──竹林の光のなかで
京都に着いたのは、美瑛を発ってから三日後だった。
列車の窓から見える景色は、時間とともに色を変え、隼人の心もまた、少しずつ、変化の波に揺れていた。
有名な観光地には背を向けるように、彼は嵯峨野の竹林へと足を向けた。
朝の竹林は、まだ人も少なく、静かに風の音だけが耳に届いていた。
竹の葉がさやさやと揺れるたび、光がちらちらと降ってくる。
まるで緑のシャワーだ、と隼人は思った。
ふと、脳裏に浮かんだ光景があった。
──白地に藍色の花模様が入った浴衣、美月の長い黒髪が風に揺れる。
その姿が、この光の道に、まるで本当に存在するかのように立っていた。
「……まただ。」
小さくつぶやいて、目を閉じる。
忘れるための旅なのに、どうしてこんなに、彼女の姿ばかり浮かぶのか。
隼人はポケットの中の手帳を取り出した。旅に出てから、毎日少しずつ書いているノートだ。
今日のページには、こう書かれていた。
> 竹林の道を歩くとき、君の足音が隣にある気がした。
緑の光のなかで、君はどんな表情を見せるだろうと、想像してしまった。
忘れたいはずなのに、景色が君を呼び戻してくる。
文字にするたびに、心が軋む。
だが、書かずにはいられなかった。書くことでしか、隼人は自分の想いを確かめられなかった。
竹林の奥に、小さな石畳の道があり、その先にひっそりと茶屋があった。
隼人は腰を下ろし、抹茶を注文する。苦味のあとに広がるまろやかな甘さ。
そこにも、彼女の好みが思い出される。
「抹茶は、ちゃんと点てられてるのがいいの。粉っぽいのはダメ。」
何気ない会話が、ふと耳に蘇る。
まるで、彼女がまだすぐ隣にいて、そう言っているかのように。
その夜、隼人は旅日記にこう書いた。
> 君に見せたいものばかりだ。
美しいものに出会うたび、君が隣にいたらと思う。
僕は、君を忘れようとして、今、誰よりも強く君を思い出している。
知らず知らずのうちに、旅の意味が変わっていた。
「忘れる旅」は、「思い出す旅」へ──
いや、「確かめる旅」へと。
この感情がどこへ向かうのか、隼人にはまだわからなかった。
ただ、次の目的地を決めるとき、彼はふと、海が見たいと思った。
そこに、美月が笑う姿がまた浮かんだからだ。