺れていた。
思わず、立ち止まる。
そして次の瞬間、隼人ははっとする。
──この景色、
不意に浮かんだその思いに、胸がぎゅっと締めつけられた。
忘れるための旅なのに。どうして、いま、真っ先に彼女のことを思い浮かべてしまうのだろう。
「やめよう」と、隼人は小さくつぶやく。
彼女のことを思い出すのはやめよう。
今は、自分のための旅なのだから。
だが、その足取りはどこか迷いを帯びていた。
宿に戻り、ノートを広げる。白紙のページに、ペンが止まったまま動かない。
ただ、風景の記憶だけが胸に残る。
その夜、隼人は夢を見た。
花の丘を歩く美月の後ろ姿。風に揺れるワンピース、振り返りながら笑う顔。
それは、過去の記憶ではなかった。隼人の想像だった。
彼女と、もしもこの場所に来ていたら──という、叶わなかった未来。
目が覚めると、胸の奥がしんと痛んだ。
「忘れたい」のではなく、「見せたかった」。
美しいものに触れるたびに、彼女を思い出す。いや、思い出してしまう。
そのことに、隼人はまだ気づかない。
この旅が、忘れる旅ではなく、彼女を知り直す旅へと変わりはじめていることを。