リックは眉根を寄せた。ざっと気配を探ったが、この店の周りに他の仲間はいないと分かった。
多くを話したわけではなくても、聞いた言葉から目の前の男達が何者であるかも、その目的も大方の予想がつく。ならば、これだけの人数であるはずがない残りの仲間が何処にいるかは、頭を捻らなくても分かることだった。リックは顔だけを向け、背後に問う。
「マスター、ここは任せられるな?」
「勿論だ」
ジョアンはニカッと歯を見せて大きく笑い、シャツの袖をまくった。布がキツそうだった袖から出てきたのはプヨンプヨンの肉ではなく、二日前に店を荒らした海賊に劣らない筋肉質の腕だった。その両方の二の腕には刺青がある。リックの口の端が上がった。
「やはりそうか。あんた
「鋭いな、お客さん」
ガハハとジョアンが笑う。
「俺のことはリックでいい」
「そうか、じゃあリックさん。俺はここを。こいつらは店から出させないから、安心してくれ」
「ああ、俺は外を」
「頼みました」
リックとジョアンの会話は少なかったが、きっちり自分達の役割を理解していた。ジョアンが手の骨をボキボキ鳴らせながら、リックの前に立つ。
「この人数に一人で相手か?いくら鍛えてても、中年じゃ体が着いていかないんじゃないのかぃい?おまけに素手ときた。無謀だぜ、オッサン」
「本当だぜ。店から出さねぇってのは、此方のセリフだっての」
男達はゲラゲラと下品な声で笑う。それから一斉に剣や短剣、銃に鎖付きのトゲトゲした鉄玉などの武器を出した。
「なら体験してみるか?特別サービスで初回無料だ」
ジョアンはパンと拳と拳を合わせた。そして床を蹴る。銃を構えた真ん中の男が瞬きをしたときには、目の前に憤怒の形相のジョアンと振り上げられる拳があった。
「ドッセイ……オォラァッッ!!」
ボガァアアン!輪郭が曲がるほど頬に拳を叩き入れられ、男がドアと一緒に、向こうの建物の壁に叩きつけられてめり込む。
「俺はオッサンじゃない。オヤジだ。愛娘のな」
ジョアンは姿勢を戻し、ドヤ顔で両手をパンパンと払う。御年四十二歳。銃よりも速く、その年齢が嘘のような俊敏な動き。残された仲間は唖然とした。その間にリックは笑いを浮かべながら堂々と外へ出ていく。
「あーあ、マスター。またドア壊れたぜ」
「ハッ!」
入り口に目を向け、元々怒り目をしていたそれが更に釣り上がった。ゴゴゴゴゴゴ。目にも背中にも炎が燃えるようなオーラが宿った。
「てめぇら、今朝付け替えたばかりのドアを、よくも壊しやがってぇええーっっ!!」
「でぇええ!?いや、今のはオッサン、アンタが自分でやったんだろ……って、ギャアアアアア!」
「問答無用だ、グォラアアア!」
一気に二人の顔面に拳をねじ込み、床に叩きつける。二人の男の足が床から出る形となった。ジョアンはまた腰を上げ、やられた男を見た。
「床がぁ!」
「それはアンタのせいだーっ!」
残された男がジョアンを指さして叫ぶ。
「俺の店を壊すなァア――っ!」
「ああああああ」
頭に血の登ったジョアンに主張を聞き入れられることなく、また二人同時にやられた。今度は二人の頭を掴み、額同士をぶつけさせたので被害はなかった。
「……ったく、また片付けからやり直しだ」
ジョアンは手を払った。それから気づく。
「おっといけねぇ。店の外に出さねぇ約束だった」
向かいの建物の前で伸びている男を拾いに行き、担いで戻った。全員をそれぞれ縛り上げ、さらに五人纏めて縄をかけた。
「これでいいか。今回はあっちの建物の壁も弁償だなぁ。リックさんから貰った残りで足りっかな?」
頭をガシガシと掻いていたら、急に閃いた。
「おお、こいつらから修理費を頂けばいいのか。壊したんだから当然だな」
全員のポケットを調べ、財布を取った。
「これで良し。あとはリックさんの方だな」
ジョアンは腕を組んで仁王立ちになり、当分意識を戻さないであろう男達の見張りに入った。
***
ザッザッと草を踏む複数の足音が、至る所から聞こえてくる。
「はぁ……はぁっ……」
レティは後ろを振り返りながら、できる限りの全速力で走っていた。
(どうしてこんなことに……?)
