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第22話 ひとりの朝

 朝、VR空間で起床する。少しでも刺激を減らした、色味の少ない、音のない部屋で毎朝目覚める。少し前までであれば目覚めたところですることはなく、たまに病院の人とお話をする程度だ。


 だが今は違う。

 メニュールームからゲームを選択し、現れた扉からゲーム内に入れば、イワヒバにとっては刺激の強い空間が広がる。


 朝の日光に照らされた景色、肌に感じる空気と温度、プレイヤーは少なく、木の揺れる音や鳥のさえずりが目立って聞こえる。

 これこそがきっと、「生きている」ということなのだろうと実感する。だからイワヒバは朝が好きだ。


 すぐに配信開始のボタンを押す。

 特に挨拶はない。イワヒバは未だに、配信というエンタメがどういうものなのかあまりよく理解していない。口数も少なく、声を聞けるのは時々独り言を口にするか、コメントとたまに交流する時……あるいは戦闘中の叫び声くらいだろうか。


 「……♪」


 僅かに口角を上げ、ゴキゲンな朝食の時間。

 このゲームの料理は『料理鍋』に食材をぶち込んでフタをして待つだけの単純な要素だが、それがイワヒバをワクワクさせるのだ。

(もちろん同じ食材を入れれば同じものが出来上がるが)テキトーに食材をぶち込み、何が出来るのか待つ時間が、イワヒバにとって至福の時である。


 「むぐむぐ…」


 本当に、美味しそうに食べるものである。

 表情の薄いイワヒバだが、食事中は比較的分かりやすく表情が変わる。とてもかわいい。

 配信アーカイブでは視聴率が最も高く、食事シーンをまとめた切り抜き動画が作られるほどの人気だ。ロリコンが多すぎる。もう終わりだねこの国。


 実際のところVRゲームの料理というのは基本的においしくはない。技術的に無理ということはないが、ちゃんと味があると満腹中枢を刺激してしてしまい、現実での食事が疎かになってしまうため、味の再現はかなり大雑把なものが大半だ。

 このゲームの食事でこんな笑顔が見られるのはイワヒバちゃんだけ!!


 閑話休題。


 朝食を終えるとボチボチ動き出す。

 フラフラと街を歩き、いつのまにかフィールドに移動していて、散歩がてら魔物を倒す。

 せっかくなので今日は新しいエリアに行ってみようと、あっちへフラフラこっちへフラフラ。


 【おはよ〜】

 【さすが、あさ はやいね】

 【さんぽ?】

 【(この子いっつもゲームしてるな……)】


 「……あ、みんなおはよう。みんなこそ、今日は早い。なんで…??いつも、仕事なのに…」


 【今日(きょう)土曜日(どようび)だし……】

 【きょうは おしごと おやすみ だよ】

 【みんなひらがなでかわいい】


 「ああ……前もいってたっけ。えっと……10時ね。そろそろ戻るね」


 時刻は10時過ぎ。

 いつもであれば散歩して時間を潰したあと、今や保護者となったフクロウと合流し一緒にプレイしているのだが……。

 ふと、妙に存在感のある森に立ち止まる。


 「む…?ダンジョンか……」


 適当に散歩していたらダンジョンのある奥まで来ていたようだ。


『賢者の森』。

 外の世界と隔絶するように白い魔法の霧に包まれ、入り口以外からは入れないようになっている。


 イワヒバは少し迷ったあと、モシュネーのメニュー画面を開き、フクロウに連絡する。


『ダンジョンきた。いっしょにやろう』


『ごめん!!!今は忙しいからまた今度やろう!!!』


 すぐに返事が返ってきたが答えはNO。

 イワヒバとしてはできればフクロウと一緒にやりたい気持ちが強かった。正確に言えばフクロウでなくてもいいが、頼れる大人の知り合いはフクロウくらいしかいない。


 周りにプレイヤーがいないこともないので、声を掛けてもいいが……。

 パーティーメンバーと談笑する者たち、1人で喋っている配信者、など……イワヒバには少し、声を掛けづらかった。


 「……しかたない、いこう」


 ──『賢者の森』、ソロ攻略開始。


 中に入ると薄暗い、鬱蒼とした森であった。

 自然の脅威というのは本能的に、恐ろしく感じるものだ。だが、森というのはこうも恐ろしいものだっただろうか。まだ野生動物の気配すら感じないというのに。


 イワヒバには、自然の脅威を知るほどの体験はまだない。だが、強い生存本能が危険信号を出し、自然と歩みは遅くなる。


 ふと、淡い光が差す。

 その光は、効果音とともに・・・・・・・増える。

 その光を人はこう呼ぶ。──魔法陣・・・と。


 「は?」


 ダダダダダダダッ!


