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第2話


イヤホンから爆発するような音が響き渡り、私はその場で凍りついた。


「ベイビー、最高だよ!大好きだ!」


哲也の息遣いは、今まで聞いたことのないほど親密で卑猥だった。


「もっと大きな声で、私、聞きたいの……」


続いて、女の乱れた喘ぎ声。


下品な言葉と淫らな音が入り混じり、まるで毒の氷の針が鼓膜を突き刺し、心臓まで貫くようだった。私は必死で口を塞ぎ、悲鳴を噛み殺したが、涙は堰を切ったように溢れ出した。哲也の一つ一つの吐息が、鈍い刃物で胸を何度もえぐるようだった。枕は涙で濡れ、真夏の夜なのに全身が震えるほど寒かった。


とうとう耐えきれず、イヤホンを引き抜き、体を小さく丸めた。


一睡もできず、涙も枯れ果てる頃、ようやく冷静さを取り戻した。書斎には人が隠れられるはずもない。まさか、あれはビデオ通話だったのか?


盗聴器だけじゃ証拠にはならない。私は決定的な証拠が必要だった。


朝になり、哲也が出かけた後、しばらくしてからようやく体を起こした。体は重く、書斎の前で心臓が高鳴る。真実は一体何なのか――。


ドアノブに手を伸ばした瞬間、鍵穴が回る音がした。まさか、彼が戻ってきた!


慌てて手を引っ込め、何事もなかったかのようにソファに腰掛けてテレビをつける。指先は恐怖で震えていた。涙で腫れた顔を彼がじっと見つめる。心臓が凍りつく。


幸い、彼はただ「休みを取ったから、月見町に連れて行くよ。気分転換しよう」と言っただけだった。


仕事に夢中の彼が、突然旅行に誘うなんて不自然すぎる。昨夜の汚らわしい出来事が頭をよぎり、その表情が嘘くさく見えた。私は彼の目を真っ直ぐ見つめ、心の中を見透かそうとした。けれど、彼は澄ました顔で、疑っているのは私の方だった。


胸の中の憎しみと疑念を押し殺し、無言で荷物をまとめた。


二十六歳。もう衝動だけで動く年齢じゃない。自分に言い聞かせる――今は耐える時だ、と。冷静さこそが最善策だと信じていた。


それが間違いだった。


年齢相応の分別は身につけたつもりだったが、彼の巧妙な罠を見抜くことはできなかった。結局、私は彼の仕掛けた死の罠に足を踏み入れてしまった。


月見町は遠くなく、車で二時間ほどの距離だった。宿は山あいの静かな一軒家の温泉旅館。


トランクから荷物を下ろすと、冷たい銀色の金属製の医療用ケースが目に入った。


「妊娠中だし、何があるかわからないから念のためだよ」と、哲也は何の隙もない口調で言った。


観光地をいくつか巡り、重たい体を引きずりながら歩いた。彼は終始私のペースに合わせ、山道では手を引きながら支えてくれた。その姿は理想的な夫そのもので、もしかしたら昨夜のことは本当にただの一時の気の迷いだったのかもしれない――と、心が揺らぎそうになった。


山の中腹の東屋で休憩していると、崖のそばの青紫色のアジサイを指差し、「景色がきれいだから、写真を撮ってあげるよ」と言う。


私は言われるままにアジサイの前に立った。彼はカメラの角度を調整しながら「もう少し後ろに下がって」と優しく促す。


その通りに一歩、二歩と下がった瞬間――足元が崩れ、体が宙に浮いた。視界がぐるぐると回り、制御を失って転がり落ちる!


必死に枝にしがみつく。お腹に激痛が走り、冷や汗が吹き出した。赤ちゃんが――


誰かの叫び声が聞こえ、人だかりができる。


「妻です!」

哲也が叫び、私を抱き上げて山を駆け下りる。


私はしがみつき、か細い声で「…哲也、赤ちゃん…助けて…」と懇願した。


彼は慌ただしく走りながら、短く「うん」とだけ答え、視線をそらした。


結局、赤ちゃんは助からなかった。危険な状況の中、哲也は自分で私の処置をした。


目を覚ました時には、もう夜の十時だった。隣には誰もいなかった。


こんな夜遅くに、彼はどこへ――?


ベッドから這い出し、ふらふらとドアの方へ歩くと、外から押し殺した声が聞こえた。


「今回は運が良かったが、安心しろ。もう子どもはいない」

――哲也の声だった。


私は後ずさりし、背中が冷たい壁にぶつかってやっと立ち止まる。手の甲を噛みしめ、叫び声を押し殺す。涙が止まらなかった。


すべて――罠だったのだ。


二年も共に過ごしてきた夫、白衣をまとった天使だと思っていた人間が、実は人の皮をかぶった悪魔だったとは。


間違っていたのは、私自身の思い込みだった。


恐怖で喉が締めつけられる。なんとかベッドに戻り、目を閉じて眠ったふりをした。今ここで全てを問い詰めたら、命が危ない。


足音が近づき、ベッドのそばで止まる。私が眠っているのを確かめると、静かに部屋を出て行った。


ドアが閉まった瞬間、私は飛び起きて窓際へ走った。


夜の闇の中、哲也の影が裏山へと消えていく。その手にぶら下がる、膨らんだ黒いビニール袋――それはまるで死を招く鷹のように、私の視線を離さなかった。


本能が叫ぶ――追いかけなければならない!



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