十分ほど前、店の様子を見に行ってみようと出掛けたところに、道を此方へ向かって十人くらいの男が上ってくるのが見えた。レティに気がついた男達が、指を向けて叫ぶ。
「いたぞ!」
「一人だ、捕まえろ!」
「――えっ?」
戸惑うレティの方へ突然全員が走り出した。良く分からないが逃げないとまずいと言う雰囲気は感じ取れ、それから逃げ惑っていると言うわけだ。
幸いここが自然のままに作られた道であり、住んでいるレティの方が地理に詳しい事も手伝って、ギリギリ逃げられている状況。とはいえ、滅茶苦茶に走ってきてしまい、帰り道は分かるが、どういったルートで逃げるべきかが分からなくなってしまっていた。
少しでも息を整える為に、周りを確認して走りを止めた。木に手をつき、胸を押さえて呼吸をした。すると……。
「居たぞ!」
背後から飛んできた声にハッとして振り返ったところ、男が一人レティを指差していた。茂みを掻き分けてこちらに近づいて来る。
レティはまた走り出した。息が苦しくて脇腹が刺すように痛む。おまけに坂道しかない。けれど、足を止めたその時が最後だ。とにかく走っていたら、突然目の前にブルーが広がった。
「ああっ!」
反射的に足を止めざるを得なかった。ここはいつも来ている場所。岬だ。
「やっと追いついたぜ。追いかけっこもここまでか?」
体の向き変えると、先程レティを見つけた男が数メートルの距離に居た。
「逃げられねぇよなぁ?落ちたら死ぬかもしれねぇもんなぁ?死体もあがってこねぇかもしれねぇよ?ああ恐ろしい」
息を整えた男が額を腕で拭い、前に進む。その分レティは後ずさった。
(何とか隙を……)
レティは混乱した頭の中で、絞り出した方法を使う。
「どうして、私を……追いかけるんですか?」
「ついてきたら教えてやるよ」
上手くかわされてしまった。
「この状況で隙をつこうなんて、考えるなよ?無駄だ」
「!」
自分の考えを見透かされ、ショックを受けた。その上、恐怖でレティの目尻がじわりと水気を帯びる。
(怖い……。どうしたらいいかわからない)
少しずつしていた後ずさりが止まる。踵が軽い気がしたからだ。
「っ!」
岬の先端に来てしまい、もう後に進めなかった。落ちるのを防ぐため無意識に足を前に出したが、体もそれに従って僅かに前のめりになってしまった。
「ほぉら、捕まえた」
二の腕が温かくなって顔を上げる。ニヤリと笑う男の顔が目の前にあった。
「ゲームオーバーだ」
「やっ……」
レティは顔を背けて目を閉じる。
(怖い!助けて……!ジョアンおじ様……)
脳裏に浮かぶのは、大好きな養父とそれから――。
(リック様!リック様、リック様、リック様……っ)
自分を助けてくれた強い恩人。謎の人。彼がまた来てくれたなら……。
チャキッ。聞きなれない音に薄く開け、驚きのあまり目を見開いてしまった。
男が持っていたのは銃。銃口が此方に向いている。反射的に身を竦める。
「ごめ……なさっ」
「別に、謝って欲しいわけじゃねぇんだよ?」
レティの声を聞き、男が呆れたような笑いを浮かべた。
「殺しゃしねぇから、安心しな」
銃口が天に反れ、パンという音ともに放たれた。
まだ明るい空に太陽とは違う閃光が、花火のように散る。
(これは……仲間を呼ぶ合図!)
閃光の意味が分かり、背中が冷えた。
(助けなんか待ってたってしょうがない)
レティは男と視線を合わせた。
「ん?」
今までと違う目付きに変わった少女を見て、男が妙な顔をする。
(覚悟を決めないと)
ジョアンは、街で店の修理や買い出しに忙しいはずだ。リックなんか、何処にいるのかすら分からない。
(自分の身は、自分で何とかしなきゃ)
横目でチラリと海を見た。広がるのは穏やかな波。ギュッと目を閉じて、唇を噛み締めた。
「あなた達に捕まるくらいなら、飛び降りるのなんて怖くないわ!」
逃げ場が無いことにたかをくくり、レティを掴む男の力は弱かった。レティはその拘束を振り切って、有らん限りの力で男の胸を押した。
「な……っ!」
代わりに細い体が弓形に反り、岬を離れた。男が慌てて手を伸ばす。
(海は怖くない。ここにはそう、……お父さんとお母さんもいるんだから!!)
