十一月の古宇利島。
観光客の足も落ち着き、島はまた静けさを取り戻していた。
けれど、夏に満ちた記憶はまだ、空気の隙間にほんのりと残っている。
風見隼は、あの家に戻ってきていた。
ひとりで、でも、ひとりではなかった。
「来るの、迷ったけどさ……やっぱり、来たくなったんだ」
彼は、かつて美月と見た丘の上の岬に立ち、潮風を胸いっぱいに吸い込む。
白いワンピースで笑っていた彼女の姿が、目を閉じると、すぐそこに浮かんだ。
砂利道をゆっくりと歩きながら、彼はポケットから一冊の本を取り出した。
それは、自身の名義で出版された初めての作品集だった。
帯には、控えめな文字でこう書かれていた。
> 「忘れたくない記憶と、もう一度出会うための物語」
彼女と歩いた道、彼女が笑った窓辺、彼女の背中に向かって言えなかった言葉──
すべてが、彼の言葉となり、物語になっていった。
「……ありがとう、美月」
そう呟いたとき、風がふっと吹き抜けて、ページが一枚だけ、そっとめくれた。
まるで彼女が、そこにいるとでもいうように。