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第7話 「今の君が、一番きれいだ」

「今の君が、一番きれいだ。」


星野美友紀は、服の裾をぎゅっと握りしめていた。指先が白くなるほど力が入っている。


前世の記憶を持って生き直している彼女にとって、目の前のまだ幼さを残す高校生――中島陽介にどう接すればいいのか、正直わからなかった。


全く恨みがないと言えば嘘になる。しかし、前世であんな結末を迎えたのは、結局自分の過ちだったと彼女は分かっている。


もしあの時、あんな手段を使ってまで無理やり陽介と結婚させなければ……。


そんな思いにふけっているうちに、二人は学校の屋上へとたどり着いていた。


心地よい風が頬を撫で、こめかみのあたりで髪がふわりと揺れる。


生まれ変わった星野美友紀は、このかけがえのない青春を大切にしたいと、前世で伸ばしていた長い髪をバッサリ切り、黒髪を高く結い上げていた。


もともと整った顔立ちに、すべすべとした額、母親譲りの白い肌。その姿はまるで青春ドラマから抜け出してきたヒロインのようだった。


「……きれいだ。」


遠くの景色に見とれていた美友紀の耳元で、ふいにそんな言葉が聞こえた。


かつて陽介だけを見つめていた自分が、この街を見下ろすのは初めてだった気がする。


「ここの景色、本当にきれいね。」


素直に感想を口にする。


たとえ前世で陽介に心を砕かれたとしても、

たとえかつて彼を手に入れたとしても――


再び、このまだ幼さの残る彼を前にすると、不思議と胸が高鳴る。


過ちを犯したのは未来の陽介であって、今目の前にいる少年ではない。


もしあの時、彼とその初恋の人を引き離すようなことをせず、ただ友達として付き合っていたら――。


前世で陽介と親しくしていた人たちは、皆中島グループの庇護を受けて、順風満帆だった。

自分のことを陽介がどれだけ嫌っていても、投資のコツなど、知らず知らずのうちに身についていた。


継父が長く養ってくれるはずもないと分かっていた彼女は、もらったお金をすべて貯めていた。将来、投資で何とか生きていくつもりだった。


前世で研究者を目指していた彼女は、研究者の生活がどれだけ大変か知っていたから、自分のお小遣いで彼らを支援していたこともある。


そんなことを思い出すと、ますます陽介に近づく決意が固くなる。


中島グループに一目置かれれば、たとえほんの少しでも陽介の目に留まることができれば、きっと十分な投資を受けられるはず――


「今の君が、一番きれいだ。」


そんなことを考えていた美友紀は、その言葉を聞いた瞬間、動きが止まった。


信じられないというように自分を指さし、声を震わせる。

「わ、私のこと……?」


陽介は美友紀を見ることなく、小さく「うん」とだけ答えた。


ただ、その声は風に紛れてすぐに消えてしまった。


二人の間に、妙な沈黙が流れる。


予鈴が鳴り、美友紀が別れを告げようとしたとき、長い沈黙の中で陽介がふいに声を発した。その声はやはり冷たかった。

「君は、俺に何か言いたいことはないの?」


突然の問いに、美友紀は戸惑った。


聞きたいことは山ほどあった。

なぜ前世であんな仕打ちをしたのか。なぜ愛してもいないのに結婚したのか。中島家の力があれば、お金を渡して子どもを処理することだってできたはずだ――それが、この世界では常識だった。


どうして希望を持たせて、結局絶望の淵に突き落としたのか。


だけど、今の陽介にそんなことを言うのは、あまりにも不公平だ。


「もし何か言うとしたら……」

美友紀は深呼吸して、穏やかな笑みを浮かべた。

「ごめんなさい、かな。この間、いろいろ迷惑をかけてしまったから。急に部活を辞めたりして……」


「どうしてやめたんだ。」


陽介が唐突に言葉を遮った。その表情の奥に、どこか譲れないものがあった。


まるで、それがとても大切なことかのように。


「何度も聞かれてるし、私も何度も答えてるわ、陽介くん。」

美友紀は少し笑って答える。「私には合わなかったの。」


「じゃあ、あいつは合うのか?」


唐突な一言に、美友紀はきょとんとした。


あいつ……?

誰のこと?

物理研究会のことだろうか。


辩論部をやめてすぐに物理研究会に入ったのは事実だ。


「うん。」美友紀は真剣に、そしてはっきりとうなずいた。「彼のほうが、私には合ってる。」


「……ふっ。」


気のせいか、美友紀にはとても小さな、短い笑い声が聞こえた気がした。


見上げると、陽介の表情は相変わらず冷たく、ただ、その背筋が少しだけ丸くなったように見えた。


「わかった。」とだけ言って、陽介は美友紀から視線をそらした。「もう行っていい。」


それは、明らかな追い返す言葉だった。


ようやく陽介が自分を呼び出した理由が分かった気がした。


本当に、部活をやめたことが気になっていたのだろう。


もしかして、私がいなくなったことで、今回のディベートに支障が出たのかもしれない。


帰り道の途中、美友紀は一度立ち止まり、振り返って言い訳をした。


「今回の二番手の席は、お金で買ったものだったから、もともと私のものじゃなかったの。だから……」


「もういい!」


「……うん。」


美友紀の足音は、屋上の風に溶けるように消えていった。


陽介は背を向けたまま、無意識に手を握ったり開いたりを繰り返していた。骨ばった指先が白くなっているのが、心の動揺を物語っていた。


制服の裾が風に揺れ、少年の細身の体をなぞる。


どれだけ時間が経ったのか――

やがて陽介は静かに振り返る。床に落ちる光と影の中、今や彼一人だけが残っていた。


喉が上下し、今にも「行かないで」と叫びそうになったが、その言葉は飲み込んだ。


風が背中をなで、かすかなため息が唇の端からこぼれそうになるのを、彼はぐっと抑えた。


大きく息を吸い、もう一度背筋を伸ばし、静かに階段へと向かい、教室へ戻っていった。


・・・


美友紀が教室に戻ると、先生がすでに教壇に立っていた。


「失礼します」と言って席に着くと、小林茉里がこっそりと彼女の腕をつついた。


「陽介くん、何て言ってたの?」心配そうに美友紀の様子をうかがう。「嫌なこと、されなかった?」


美友紀は唇を噛みしめる。なぜか頭の中に残るのは、最後の「もういい!」の一言だけだった。


「部活をやめたことについて聞かれただけよ。」と小さく答えながら、机の上の教科書を指でなぞる。「特に何もなかった。」

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