「星野美友紀、Cクラス。」
その発表に、周囲の生徒たちはどこか照れくさそうに視線を交わし、何人かは後頭部をかきながら顔を赤らめていた。
「えっと……私に、何か用ですか?」
美友紀はどう話を切り出せばいいのかわからず、口にした瞬間に自分の言葉を後悔した。
これでは自ら会話の糸口を断ち切ってしまったようなものだ。
相手も引き下がるかと思いきや、再び声がかかった。
「木下先生が話してたんだけど、前に陸先輩と一緒に大会に出て賞を取ったって本当?」
美友紀は、さまざまな質問を予想していた。
たとえば、中島陽介への気持ちを本当に諦めたのかとか、大会にはコネで出たんじゃないかとか。
まさか、こんなことを聞かれるとは思わなかった。
思いは、高校二年の入学当初に遡る。
母の再婚前、彼女たちは安アパートを転々とし、毎日市場で値切りながら何とか生活していた。
実の父親からも身を隠さなければならなかった。
母が再婚し、生活は一変した。
一気に違う世界へと足を踏み入れたものの、周囲は彼女を認めてはくれなかった。
彼女は連れ子だったからだ。
周りの冷たい目線に自信を失いかけていたとき、渡辺雅彦と再会し、物理部に入ることになった。
もともと美友紀は、物理が大好きだった。
陸家が代々研究者の家系で、雅彦と幼なじみだったこともあり、幼いころから学術的な雰囲気に包まれて育った。
彼らが語る理想の世界――
自分の力で、世界をより良くしたい。
祖国を豊かで強くし、他国に屈しない国にしたい。
そんな思いから、幼い美友紀は陸の父の研究を見学したり、雅彦と一緒に実験を繰り返したりしていた。
毎回うまくいくたびに二人で飛び上がって喜び、美友紀の物理への情熱はますます強くなった。
やがて、陸家は父の転勤で東京へ引っ越し、連絡は途絶えた。
だが、美友紀が物理をあきらめることはなかった。
そんな経緯で転校し、再び雅彦と再会して物理部に入った月、彼女はすぐに大会の代表に選ばれた。
「うん……そうだよ。」美友紀は少しうつむき、懐かしさのにじむ声で答えた。「でも今は……全部終わっちゃった。この半年、何もしてこなかったから、すっかり遅れちゃってて。」
「たった半年、すぐに取り戻せるよ!」
「逆に考えれば、私たちは高三になってやっと大会に出られるのに、美友紀は高二で出たんだ。すごいじゃん。」
「参加すらできなかった人も多いし、そう思えば気が楽になるんじゃない?」
「木下先生がいつも君の話をしてた。実力は間違いないって。たった半年で自分を責める必要なんてないよ。」
「高一で賞を取ったんだし……。」
周囲から掛けられる言葉の一つ一つが、美友紀の胸に温かく沁みていった。
面識のないはずの人たちからの優しさに、彼女はこれまで感じたことのない温もりを覚えた。
「そういえば、私たちが君のことを知ってるのって、全部木下先生のおかげなんだ。ちょっと気になるんだけど……本当に恋愛のために物理をやめたの?」
恋愛のために――
物理をやめた?
美友紀はしばらく俯いたまま、口を開きかけては閉じた。
やめていないと言えば嘘になる。確かに物理部は辞めた。
でも、どんなに時が経っても、彼女は物理の勉強を続けてきたし、自分の貯金を物理の研究に使ってきた。
それを「やめた」と言えるのだろうか――
彼女には、答えが出せなかった。
気まずい沈黙が流れ、男子生徒が何か言いかけたとき、教室のドアが開き、先生が入ってきた。
「静かに!」
その一言で、教室は一瞬にして静まり返った。
美友紀は考えを切り替え、渡辺雅彦の席に目をやる。
……まだ戻っていない。
先生が前に立ち、彼女がスマホを取り出そうとしたそのとき、教室の入り口から雅彦の声が響いた。
「失礼します!」
「入って!」
ギリギリで戻ってきた雅彦の姿に、美友紀はほっと息をついた。
「これから、最初のクラス分け試験の結果とクラスを発表します……」
美友紀はじっと耳を澄ませる。
そのとき、雅彦が小さな声で聞いてきた。
「自信、ある?」
その優しい微笑みに、美友紀も思わず口元を緩め、そっと頷いた。
「上島英智、Bクラス。」
「三河恭一郎、Aクラス。」
「高野明徳、Cクラス。」
……
次々と名前が呼ばれるたびに、教室の空気が揺れ動く。
だが、美友紀が驚いたのは、まだSクラスの名前が出ていないことだった。
やはり、この学校に集まったのは各校のトップばかり。
競争は想像以上に激しい――。
そしてついに。
「渡辺雅彦、Sクラス。」
雅彦の名前が呼ばれた瞬間、美友紀の顔に本当の笑みがこぼれた。
「おめ――」
言い終わる前に、自分の名前が呼ばれる。
「星野美友紀……」
心臓が喉まで跳ね上がる。
頭が真っ白になったまま、先生の声が響く。
「Cクラス。」
覚悟はしていた。
この半年、物理から離れていたし、皆が優秀なのもわかっていた。
それでも――
まさかここまでとは思わなかった。
「C……Cクラス?」
美友紀はゆっくりと姿勢を正し、焦点の合わない目で先生を見つめた。
先生の口が動いているのが見えるだけで、耳には何も届かない。
ただ、あの冷たい宣告だけが、何度も頭の中で繰り返されていた。
「星野美友紀、Cクラス。」