「私は紗紅夜。早速だけど、泥棒の流儀ってものを教えてあげる」
そう告げる声は、艶やかながらもどこか底知れない響きを帯びていた。私が今いるのは、グレートブリテン王国の心臓たる王都ブリテンだ。この国で最も人口が密集し、私の「仕事」の獲物には決して事欠かない。
この都には、冒険者と呼ばれる者たちが数多く集う。彼らは英雄譚に憧れ、新たな人生を夢見て、日々、新米(ニュービー)が誕生しては消えていく。彼ら、愛らしいひよこちゃんたちへ、現実という名の社会の厳しさを教えてあげるのも、私、紗紅夜にとって大切な仕事の一つだ。
王都の喧騒の中心にある、ひときわ大きく威容を誇る国営銀行。そこでは、日夜、貨幣の預け入れや余剰物資の保管など、様々な取引が執り行われている。冒険者であれば、出発前と帰還後に必ずと言っていいほど立ち寄る場所だ。そして、そこにこそ、私の獲物が潜んでいる。
新米の冒険者は、まだ世の荒波を知らない。その無垢な心構えこそが、私の狙い目となる。ちょうど、真新しい革の装備に身を包んだ、いかにも駆け出しといった風情の冒険者が一人、銀行から出てきた。きっと仲間と合流し、狩りにでも出かけるのだろう。そう、こういう浮かれきった瞬間こそが、最も隙だらけで、最も狙いやすいのだ。
冒険者が仲間と待ち合わせているであろう王都の東門へと歩き出す。私は、足音一つ立てず、まるで風に溶け込むかのように建物の影を利用しながら、その背中を追従する。すれ違いざまに体当たりして品物を盗むなど、そんな野暮な真似は素人のすること。私の流儀は、まず対象の持ち物を「物色」する。そのために使うのが、私の得意とする【スニーキング(覗き)】のスキルだ。
対象の影に滑り込み、肩から下げられたバッグの中を、まるで覗き込むかのようにひっそりと観察する。私ほどの熟練者になると、一瞬で、どの位置に何が収められているかを完全に把握できる。
ヒールポーション(体力回復)が二本。これは最も回復能力が低いレッサーだ。そしてキュアポーション(解毒)が一本。緊急帰還用にリコールスクロールが一本。これは魔法の才がない者でも、これを使用すれば一度だけ発動できるという便利なマジックアイテムだ。
そして、ゴルドポイント、通称GPと呼ばれる貨幣が、麻袋にざっと200GPといったところか。ちなみにレッサーヒールポーションが15GP、リコールスクロールが40GPだから、駆け出しの冒険者にとって200GPがいかに大金か、これでお分かりいたたけるだろう。
この情報を一瞬で見極めるには、並大抵ではない経験が必要とされるのだ。一朝一夕で身につくようなら、私の立つ瀬がないというものだ。
品定めが終われば、あとは頂戴するだけ。だが、闇雲に盗むような真似はしない。そんな無粋なことは、あくまで素人のやることだ。私はプロとして、明確に狙いを定めた獲物だけを、優雅に、そして確実にいただくのが流儀なのだ。
冒険者の歩幅、歩数、そして呼吸のリズムに完全にシンクロさせ、対象の影へと溶け込む。そこから、まるで空気の一部のようにバッグへと手を伸ばし、対象のGPが入った麻袋だけを、するりと抜き取った。
そして、最も細心の注意を払わなければならないのが、この抜き取った直後だ。バッグの重さが急に軽くなる。よほどの間の抜けでなければ、大抵の者は違和感を覚えるため、衛兵を呼ばれてしまう。この衛兵どもがまた厄介で、王都中に散らばる衛兵が、まるで網を張るかのように集まってくる。そうなれば、逃げおおせるのは至難の業だろう。
そうならないためにも、抜き取った瞬間に、私はすぐに建物の影へと滑り込む。そして、ここで発動するのが、私のもう一つの秘奥、【ハイディング(隠蔽)】のスキルだ。対象から認識されていない状態でこのスキルを発動すれば、文字通り影となり、その存在を誰からも認識されることはなくなる。まさに泥棒のために授けられたような、天命としか言いようのないスキルだ。
付け加えておくが、私は一人の対象から根こそぎ奪うような真似はしない。あくまで、一つだけ。まあ、ごく稀には、本当にごく稀にだが、すべて頂戴することもあるけれど。
先ほどの駆け出し冒険者。一瞬、バッグを提げた肩に微かな違和感を覚えたようだったが、すぐにそれと気付かずに歩き去ってしまった。
ふふ、まあ、これも洗礼だと思って、せいぜい頑張るがいい。