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第14話 「お義姉さん」って呼ぶべきか、それとも……

渡辺は軽く唇を引き結び、素早くスマートフォンの画面を整理すると、それを星野美友紀の前に差し出した。


「後はマイナンバーだけだよ。自分で入力して。」


手を洗ったばかりの美友紀は、少し気恥ずかしそうに言った。


「渡辺くん、ごめん、まだ手が濡れてて……代わりに入力してもらえる?」


「いいよ。」


渡辺は美友紀よりも二十センチ近く背が高いので、スマホを持ち上げると彼女からは画面が全く見えなかった。


ただの番号入力だし、美友紀も背伸びして覗こうとはせず、静かに番号を口にした。


気づかないうちに、彼女が数桁を言い終える前に、渡辺はもう入力を終えていた。


「できたよ。間違いがないか確認して。」


美友紀はスマホを受け取り、ざっと内容を確認してから一番下までスクロールした。


「このまま送信していいの?」


「うん。」


申し込みフォームを送信し終え、美友紀はようやく肩の荷が下りた気がした。


「明日の朝八時に迎えに行くから、今夜のうちに荷物をまとめておいて。今度は一ヶ月以上だから、着替えを何着か持ってくれば十分だよ。物理の資料はもう印刷してあるから、明日渡す。」


渡辺の気遣いに、美友紀の心がじんわりと温かくなった。母親の玲子が再婚してから、こんなふうに気にかけてくれる人は初めてだった。


「ありがとう、渡辺くん。色々お世話かけちゃって。」


「早く帰って休んでね。」


渡辺の後ろ姿を見送りながら、美友紀は大きく伸びをした。スマホをポケットにしまい、活動室を軽く片付けると家路についた。


帰り道、小林茉里と安西陽太に「今日は帰るね」とメッセージを送ると、二人は「泊まりに行きたい!」と騒いでいた。でも明日出発だし、今回は断るしかなかった。


家に着くと、美友紀はラーメンを作りながら物理の公式を口の中で繰り返し、荷造りを進めた。


夜が深まり、星が空を飾る。


中島陽介は屋上の入口に立ち、加瀬敦司がせっせとバラを両脇に並べ、中央にはキャンドルでハートを作っているのを見ていた。


「何やってんだよ?」と陽介が眉をひそめる。


敦司は汗を拭いながら、どこか調子のいい笑顔を浮かべた。


「どう?ロマンチックだろ?」


「ロマンチックの意味、間違ってない?」


「何言ってんだよ!ネットで告白のコツ調べまくったんだぜ?こういうのが一番効果あるって!」


「別に告白するつもりなんてない。」


相変わらずぶっきらぼうな口調だったが、耳の先がほんのり赤くなっていた。だが、夜の暗さとろうそくの光で誰にも気づかれない。


「じゃあ、中島くん、時間だから俺は引き上げるわ!」


陽介は返事もせず、地面のキャンドルをじっと見つめていた。


「中島くん!中島くん!」敦司がこっそり戻ってきて、ドアの隙間から小声で、「明日彼女に会ったらさ、『お義姉さん』って呼ぶべき?それとも……」


「帰れ。」


「はいよ!」


……


広い屋上には陽介だけが残った。


学校には寮もあるが、受験が近いせいで教室で勉強している生徒も多い。


ふと、昔のことを思い出す。


美友紀もよく、こんなふうに質問攻めにしてきた。


まさか、全部演技だったとはな。


でも、まあいいさ。


どうせみんな、何かしら演じてるんだろ。


校舎の灯りが一つずつ消え、建物全体が暗闇に包まれるまで、陽介はじっと動かなかった。


振り返ると、キャンドルはすでに消えていた。


もう十時か。


彼女は二時間も遅れている。


鮮やかなバラも萎れて、まるで自分の負けを嘲笑っているみたいだ。


近づいてみると、固まった蝋が脂のようにべっとりと残っている。


思わず足で蹴飛ばし、跡形もなく壊してしまった。


家の資産は桜ヶ丘の住宅地にもある。


運転手が車を美友紀の家の前まで静かに停めると、ちょうど部屋の明かりが消えるのが見えた。


彼女が自分に気づいたかどうかは分からない。


だが、LINEのメッセージに赤いビックリマークがつき、何度送っても失敗するだけで、もう試すのをやめた。


電話もメールも、もうかける気はしなかった。


後ろからクラクションが鳴り、陽介ははっとして車に戻った。運転手に頼んで、美友紀の家が見えるけど邪魔にならない場所へ移動してもらう。


車のドアにもたれながら、無意識にポケットを探る。


やがて苛立ったように窓を叩き、「タバコ一本ちょうだい」と声をかけた。


……


朝日がカーテン越しに差し込んだとき、美友紀は目を覚ました。


昨夜は荷造りが終わるとすぐに眠気に襲われ、勉強もしないで寝てしまった。


身支度を整え、朝食を作っていると、ドアをノックする音が聞こえた。


時計を見ると、もう八時だ。


急いでドアを開けると、渡辺が立っていた。


「準備できた?」


相変わらず穏やかな声だった。


「ちょうど朝ごはんできたとこなんだけど、一緒にどう?」


「今食べると、時間がちょっとギリギリかも。」渡辺は少し眉をひそめた。「車の中で食べてもいいかな?」


美友紀は思わず吹き出しそうになった。


「普通は車内で食べるの嫌がるのに、逆に私に聞くなんて……」


「僕は気にしないよ。」渡辺は微笑みながらも、真剣なまなざしで見つめてきた。「美友紀は?」


「もちろん、平気だよ。」


……


渡辺の車が桜ヶ丘の住宅地に入ると、陽介はすぐにそれに気づいた。


問い詰めたい気持ちになったが、自分にはそんな資格がないと分かっていた。


美友紀が朝食を手に、笑顔で渡辺の車に乗り込むのを見て、車が走り去っていく。


陽介は視線を落とし、両手を強く握りしめた。

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