「歩きたいんですよ」
いつもの動画の、独特な語り口調で話し始める。
「賢者の森ありますけども。飛んでくる魔法を潜り抜けて走っていくだけのボスですけどね。
今回走るのが苦手なイワヒバちゃんをおぶって、歩いて攻略していきたいと思います」
やっていることは代行でクリアさせているだけではあるのだが、イワヒバのチャンネルであくまで配信の企画として成立するようにしている。これがプロの仕事。
背負ってみるとイワヒバは想像以上に軽い。これなら歩き縛りじゃなくても良かったかもしれない。
だが、思いついてしまった以上はやるしかない。それがゲーマーの性なのだ。
「イワヒバちゃん。僕もなるべくゆっくり歩くけど、落ちないようにしっかり捕まっててね」
「ん。わかってる」
賢者の森の中に入る。
序盤は木の枝から結晶の魔法が飛んでくるのを避けて進んでいくシンプルなステージだ。
イワヒバにとっては難しくとも、検証を重ね全てを熟知しているフクロウにとって、もはや通学路を歩くようなものだった。
知っている。知っている。知っている。
未知を少しずつ既知にしていく行程はまさに科学だが、それを知っていてなお、傍から見れば奇跡にすら見える。
それこそが『科学する神』と呼ばれる所以だ。
だが、進むほど攻撃は激しく、多彩になっていく。
魔法の追尾性は増し、速度に緩急が付き、地面からはイバラの魔法が生えてくる。
走っていても全て避けるのは難しい攻撃に、ついに魔法が眼前まで迫る──!
「…っ!」
イワヒバがぎゅっと目を瞑り、衝撃に備える。だが、いつまで経っても当たった様子はない。
目を開ける。HPバーはやはり減っていない。
何が起きたのか、今度はしっかりと目を開けて見る。
「f式の──『朧』」
イワヒバはたしかに、はっきりと見た。
見ているのに、自分の見ているものが本当か疑う光景だった。
魔法がすり抜けているのだ。
間違いない。何度も、何度も目を疑った。
確かに当たっているはずなのに、HPは減らないし、当たった感覚もないのだ。
「これを実用的に使える時が来るとはねえ!」
「ねえっ……!これ……なに、やってるの……?」
そう聞くと、「コホン」と咳払いをし、「詠唱」の準備に入る。
「f式の『朧』。それは朧のようにゆらめく動きですり抜けるゆらりゆらりと幽鬼のように──」
一息で謎の解説を入れる。
テンションがおかしい。のは、実はいつものことである。
フクロウは時折、こうして謎の解説を「詠唱」する。ある意味で語録化しているのだ。
f式の「朧」。
かつてフクロウが開発したVR歩法の1つ。
当初、いかに速く、あるいはいかに効率よく移動ができるかという部分で歩法が編み出され、淘汰されていた時期に、史上初めて判定を誤魔化す歩法を開発した。
コツはゆっくり動くこと。
ほんの数F、当たり判定がほんの少しだけズレる。連続で使い、あまつさえ弾幕をすべて避け切るなど至難の技だ。
だが、フクロウは違う。
フクロウは一度覚えた動きは絶対にミスをしない。
どれだけ複雑で緻密な動きであっても、1ピクセルのズレすらなく、完璧に再現する。
かの赤髪の最強がいなければ、彼こそが人力TASと呼ばれていた世界線すらありうるだろう。
「よ、よくわかんないけど……すごい……!」
「イワヒバちゃんにも後で教えてあげるよ。でもまずは、アイツを倒さないとね」
森の奥深くまで入ると、碧色に光る結晶が浮かび上がっている。
アレこそがこの『賢者の森』の核、本体である。
「あれを攻撃すれば勝ちだ!いってこいイワヒバちゃん!!フォローはする!」
「えっ、あ、うんっ…!」
まったく心の準備が出来ていなかったイワヒバちゃんだったが、フクロウの背中から下ろされればすぐに武器を取る。
前を見据える。
距離はほんの10mほど。本来、普通に走れば5秒もいらない距離だが、イワヒバにとってはそれすら長く感じた。
この距離ならたしかに、走りきることは可能だ。
嗚呼しかし、もう立ち止まっているヒマはない。
恐怖で足が竦むヒマもない。
覚悟を決めるヒマすらない。
「走れ!!!」
その声に背中を押され走りだす。
いつ、どこから魔法が来るか、判断をする余裕はない。
走る、走る、走る。まだか。まだ届かないのか。
時間と距離が延々と引き伸ばされていくような感覚だ。そろそろ届く。魔法に当たりさえしなければ。
「跳べ!!!」
イワヒバの生存本能による勘と同時に、声が聞こえた。その時には既に、高く遠く、距離をように跳んでいた。
「……おわりっ!」
武器を振り下ろす。
結晶が割れ、『賢者の森』はあっさりと死んだ。
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【『賢者の森』を討伐しました】
【NPC『オリーブ』が仲間になりました】
【スキル『魔力糸』がモシュネーに解放されました】
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「お疲れ。よく頑張ったねイワヒバちゃん」
「ん……ありがと」
疲れた顔で返す。クリアしたことで気が抜けたというのもあるのだろう。
休みつつ報酬を確認する。
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『魔力糸』
モシュネーを掴み、魔力を込めて念じると魔力の糸を出すことが出来る。魔力の糸で掴んで移動、引き寄せが可能だ。
基礎的な魔術だが、かつての賢者の1人はこれに可能性を見出したという。
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「ん……?」
イワヒバの表情が困惑に歪む。
漢字が読めないわけではない。フリガナはちゃんとある。ただ、ちょっと自分の理解を疑いたくなっただけだ。
「……おにーさん、これって……?」
「ん?あぁ、魔力糸ね。思念操作だからちょっとコツがいるけど、慣れると……ほら、こんな感じで!この森みたいに掴むとこ多いと結構楽しいよ!」
フクロウがモシュネーを掴むと、たしかに魔力で出来ているっぽい糸が伸び、木の枝に引っかかるとそのままフクロウの身体を引っ張って移動した。
なるほど、便利だし、楽しそうな能力だ。
はぁー……と、イワヒバはため息をつく。
遠い目をしながら独りごちる。
それ、先に欲しかったな……と。