この場に残されたあたしは、招待客たちに囲まれてしまった。
厳しい目つきをしている招待客たちに。
「マリッサ・ヴェノワ伯爵令嬢。何を言われたのかは知りませんが、それでもドレスにジュースをかける行為はどうかと思いますわ」
「しかもレティシア嬢はこのパーティーの主役ですのに。誕生日の方に対して、あまりにも酷い仕打ちですわ」
「あたしはレティシアにジュースをかけてなどいないわ」
否定をしてみたものの、誰もあたしの言葉を信じてはいないようだった。
あたしの手には中身の無くなったグラスが握られていて、グラスからはレティシアのドレスにかかっていたのと同じ木苺ジュースが滴っている。
この状況であたしの言葉を信じることの方が難しいだろう。
これまでのあたしの評判とレティシアの評判の差もあるのかもしれない。
回帰をしてからは、悪女のような行為はしていないはずなのだけれど。
それでも一度付いた印象はなかなか消えないものなのだろう。
「本当に、あたしはやってないの」
「では何故レティシア嬢のドレスには染みが出来ていたのでしょう」
「どうしてヴェノワ伯爵令嬢のグラスは空になっているのでしょう」
「それは……」
もう一度否定をしてみたけれど、あたしを囲む人々の目は冷ややかなものだった。
それは招待客も、レティシアのところの使用人も同じだ。
招待客は誰も現場を見ていなかった可能性もあるけれど、レティシアの屋敷の使用人が誰一人としてパーティーの主役であり自分の勤める屋敷の令嬢であるレティシアのことを見ていないなんてことはあり得ない。
だからきっと使用人の中には、あのとき本当は何が起こったのかを知っている人もいる。
しかし使用人たちは、余計なことは口にしない方針なのだろう。
誰もが口を閉ざしている。
「……そういうことね」
きっと事実が明らかになることはないのだろう。
そのことを踏まえた言動をしなくてはならない。
事実としてはレティシアが自分で自分のドレスにジュースをかけたのだけれど、それを言うとますます状況が悪くなる。
だから、あたしはこう言うことにした。
「ちょっとした事故で、ジュースがかかってしまったの」
しかし周囲の人々の冷ややかな視線は変わらない。
「レティシア嬢は、自分の言葉がヴェノワ伯爵令嬢の気に障ったとおっしゃっていましたわ」
「まさかレティシア嬢が嘘を吐いたなどと言い出すつもりではありませんわよね?」
圧倒的な劣勢だ。
どうしたものかと考えていると、招待客をかき分けてシャーリーがあたしのもとへとやってきた。
「マリッサ、どうしたの!?」
ここから離れた場所でドレイユ侯爵とお喋りをしていたシャーリーは、この騒ぎに遅れて気が付いたらしい。
困惑した顔であたしのことを見つめている。
「それが……あたしのジュースがレティシアのドレスにかかっちゃって」
「かかったのではなく、かけたのでしょう?」
「罪から逃げたいからと言って嘘を吐くなんて最低ですわ」
シャーリーが何かを言う前に、あたしの言葉を聞いた令嬢たちが口を挟んできた。
「マリッサ?」
何が起こったのかを知らないシャーリーが、心配そうな声色であたしの名前を呼んだ。
レティシアが自分でジュースをかけたという話を信じてもらうのは無理かもしれないけれど、少なくともあたしが悪意を持ってやったわけではないことだけは伝えておきたい。
シャーリーに嫌われるなんて絶対に嫌だから。
「あたしはわざとジュースをかけたわけじゃないの。これだけは本当よ」
シャーリーは、あたしとあたしの周りを取り囲む令嬢を見比べてから、ゆっくりと口を開いた。
「私は遠くにいたからその瞬間を見たわけではないけど、レティシアとマリッサは友人なの。何かボタンの掛け違いがあったのかもしれないけど、マリッサはいじめのつもりでジュースをかけたわけじゃないと思うわ」
「仮にそうだとしても、レティシア嬢の誕生日パーティーを台無しにしたことは事実ですわ」
「そうですわ。レティシア嬢の負った心の傷は消えませんわ」
「……そうね。たとえ事故だったとしても、パーティーの主役にジュースをかけた事実は変わらないわね。レティシアが戻ってきたら、マリッサが誠心誠意謝る。これなら問題ないでしょう?」