重力に素直に従い、体が水面を目指して落下する。自分の体が風を切るヒュウッという音に紛れ、レティの名を呼ぶリックの声を聞いた気がした。
***
リックが昨日のように、街から離れた緩やかな坂道を登ってからいくらもたたないうちに、大きな声が聞こえてきた。
「探せぇ!」
「何処だぁあ――」
(捕まってないようだが、まずいな)
気配がバラバラに散っている。ざっくりした方向はわかるので、全員を倒していってもいいが、それだとレティを見つけるのが遅れてしまうし、迷ったら尚更状況が悪い。
(あの子を探すのが先決だな)
リックは走るスピードを上げた。途中で出会ってしまった輩だけを倒して行く。酒場に来た人数の倍くらいあった気配が、探し回るうちに半分程に減った。
レティの悲鳴が全く聞こえないのはまだ捕らえられていない証拠であるが、同時に声からの距離を読み取れないので、気配からの方向のみが頼りだ。
(あっちか)
人数が落ちたお陰で、レティの気配が掴めた。
(しかしこの方向は確か……)
走り続け、昨日猫を追った道になる。
(やっぱり)
岬が見え、同時に男一人の背中と向こうに誰かが見える。
「レ……」
名を呼ぼうとしたら、男がレティに銃を突きつけた。距離的に自分の位置から走っても、引き金を引いたら助けが間に合わないし、レティの足元は落ちる間際になっている。下手に動いて男とレティのどちらを刺激しても危ない。
(どうする)
考えが纏まるより早く、銃口は空に向いて閃光が出た。そして驚いた。レティがその後に自ら男を振り切り、岬の外へと体を投げ出したからだ。
「レティ!」
「!」
リックの声に気がついた男が、こちらを振り返る地面を蹴り、瞬間移動のような瞬発力で男を倒した。倒れて呻く男の上に膝を着き、岬の下を覗いた。
レティが落ちている。リックに迷いはなかった。中腰の体勢から弾みをつけ、リックも岬から海へと向かって飛び込むように降りた。例え海に落ちる前に、あの手を掴むことが出来なかったとしても――。
(やりたいことがあると言った。叶えないうちに、死なせてたまるか!)
深紅のロングジャケットが空に舞う。下からの空気に圧迫されて息が苦しい。リックの眉が寄った。だが、レティの姿だけは目から外さない。
そのまま海に落ちるかと思っていたのに、途中でレティの体に変化が起きた。華奢な体を、光の波が通った気がした。
(何だ?)
そう思ったとき、光の球体がレティを守るように包んだ。落下速度が落ちる。この状況なら手が届くかもしれない。そう思ってリックは叫んだ。
「レティ――っっっ!」
(目を開けろ、生きたいと願え。諦めるな!死ぬんじゃない!)
***
リック様……。
リック様、笑わないで下さいね。
私、追い詰められたら、心の中に貴方を想ったんです。そうしたらリック様の声を聞いたんです。
どうしてなんでしょう?
あの日から、貴方を想うと胸が切なくて苦しくて痛むけど、でも甘酸っぱいイチゴのような……。そんな気持ちになるんです。こんな気持ち、初めてでどう対処したらいいのかわかりません。
海で死ぬなら怖くない。けど、貴方ともう一度お話がしたかった。お返事も伝えてない。
死ぬ間際かもしれないのに、心が貴方で一杯なんです。また貴方の声が、私を呼ぶ声が聞こえます――。
レティは目を開けた。何故か、透き通った金に染まる景色のその向こうに……。
(リック様の幻が……)
海に落ちたあとどうなるとか、この際どうでもいいことだ。レティは両手を伸ばして微笑んだ。嬉しくて嬉しくて涙が溢れ、宙に散る。
膜は依然そのままに、背中に透き通る金の羽根で出来た翼が出てきた。
「レティッ!」
「!」
パシッ!追い付いたリックの手がレティに届く。手首を掴まれた感触に、目を見開いた。直後、腰に手を回されてしっかりと抱き込まれた。
「リ、リック様?」
「まだ……答えを聞いてない」
少し短い呼吸の合間に話す声が、耳の側で聞こえる。
「答える前に、勝手に……っ、死ぬな」
(夢じゃない……)
「はい、はい……っ」
レティは泣きながら頷いた。頭を振って涙を払い、見えやすくなったリックの向こうを見て息を呑む。
岬に自分を追いかけていた男が集まって、その一人が此方を睨みつけ、銃口を向けていた。狙いはリックだ。今度は閃光の銃などではないだろう。そして今の二人の状態に抗う術はない。
「リック様っ」
レティは咄嗟に体を反転させ、リックを自分の下にした。同時に、パァンという銃声が海に伝う。
「ああっ」
銃弾がレティの羽根に当たって貫かれる。そのまま弾は海に飛び込んだ。
「レティ!」
今度はリックが驚く番で、レティの透き通る金の羽根が壊された破片のように散りながら消え、翼はなくなってしまった。
「大丈夫です。何ともないですから」
リックを安心させるように、笑って見せる。
「けど……落ちてしまいます」
「泳げるか?」
「頑張ります」
そのまま二人は海へと突っ込んだ。