(…………あれ?)
ふと目が覚めた和哉は自分がベッドの上に横になっている事に気が付いた。
どうやらネアイラ村の宿の一室のようだ。
開け放った窓の外からは爽やかな風と共に夕陽が差し込んでいる。
まだ覚醒しきれない頭で辺りを見回す和哉の目に、ベッド脇の窓辺で椅子に腰掛け、うつらうつらしている人影が映った。
オレンジ色の夕陽の中、銀色の少し長い前髪が風にそよいでキラキラと光っている――その姿はまるで一枚の絵のように美しく、思わず見惚れてしまうほどだった。
(綺麗だな……)
和哉は暫くの間ぼんやりとその姿を見つめていたが、不意にハッと思い出した。
(あ、そうか、僕、怪物にやられて……)
思い出した途端にズキンッと肩に痛みが走り、顔を
「痛ぅ……!」
思わず漏れた呻き声に気付いたのか、ギルランスがハッと顔を上げた。
「気がついたか……」
琥珀色の瞳を心配そうに細めながらもホッと息を吐いているギルランスの様子から、どうやらかなり心配してくれていたようだという事が分かった。
「――っ、はい、ご迷惑をおかけしました」
痛む右肩をかばいながら上体を起こそうとする和哉をギルランスが慌てて制した。
「おい、無理すんなって、まだ動いたらダメだろうが!」
相変わらずの口調だが、本気で心配してくれているのが分かるので、和哉は嬉しく感じつつ、彼を心配させないよう笑みを見せる。
「大丈夫ですよ、ちょっと寝過ぎたみたいで背中と腰が痛いですけどね」
「ったく、こんな時まで強情だな、お前は!」
呆れたように言ってはいるが、顔には安堵の表情が浮かんでいた。
和哉は上体を起こし、改めて自分の体を確認してみる。
上の衣服は着ておらず、肩から腹にかけて丁寧に包帯が巻かれていた。
他に腕や足などあちこちに切り傷ができているようだが、こちらはどれもかすり傷程度だった。
(しかし、僕はよく気絶するなぁ。本当に弱っちくて情けないや。その度にギルランスさんに迷惑かけちゃうし……)
和哉が
「それにしてもお前、あんな無茶しやがって……死んだらどうするつもりだったんだ」
(うっ……それを言われると……)
「すみません。でも体が勝手に動いてしまって……僕が余計なことしたせいで、またギルランスさんに迷惑かけちゃいましたね」
苦笑しながら謝る和哉に対して、ギルランスは少しバツの悪い顔をした後、真面目な表情になり首を振った。
「いや、今回の事は俺の油断が原因だ。俺がもっとちゃんと警戒していれば、お前があんなふうに傷つくことはなかったんだ……悪かった」
頭を下げるギルランスに和哉は慌ててしまう。
(えっ! いやいや、悪いのは弱いくせに勝手に飛び出した僕でしょ!?)
まさかこんな風に謝られるとは思っていなかった和哉は焦りまくる。
いつもの
「い、いえ! ギルランスさんのせいじゃありません! 僕が勝手にやったことですから気にしないでください」
慌てる和哉に、ようやく顔を上げてくれたギルランスだったが、その表情は暗いままだ。
「いや、だが……」
なおも納得いかない様子のギルランスにどうすれば伝わるのだろうかと考えた末、和哉は自分の正直な気持ちを伝えることにした。
「ギルランスさん、僕はもうすでにあなたに二度も救われてるんですよ」
「なに?」
「あの時――あの荒野であなたが僕を助けてくれていなければ、僕はあのまま
和哉はギルランスを真っ直ぐ見つめながら力強く断言する。
「あなたは僕の命の恩人なんです」
その言葉にギルランスの瞳が少し揺れ動くのが分かった。
そして照れたようにフイッと顔を逸らし、いつものぶっきらぼうな態度に戻る。
「俺はそんなつもりでお前を助けたわけじゃねぇぞ」
そんなギルランスを見ながら和哉はクスリと笑った。
(うん、知ってるよ……あなたはそういう人だよね)
ギルランスが本当はとても不器用で優しい人だということも、ただ素直になれないだけだということも、和哉はもう分かっていた。
だからこそ自分はこの人の力になりたいと思うのだ。
次の街に着けば、そこで別れなければならないことも分かっている。
それでも、(自分にできることは少ないかもしれないけど)せめてその間だけでも、彼が少しでも心安らぐことができるように支えていきたいと感じていた。
和哉はフッと微笑みながら心からの言葉を伝えた。
「ギルランスさん、ありがとうございます」
そんな和哉の感謝の言葉にギルランスは振り向き、困ったような顔をする。
「だから、俺は別に――」
「僕と一緒に旅をしてくださって、僕なんかのために心配して怒ってくれて……本当に感謝しています」
ギルランスが言いかけた言葉を遮るように和哉が素直な自分の気持ちを伝えると、彼は目を見開き固まった。
「これからもよろしくお願いしますね」
そして、和哉がニッコリ笑いかけて言うと、ギルランスはなぜか口をパクパクさせたかと思うとプイっとそっぽを向いてしまった。
(あれ? 怒らせちゃったかな?)