シャーリーが穏便に事態を収めようとしてくれたけれど、こんな甘い対応で令嬢たちが許してくれるわけがない。
令嬢たちは変わらずあたしのことをにらみ続けている。
「謝ったくらいで許されることではありませんわ。ヴェノワ伯爵令嬢はどうせ反省をしないでしょう?」
「ええ、口だけの謝罪では許せませんわ。そんなもので許してしまったら、ヴェノワ伯爵令嬢が調子に乗るだけですわ」
もしかすると彼女たちは以前からあたしに不満を持っていて、この騒ぎをきっかけにそれを爆発させているのかもしれない。
「だいたい、同じ令嬢なのにレティシア嬢とヴェノワ伯爵令嬢は人間の質が違いすぎますわ。ヴェノワ伯爵令嬢は、優しくてみんなから愛されるレティシア嬢が羨ましくて、嫌がらせをしたのでしょう!?」
「レティシア嬢にジュースをかけても、ヴェノワ伯爵令嬢がますます嫌われるだけですのに。頭の弱い方はこれだから困りますわ」
普段はあたしに怯えて絶対にそんなことは言わないのに、自分が優勢だと感じた瞬間にだけこういう態度を取るのはどうかと思う。
もちろん火に油を注ぐだけだから口には出さないけれど。
「そこまで。許す許さないはレティシアの判断のはずよ。今ここで言い争っても意味は無いわ。それにどさくさでマリッサの悪口を言うのは卑怯よ」
シャーリーがぴしゃりと言ったけれど、令嬢たちは納得していない様子だ。
「ですが、あまりにもレティシア嬢が可哀想ではないですか!」
「誕生日パーティーでこんなことをするなんてあんまりですわ!」
なおもあたしを責めようとする令嬢たちの前に、新たな人物が現れた。
「それでは。マリッサ・ヴェノワ伯爵令嬢がドレスの染み抜きにかかった費用を弁償し、さらにお詫びのドレスをレティシア・オーヴァルニ伯爵令嬢にプレゼントするというのはどうでしょう?」
あたしのもとへやってきた新たな援軍は、キリアンだった。
「あなたは、魔法認定委員会のキリアンさん!?」
「それって、レティシア嬢の想い……」
「レティシアの想い人」と言おうとした令嬢が、両手で自身の口を覆った。
レティシアのいない場でキリアン本人にそれを述べてはいけないことを理解しているからだろう。
気付くのが遅かったせいで、ほぼすべて口を滑らせてはいるけれど。
「オーヴァルニ伯爵令嬢がお詫びのドレスを受け入れるか否かはさておき、誠意の表し方としては申し分ないと思いますよ」
「それはそうですけど……」
キリアンの提案に、令嬢たちは戸惑っているようだった。
キリアンはそんな令嬢たちから目を離し、今度はあたしのことを見つめた。
「ヴェノワ伯爵令嬢はどう思いますか? 弁償とドレスのプレゼントは負担が大きすぎますか?」
「……いいえ」
両親には怒られるだろうけれど、もうこうするより他にない。
それでこの場が収まるなら、弁償代と代わりのドレス代は両親に負担をしてもらおう。
支払いをしてもらう代わりに両親からの罰を受けることになるのなら、それも甘んじて受け入れよう。
……本当は罰を受けるようなことは何もしていないのだけれど、真実を叫んでも通用しない状況だ。
「もちろんオーヴァルニ伯爵令嬢が弁償や代わりのドレスを用意する必要が無いと言った場合は、気持ちだけを謝罪として渡すだけで十分だと思いますよ。オーヴァルニ伯爵令嬢は着るものに困っているわけでもないでしょうから」
「そうですね……」
「ちょっと待って!」
キリアンの提案に乗ろうとしたあたしに、シャーリーがストップをかけた。
「マリッサ、本当にそれでいいの? 事故でジュースがかかっただけなら、弁償をした上に代わりのドレスを贈るのはやりすぎだと私は思うわ」
「そうかもしれない。でもあたしは事故だったと思ってるけれど、レティシアがそう思ってないなら、誠意を見せるしかないもの」
「マリッサがそれで良いなら、これ以上は言わないけど……」
「心配してくれてありがとう」
話が丸く収まりそうな雰囲気を察した招待客が、一人また一人とあたしたちの周りから去っていった。