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第4話 旅路│沖縄古宇利島

──潮騒の記憶、古宇利島


海が見たい──その衝動に背を押されるようにして、隼人は南の島へと向かった。

選んだのは、沖縄・古宇利島。橋を渡れば辿り着く小さな島。どこまでも透き通る海と、静かな風の流れる場所だ。


那覇空港からバスとレンタカーを乗り継ぎ、ようやく古宇利大橋のたもとに立ったのは、午後を少し過ぎた頃だった。

目の前に広がるのは、嘘のように澄んだ海だった。コバルトブルーからエメラルドグリーンへのグラデーション。

太陽が照り返すその海面は、きらきらとまばゆく、見ているだけで心の底が洗われていく気がした。


風が吹いた。潮の匂いが、ふわりと鼻をかすめる。

橋の上には誰もいなかった。観光客の気配もまばらで、まるでこの世界に自分しかいないような静けさだった。


隼人は、ゆっくりと歩き出した。

橋の真ん中で足を止め、海を見下ろす。

波が、遠くから寄せては返し、白い筋を描いていた。


そのときだった。


彼は、不意に目を閉じた。

耳をすませば、波音の合間に──あの笑い声が、聞こえたような気がした。


「ねえ、ほら! 海、めちゃくちゃきれい! 写真撮って!」


──美月の声。


彼女が言いそうな言葉が、風に乗って届いたような錯覚。

隼人はハッとして、首を振った。だが心の奥では、それを否定することができなかった。


海の美しさが、彼女を呼ぶ。

まるで、この景色は最初からふたりのためにあったのだと、そう語りかけてくるように。


橋を渡り切ると、島の空気はさらにやわらいだ。

集落を抜け、小さなビーチに降りる。誰もいない浜辺。

サンダルを脱いで、裸足で波打ち際を歩く。砂の感触が、心地よく足裏に広がった。


空と海と風しかない世界。

ここには、何もない。だからこそ、何かが浮かび上がる。


隼人は、その場に腰を下ろし、持参したノートを開いた。

今日は何を書くべきか。何が書けるのか。


彼は、静かにペンを走らせた。


> 君とここに来たことはない。

けれど、僕の記憶の中で、君は今、ここにいる。

砂の上を駆け、笑って、僕に振り返る。

何もない海辺が、君で満ちていく。




書きながら、隼人は思った。

この旅は、やはり「忘れるため」ではなく、「想いを確かめるため」のものなのだと。


忘れようとするほどに、彼女の輪郭がくっきりと浮かび上がってくる。

まるで、どこかで「ちゃんと思い出して」と言われているように。


彼は目を閉じた。

風が頬をなでる。波の音が、静かに耳を包む。


そして──


「美月……」


彼はその名を、口にしていた。


消そうとしても、何度も立ち上がる想いがある。

ならば、逃げるのではなく、見つめなければならないのかもしれない。


夜。

島の民宿のベランダから、星空を見上げる。

手には、旅のノート。


> 僕はまだ、君の記憶に囚われている。

でも、それを苦しいとは思わない。

美しい景色が、君と僕をつないでくれているのなら、

僕はこの旅を続けよう。

そしていつか──この想いに、答えを見つけるために。




そう書いたあと、彼はそっとノートを閉じた。


心が少しだけ、軽くなっていた。

潮騒が、その背中をそっと押してくれている気がした。


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