雷の音で目が覚めた。
ここはどこだろう?
薄暗い部屋。
窓から差す稲光がフラッシュのように部屋を照らしてくれた。
たくさんの機械に囲まれた……
なにかの研究室?
とても広い……
誰もいないのに作動しているのか、機械からは低いうなり声のように音が聞こえる。
目についたのはモニター画面に映っている数字。
なにかの時間を刻んでいる。
どの画面も全てが同じ時間を刻んでいた。
1秒と違うことなく。
なんの時間を刻んでいるのだろう?
胸の奥から不吉な予感がもたげてくる。
私はその数字から目をそらした。
さらに目を凝らして室内を見回してみる。
壁に絵が飾ってあった。
赤ん坊のキリストを抱く聖母マリアの絵。
機械だらけの部屋の中でとても不釣合に見えた。
部屋の突き当たりから薄っすらと明かりがもれているのに気がついた。
暗がりの中、明かりに向かって歩いて行くと分厚い扉がある。
扉は少し開いていてそこから明かりがもれていたのだ。
私は、この誰もいない不気味な機械の部屋から早く遠のきたくて躊躇うことなく扉を開けた。
そこにも人はいなかった。
でも機械も置いていない。
あるのは部屋の真ん中にある大きなプールだった。
弱々しい明かりに照らされたプールが青白く光っているように見える。
私は吸い寄せられるようにそのプールに向かって歩き出した。
そしてプールの中を覗き込んでみた。
「ああっ……」
口から声が漏れた。
同時に身体がガタガタと震える。
照明に照らされたプールの中には……
たくさんの人が裸で沈んでいた!!
生きてる?
いや!絶対死んでる!!
だって呼吸をしていない!
目を開いたまま無表情なたくさんの死体。
それが全て私を見ているように思えた。
悲鳴を上げると私は自動ドアに向かって走り出した。
怖い!!
今にも死体がプールから上がってきそうな気がしたから。
パシャ…
ザバッ!!
背後で水の音がした。
脚を止めて振り返る。
よせばいいのに振り返る。
そこで目に映ったモノ…
プールサイドから2人の男女が這い上がろうとしている。
無表情な2人と目があった。
全身に震えが走った。
「パパー!パパー!!」
恐怖に駆られて泣き叫びながらドアにたどり着くと開いた向こうにパパがいた。
「パパ!」
「マリア!」
泣きじゃくる私をパパは優しく抱きしめると頭をなでてくれた。
「ダメじゃないか。こんなところに一人できたら」
「ごめんなさい!パパごめんなさい!」
「さあ、部屋にもどろう」
「待って!人が!!」
「人?」
「プールから人が…」
パパがプールに目を向ける。
「誰もいないよ」
優しく言われて私は振り返った。
そこに人影は無い。
泣き止まない私を抱きかかえてパパは真っ暗な廊下を歩いていった。
ここはどこだろう?
パパと私はどうしてこんなとこにいるのだろう?
「マリア。もう着くわよ」
「えっ!は、はい!」
神尾先生の声で目が覚めた。
「また怖い夢でも見てたの?」
「うん… ちょっとね」
そう。
あの恐ろしいプールのことは夢だった。
小さい頃から何度も見てしまう悪い夢。
「またプールの夢?」
神尾先生が運転席のミラー越しに私を見る。
「うん。ほんとやんなっちゃうよ」
もう16歳になるのに怖い夢に怯えるなんて恥ずかしいったらない。
肩をすくめると窓の外に目をやった。
「ここがみんなの住んでいる街?」
「ええ。そうよ。清潔でとてもいいところだわ」
神尾先生が運転する車は河原の土手を走っていた。
神尾先生は私の家庭教師。
仕事で家を開けることが多いパパが私の勉強や行儀を教えるために雇った。
勉強だけじゃなくってお目付け役っていうのもある。
怒られたりもするけど、私にとっては信頼できる「お姉さん」的な存在。
私が5歳の頃からいろいろ教えてくれた。
今は家の一室をあてがって私達と同じ屋根の下で生活している。
もう家族みたいなもの。
今日は私が留学先から帰ってくるので空港まで迎えに来てもらった。
私は中学の3年間を海外で過ごした。
そして3年ぶりにパパや神尾先生との生活が再開する。
新しい学校。
新しい友達。
新生活のことを考えると胸がわくわくしていた。
「今日の夕食は遅めにするから帰ったら少し部屋で休みなさいな」
「うん」
返事をしながらも私の視線は外の景色から離れなかった。
車と並行して流れる大きな川は水面に夕陽を反射させてキラキラと光り輝いていた。
まだ残暑も厳しく、車の外からは蝉の声も聞こえる。
綺麗……
私たちがいるのと反対側、つまり川の向こう側にある街は対照的に夕闇に包まれている。
燃えるような赤い夕陽と薄紫色の夕闇。
そのコントラストにうっとりしていた。
瞬間、私の視界を風と爆音とともに黒い影が横切った。
「ええっ!?」
驚いたのと同時に車が急ブレーキを踏んだ。
「きゃあっ!」
シートベルトをしていなかったせいで運転席に身体をぶつける羽目になった。
「痛っ~…」
「大丈夫!?」
「うん。ちょっとぶつけただけ」
「だからシートベルトしなさいって言ったのに」
神尾先生がため息混じりに言う。
「ごめんなさい… それよりどうしたの?」
聞きながら運転席の陰から顔を出した。
私達の車の前にバイクが1台、道をふさぐようにエンジンを派手に吹かせながら停まっている。
私の視界を遮ったのはあのバイクだったんだ。
私達を追い越してわざわざ道をふさいでる。
「めんどうね。まったく」
ぼやきながら神尾先生はクラクションを鳴らした。
バイクの主はクラクションなんておかまいなしにポケットからタバコを出すと一本、口にくわえた。
顔は伏せているけど長めの黒い髪が風になびいている。
これが不良ってやつね!!
