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第16話 「何部屋取ったんだ?」

車内の空気が一瞬で張り詰めた。


美友紀は小首をかしげ、好奇心いっぱいの子どものように雅彦の横顔をじっと見つめた。


「そんな顔で見るなよ」と雅彦が喉の奥で小さく笑う。「このカーブを曲がってからな。」


彼女がナビを見上げると、ちょうど前方にカーブが現れた。


美友紀は素直に体を起こし、窓の外を流れる街路樹を見つめた。


「そんなに知りたいのか?」


不意に雅彦が言い、どこか誘惑めいた響きに美友紀は我に返った。


彼女は慌ててうなずく。「教えてくれるの?」


「もちろんさ。」雅彦は前方を見たまま、気の抜けたような口調で続ける。「美友紀、忘れたのか?俺たち、ずっと一緒に育ってきたんだろ。あの言い方で言えば……」


「幼なじみ、だよね。」

雅彦の口から「幼なじみ」と聞くと、どうにも違和感がある。


どこかねっとりとした親密さを含んだ言葉に感じてしまう。


でも、実際はただの幼なじみで、しかも同じ師匠に学ぶ先輩後輩だ。


「お前が東京で一人暮らし始めたとき、俺……お母さんに会いに行ったんだよ。お前のこと頼むって言われてな。」


「でもその頃、お前は中島のことしか見てなかったし、邪魔したくなくてさ。」


美友紀は口を開きかけたが、言葉が出なかった。


なぜか自分が悪者みたいな気分になる。でも、何もしていないのに。


「母は……」美友紀は窓の外を見ながら、何気なく尋ねた。「元気にしてる?」


「元気だよ。」


その答えに、美友紀は黙り込む。


まあ、そうだよね。母の再婚相手が自分を受け入れてくれたなら、母を大事にしてくれているはずだ。


母が幸せなら、それでいい。他はどうだって構わない。


彼女は握りしめた資料の端が白くなるほど力を入れながら、ふと幼い頃を思い出した。


あの頃、父は小さな会社を経営していた。家族で贅沢できるくらいには裕福だった。欲しいものは何でも手に入った。


家族で遊園地に行き、メリーゴーランドに乗る彼女を見て、写真を撮りながら「世界で一番かわいいお姫様だ」と言ってくれた。


あの頃は家族の絆がとても強かった。


みんなで笑い合えた。


でも今は、自分が余計な存在になった気がする。誰にも必要とされないお荷物のような気がしてしまう。


まばたきした瞬間、不意に涙がこぼれた。


咄嗟に唇を噛み、嗚咽を飲み込む。雅彦に気づかれたくなくて、横を向いたまま、いつの間にか眠りに落ちた。


雅彦はしばらく返事がないのに気づき、ふと彼女を横目で見た。その瞬間、息が止まりそうになった。


大切に思うその人が助手席で小さく丸まり、長いまつげに涙の粒を残したまま、陽射しを浴びて眠っている。


あまりにも美しい光景だった。


思わず車をサービスエリアに停め、そっとスマホでその瞬間を撮った。


涙を拭いてあげたい、これからずっと守りたい、もう二度と傷つけたくない――そう思いながらも、粗い指先が彼女の肌を傷つけてしまいそうで手が出せない。彼女の夢を邪魔したくなくて、何より、彼女に避けられる目を見たくなくて。


結局、シャッターを切るだけで満足した。


目的地はそこまで遠くなかった。高速を降りて十数分で到着した。


本当は高速を使ったせいで遠回りしたけれど、それもこの時間を少しでも長く味わいたかったからだ。


まだ終わらせたくなかった。


ホテルに着くと、スタッフが案内に来た。騒がしい気配の中、美友紀がゆっくり目を覚ました。


「もう着いた?」


寝起きの声は少しかすれていた。


「ああ。」雅彦はシートベルトを外しながら、彼女の額に手のひらをそっとあてた。


まだ意識がぼんやりしている間に、そのぬくもりを感じたくて。


彼女が眉をひそめて避けようとした瞬間、雅彦は自分の額に手を移した。


「熱はない。」


短くそう言われ、美友紀はほっとしたように眉を緩める。「熱なんてあるわけないでしょ!」


「まだ眠いなら、ホテルで少し休んでいくか?」


「いいよ、みんなを待たせるのも悪いし。」

美友紀はシートベルトを外し、大きく伸びをした。


「ちょっと待て。」


ちょうどドアを開けようとした瞬間、雅彦が声をかけた。


「なに……?」


言葉が終わらないうちに、温かい手が頬に触れた。


美友紀は驚いて彼を見つめ、思わず身を引いた。


「まだ寝ぼけてる?涙の跡があるぞ。」


せっかく生まれた微妙な空気も、その一言であっさり消えた。


気まずさもどこかへ消えてしまう。


「本当に寝ぼけてたのかも。」


顔をこすり、目を何度も瞬かせてから、彼女は車を降りた。


二人が並んでホテルに入ったちょうどその時、中島陽介の車がゆっくりと路肩に停まった。


中島は車窓越しに二人の姿を見つめ、胸の奥が凍りつくような感覚に襲われた。


「お客様、こちらは駐車できません。」


スタッフが声をかけたが、中島の目を見た瞬間、緊張した様子で言葉を詰まらせた。


「坊ちゃま……」


中島グループの社員で彼を知らない者はいない。中島家の一人息子、将来の後継者。父親と共にビジネス界で名を馳せ、よくグループのホテルにも視察に訪れる。


「上の階、まだ部屋は空いてるか?」


「お客様のスイートルームはずっとご用意しております。」


中島はうなずいて車を降りた。


回転ドアをじっと見つめ、喉を鳴らしながら、わずかに手が震える。


二人に何をしに来たのか問いただしたい。


けれど、見てはいけないものを見てしまいそうで怖かった。


美友紀が雅彦に抱きしめられている姿、二人が同じ部屋に泊まる様子――想像するだけで嫉妬がこみ上げ、ホテルごと壊してしまいたくなる。


迷っているうちに、ロビーに入った時にはもう二人の姿はなかった。


不安が胸を締めつける。中島は急いでフロントに向かい、冷たい声で尋ねた。


「さっき入った二人……何部屋取りましたか?」

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