自分のこの正直な気持ちは彼にとっては迷惑なことだったのか?――と和哉が不安になった時、小さな声で「……よろしくな」と言ったのが聞こえた。
どうやら受け入れてもらえたらしいが……。
(ほんとにこの人は……)
ギルランスのツンデレな様子がなんだか微笑ましくて思わず笑ってしまった和哉に対し、今度はキッと睨みながらギルランスは顔を近づける。
「おい、なに笑ってんだよ」
ギルランスにギロリと睨まれて和哉は慌てて弁明する。
「いえ、えーと、よく考えるとギルランスさんと出会ってからまだ二日くらいしか経ってないんだなって思いまして……なんだかすご―く長く一緒にいる気がしますけどね、えへへっ」
誤魔化すつもりで言ったのだが、本当にその通りで、和哉はなんだか可笑しくなって笑ってしまった。
するとギルランスは一瞬ポカンとした表情になった後、フッと笑った。
「確かにそうだな。あー、いや、正確には四日だな……お前、二日間寝込んでたからな」
「え? そんなにですか!?」
驚く和哉にギルランスは呆れたように溜息を
「ああ、丸々二日寝てたぞ? まぁ、俺もさっきまで寝てたけどな」
「す、すみませんでしたっ! その間、ずっと看病してくれてたんですね?」
まさか自分がそんな長い間寝ていたなんて全く知らなかった和哉は申し訳なくなってしまい、慌てて謝った。
そんな和哉にギルランスは苦笑いをし、「いや別に謝る必要はねぇけどな」と返す。
「まぁ、そこは気にすんな、別に大した事じゃない」
(うぅ~、やっぱりいい人だなぁ~)
それでも自分のせいでギルランスが看病をしてくれていたことに変わりはなく、和哉は申し訳なく思うと共に感謝せざるを得なかった。
(本当にありがとうございました……つか、それにしても、僕、すごい体験しちゃったなぁ)
心の中で感謝の言葉を述べながら、ふと、あの怪物に襲われた時のことを思い返していた和哉だったが、そこでハッと、とても大切な事を思い出し、顔を上げた。
「あっ! そういえば、ギルランスさん、あの時僕の名前呼んでくれましたよね!?」
あの化け物に襲われた時、ギルランスは和哉の名前を呼んでくれたのだ。
突然そんなことを言い出した和哉にギルランスは一瞬固まった後、気まずそうに視線を逸らしてしまう。
「……さぁな、気のせいだろ」
ぶっきらぼうに答えるギルランスだったが、明らかに誤魔化している態度だ。
和哉が(なんでそこで誤魔化すんだよ)とばかりに抗議するような視線でジッと見つめていると、彼は渋々といった感じで口を開いた。
「あぁ、まぁ、呼んだかもな……なんか咄嗟に口から出たんだよ。あの時は必死だったからな、あんま覚えてねぇよ……」
まだ言い訳めいた言葉で誤魔化しているようだ――そっちがその気ならと、和哉はさらに問い詰めてみる。
「『名前くらいいくらでも呼んでやる』って言ってくれたじゃないですか!?」
「――なっ!? おまっ! それ聞いてたのかよっ!?」
追い打ちをかけた和哉の言葉で、しらを切ってることがバレバレだったと分かったようだ。
ギルランスの焦っている様子を見て和哉が思わず笑うと、キッと睨まれる。
「――お前、いい性格してんな!」
怒っているような口調だが照れ隠しだと分かっている和哉には全く通用しない。
それどころかむしろ可愛く見えてきて余計に笑いが込み上げてくる。
「っふ、あはは、ごめんなさい、つい――痛ッ!」
笑いながら謝った瞬間、和哉の右肩に激痛が走った。
「ほら見ろ、笑うからだ! 大丈夫かよ?」
そう言いながらも心配そうな顔で覗き込むギルランスを、和哉は上目遣いでチラリと見上げる。
「名前呼んでくれたら大丈夫になりますけど……?」
痛みで涙目になりながらもそう
「あー、くそ、わーったよ! 呼べばいいんだろっ!!」
少々ヤケクソ気味に叫ぶギルランスを見て、和哉はまたずクスクスと笑ってしまう。
そんな和哉の様子を見ながら諦めたように溜息を漏らした後、ギルランスは手を伸ばしてポンと和哉の頭に置いた。
そして(彼としたら改まって面と向かって呼ぶのが照れくさかっただけなのだろうが)そのまま和哉の耳元に顔を寄せて囁やく。
「カズヤ」
瞬間、まるで雷にでも打たれたかのような衝撃が和哉の全身を駆け抜けた。
(うわぁぁぁああ!!!)