それにしても留学先にはこんな反社会的な人種はいなかった。
神尾先生がもう一度クラクションを鳴らした。
すると不良は私達の反応を楽しむように肩をゆすった。
あいつ笑ってる!?
あまりにも小馬鹿にされた気がした私は車のドアを開けた。
「マリア!」
神尾先生が制止するように叫んだけども私は聞かずにバイクに乗った不良の前まで歩いて行った。
「なによ?なんか私達に用なの?」
自慢じゃないけど向こうのスクールでも男子相手に負けたことはない。
スポーツもケンカもね。
「ああ。おおありだ」
「あっ…」
そう言って顔を上げた不良の顔――
思わず息をのんだ。
整った顔立ちはまるで彫刻のように綺麗で……
そして瞳。
その瞳に吸い寄せられた。
川向うの街を包む夕闇のような薄紫色の瞳に。
文句を言ってやろうと思ってきた私は、一瞬、不覚にも言葉を失ってしまった。
相手も私を見て言葉を発しない。
それもつかの間、フッと小馬鹿にしたように笑うと
「なんだよ?俺があんまりイイ男なんで見惚れてんのかよ?」
からかうような軽口に我に返った。
「バカ言わないでよ!私達、家に帰る途中なの!邪魔よ!どいて!!」
「おいおい、用事があるって言っただろう」
おどけたように答える。
「早くどきなさい。警察を呼ぶわよ」
神尾先生も車を降りて私の横に来た。
「もどってなさい」
「でも」
すると不良は面倒くさそうに頭をかくと私に向かって言った。
「挨拶だよ挨拶!おまえにな」
「私に?」
私が聞き返すと神尾先生が遮るように強く言った。
「相手にしないで。早く戻りなさい」
私はそんな神尾先生を制するように手を上げると目の前の不良の顔を見た。
不思議と恐い感じはしなかった。
「俺は真壁郷。おまえはマリアだろ?」
郷の前髪がさらさらと風に揺れている。
「えっ?なんで知ってるの?どこかで会ったっけ…」
「いや。だが知ってる。俺は17年…… いや、もっともっと気の遠くなるくらいおまえを待っていた」
「どういうこと…?」
目の前の郷が何を言っているのか意味が解らない。
私の質問には答えず、郷は私を見ていた。
そんな郷の瞳を見たときに何かが溶けあうような不思議な感覚に襲われた。
ゆっくりとバイクから降りる。
そして私の目の前に立った。
166㎝の私よりも頭一個大きい。
「ちょっといいかげんにしなさい!」
私と郷の間に神尾先生が割って入った。
「あんたには用はねえよ」
郷は神尾先生の肩をつかむと物でもどかすように無造作に突き飛ばした。
「きゃあっ!」
先生が地面に倒れ込む。
「なにすんのよ!不良!!」
バシッ!!
あっ……
やっちゃったよ。
思わず郷の頬を叩いてしまった。
郷が私をにらんだ。
もの凄い威圧感を感じた。
でも怯むわけにはいかない!
「神尾先生に怪我させたら許さない!」
ありったけの声を出して叫んだ。
こうなったらとことんやるまでだ!
「悪かったな」
郷はあっさり謝った。
あれ?
「ほらよ。保護者の先生、悪かったな」
倒れている神尾先生に手を差し出す郷。
先生はその手を払うとメガネを直しながら立ちあがった。
「じゃあなマリア。今日のところは帰るぜ」
「えっ?なに?用事ってなんなのよ!?」
もしかして名前言うだけだったとか?
「挨拶って言ったろう」
「そうだけど…」
「気の強いとこも気に入ったぜ」
「はっ!?ちょっと何言ってんの!?なんで私のこと知ってるのよ!?」
「そいつはまた今度だ」
言うや否や、郷はバイクにまたがるとアクセルを全開にして爆音とともに土手をバイクで降りていった。
あまりのうるささに私と神尾先生は耳を押さえた。
「なんだったの?あの不良」
「さあ…」
突然、私の前に現れて突然去っていった真壁郷。
私は遠くなるその姿を呆然と見つめていた。