 魔法陣から射出された無数の氷の弾丸に撃ち抜かれ、HP全損。

 イワヒバはこの日初めて、理不尽を知った。



 さて、それからかなりの時間が経ち、イワヒバはイライラしていた。


 突然飛んでくる攻撃魔法、踏むとデバフや状態異常がかかる妨害魔法、枝葉が変化しどんどん変わっていく道、そんな中走り続けることはできない自分の弱い身体、そんな事情を知らず「なんで走らないの?」と言ってくるコメント……。


 「……はあ」


 ため息。

 人が大勢集まると、それを見ているだけでこうも疲れるのかと呆れる。


 あれから3時間が経った。

 しかし一向にゲームが、歩みが、進む気配はない。

 イワヒバの心はとうに疲れ果てていた。


 「消すね」


 とりあえず、心の平穏のためにコメント欄は消す。何故今までこんな単純なことに気づかなかったのだろうと、またため息が出る。



 イワヒバは走ることが出来ない。

 現代医療の力でどうにかその形を保っている命は、VR空間内でさえ、長時間走ることが出来ない。


 理由はその血管の細さにある。

 例えば運動をして、心臓の鼓動が速くなれば血圧が上がり、その分血管への負担も大きくなる。

 勿論、普通の血管であれば……或いは多少細いくらいであれば、VR空間内であれば走れるだろう。


 だが、奇跡的に死んでいないイワヒバの血管の細さは常軌を逸している。

 何度も言うようだが、イワヒバの身体は死んでいなければおかしいレベルにあるのだ。


 ついでにまだ走ることになれていないので、時々転ぶ。最弱キャラか?


 「ふぅ……」


 深呼吸。

 VR空間において、呼吸をしても本来の目的……酸素を取り込むことはできない。しかし、呼吸という動作そのものには意味がある。


 深呼吸をすれば必然、心を落ち着かせ、集中力を高めることが出来る。


 「…………」


 入口前で立ち止まり、集中。


 魔法はどうも苦手だ。

 物理的な攻撃であればイワヒバの危機察知能力が反応するのか、不意打ちであってもある程度対応出来る。


 或いは、目の前に術者がいれば、魔法攻撃でも対処できるのかもしれない。


 牡丹の攻撃にすら反応できるカラクリには、やはり生存本能の強さがあるのだろう。

 相手の敵意を察知する能力が、そしてそれに反応して本能的に対処する能力が、イワヒバは他より圧倒的に高い。



 だからこそ、この賢者の森による魔法攻撃には脈絡がないように見えるのだ。音や光による合図は、イワヒバにとっては少し反応しづらい。


 「……よし」


 意を決して、中に入ろうとする。

 ……足が動かない。身体が、動かせない。

 何が起きたのか、イワヒバには分からなかった。


 だが、イワヒバ以外が見れば一目瞭然だろう。

 イワヒバの心はもう、折れてしまったのだ。


 イワヒバは痛みを恐れない。言い換えれば失敗を恐れないとも言える。それを人は心が強いと言うのだろう。


 だがそれは、少しずつでも進んでいる前提にある。

 前に進めるのなら莫大なリスクも厭わないが、1歩も前に進める気配がないのなら……そこに未来が見えないなら・・・・・・・・・・・・、イワヒバとて心が折れる。


 「ま、待ってっ!」

 「……ぁ、おにーさん」


 振り返ると、頼れるおにーさんことフクロウの姿があった。

 それで安心したのだろう。フクロウに駆け寄り身を委ねる。


 「随分大変そうだったから助けにきたんだけど……っておぉっといきなりのハグちょっとそれはあのまずいかも!!」


 「……あのね、えっと……わたしね、がんばったけどねっ……ダメ、だった……。もう前には、進めない……っ」


 「いやっ!そんなことはない!1人で無理なら誰かに頼ればいいし!?99%他人の力でも一応成功体験にはなるっていうかとにかくできれば離れてもらえると!!」


 そこは頼れるおにーさんとして安心させてやるべきなのだろうが、所詮はロリコン。そのような甲斐性があるはずもなかった。


 「ん"ん"っ……えーっと、イワヒバちゃん?君が転んだら手を差し伸べるし、君が立ち止まれば一緒に進んであげるくらいのことはするよ」


 「……なんで?」


 「……大人として!人として!困っている人がいれば手を差し伸べる!なによりここはMMOだからね!!助け合うゲームだからね!」


 嘘ではない。

 決して、ほんの少しでも下心があったなど、そんなことはない。断じてないのだ。


 「そっか……。じゃあ、おねがい。わたしを、連れて行って」

 「うん、任せて」


 嗚呼きっと、フクロウにとって自身はただのロリコンの変態野郎なのだろう。

 だが、イワヒバにとっては間違いなく「カッコイイ素敵なおにーさん」なのであった。



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