あまりの衝撃に言葉を失う。
一気に顔が熱くなり、汗がドッと噴き出し、和哉はそのまま固まってしまった。
「呼んだぞ! これで文句は……って、おい! カズヤ? どうした? どっか痛むのか!?」
和哉の異変に気付いたギルランスは焦ったように声を掛ける――それだけ挙動不審な態度だったのだろう。
(痛い? うん、そりゃ痛いよ!)
「いえ、どこも痛くはありません! 大丈夫です!!!」
(むしろ痛くないところがないくらいです!)
上ずった声で答える、完全にパニック状態の和哉の様子にギルランスはますます
「いや、どう見てもおかしいだろうが……すげぇ汗だぞ?」
(いやいやいや、あなたのイケボが悪いんですってば! ってか、なんで耳元なんですか!? あざといかよ!!!)
和哉は心の中で思い切り抗議するが、もちろん声に出して言えるはずもなく……とにかく平常心を取り戻そうと一度深呼吸すると、困惑した表情で覗き込むギルランスに対して慌てて誤魔化した。
「いえ、ほんと大丈夫ですから気にしないでください!」
(ホントは心臓バックバクなんですけどねっ!)
必死の形相で言う和哉を疑わしそうな目で見ていたギルランスだったが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……ったく、変な奴だな。それならいいが……」
ギルランスの言葉に和哉はコクコクと頷きながら内心で安堵の溜め息をついた。
(ふぅ~、危ないところだった。なんとか誤魔化せたぞ! イケメンの破壊力、ハンパないな!――っていうか、あれ? この人こんなに優しかったっけ? 出会った時はもっと怖くて冷たい感じだった気がするんだけど……あれ? あれれ?)
和哉がそんな事をぐるぐると考えていることなど知る由もなく、ギルランスは思いついたように言う。
「なら、お前も俺のこと、『ギル』って呼べ――あ、あと敬語もなしだ」
(ふぁっ!?)
「ええっ! い、いや、そんな……」
ギルランスの突然の要求に和哉は面食らって目を見開いた。
さすがにいきなり愛称呼びのうえに、タメ口というのはなかなかハードルが高い気がして
「なに驚いてんだよ?」
「え、いや……だって……い、いきなりそんなこと、言われましても……」
戸惑いを隠せずしどろもどろになりながら答える和哉に構うことなく、ギルランスは有無を言わせぬ勢いで迫る。
「いいから、さっさと呼べよ!」
(うわぁあああ! なんなの、この人!? なんか急にめっちゃグイグイ来るんですけど!?)
何かのスイッチが入ってしまったのだろうか、先程困らせた仕返しかと思えるほどに急にテンションが変わるギルランスのペースについていけない和哉だったが、その剣幕に
「っわ……分かったよ。ええと……ギ、ギル?」
なんとか言ってみたものの、噛んだうえに声が裏返ったのが恥ずかしくて和哉は思わず俯いてしまう。
(うわぁああ! は、恥ずかしいっ!)
顔から火が出そうなくらい熱くなった和哉だったが、ギルランスは特に気にしていないようだった。
「よし、それでいい」
ギルランスは満足気に頷くと、ニッと笑いながら和哉の目の前に拳を突き出した。
一瞬驚いたが、それが彼なりの「よろしくな」という挨拶なのだと分かり、戸惑いつつも和哉も同じように拳を作って前に出すと、コツンとお互いの拳がぶつかった。
「よ、よろしく! ギル!」
「ああ」
二人は顔を見合わせると、どちらからともなく笑みを