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4曲目 甘美なる声が忌まれる理由

 ――チュンチュン。


「……はぁ……」


 机に伏せていたレティは、カーテンの合間から部屋へ細く差し込む光と鳥の声に気づき、顔を上げてため息をついた。それから。


「ん……どうしよう……」


 『どうしよう』で一晩中埋め尽くしたが、答えはでなかった。両親のいた土地に馳せる想い、誰の目も気にせずに自由に歌を歌える世界はとても恋しい。同時にジョアンのことも胸を締め付けた。


 彼についていきたいのに、ついていけない。そんな気持ちだった。そういう想いは彼が何とかしてくれると言った。それがほどけたら、答えは出るのだろうか?緩慢な動きで立ち上がり、カーテンを開けたときにあることに気がついた。


「あ!」


 外の風を受け、揺れるそれ。


(洗濯物を取り込んでなかったわ!)


 リックの言葉に頭を占領されて、すっかり忘れていたのだ。レティは慌てて玄関に向かう。サンダルに足を突っ込み、忘れない挨拶。


「お父さん、お母さん、おはようございます!」


そうして外に走った。


***


リックが二度目の酒場に向かった時、丁度ドアの取り付けが終わったところだった。


「毎度おおきに、ジョアンの旦那。また気軽に声を掛けて下せぇ!」

「バカ言え。そんな直ぐには世話になんねぇよ」


 修理業者と思わしき男に、ドアの外でガハハと陽気に笑って、ジョアンが答えた。


「あれぇー?その言葉、二ヶ月前にもあっしは聞きましたぜぇ?旦那」

「うるせーよ」


ジョアンは太い腕で、業者の背中を叩いた。


「ま、もしもだな。もしも万が一そんなことになったら宜しく頼むよ」

「へい、もちろん。任せてくだせぇ。じゃ、また」


 業者を見送り、その姿が離れたところで、リックはジョアンの方に歩みを進めた。


「貴方は……」

「ドア、直ったな。マスター」


 目立つ上着の人物が視界に入り、ジョアンがリックに気がついた。


「はい。置いてもらったルビーのついたブレスレットのお陰で。あの時破損した分を新調しても、余りすぎるくらいのお釣りが来ました。本当に頂いてしまったままで良かったんですか?」

「構わない。今日は、聞きたいことがあって来た。時間はとれるか?」

「勿論です。さあ、中にどうぞ」


 ジョアンは新しいドアの向こうに手を向けた。二人とも店内に入る。リックは初めて来たときと同じように、カウンターの席に腰を落ち着けた。


「飲み物はいかが致しましょう?この間と同じもので?」

「いや……。アルコール以外で構わない」

「インスタントになりますが、コーヒーで良いですか?」

「ああ」

「畏まりました」


 ドリップのインスタントをコーヒーカップに被せ、ジョアンはお湯を注ぐ。暫くしてコーヒーが出切り、リックの前に湯気の立つ白いカップを置き、自分用に用意した分にも口をつけ、訊ねた。


「して、お聞きになりたいことと言うのは」

「レティのことだ。ここの島民は、どうもレティのことをよく思ってないらしいな。歌も歌わせないと。それなのにマスター、あんたは彼女に良くしてる」

「あの子が話したんですね」


 ジョアンはゆっくりと二度頷いた。


「良く分からないが、彼女から聞くには酷なようだ。だから、マスターに聞きに来た」


 リックの目付きから、いたずらな興味本意ではないと分かった。そこで、ジョアンはリックとの間に一つ間をあけて、カウンターの席に座った。ジョアン自体横に体が大きいため、隣り合わせにすると狭いのだ。それに今は営業前で、ガラガラの店内だ。


「自分はレティの両親と友人でした。まあ、若い頃……それこそ今から二十数年前、レティの母親が今のレティくらいだったころ、恥ずかしながら、自分はレティの母親に惚れちまってて」


 ジョアンは懐かしむような目をしながら、頬を少し赤くした。


「ところが彼女は、レティの父親に惚れてた。そっちが両想いってやつで、自分は告白するまでもなく玉砕しました。二人が結婚し、レティの父親の仕事で島を出ていき、自分も色んな仕事とかをなんやかんやしながら、二人とはちょっと疎遠になってたんです」


 リックは相槌を打たず、静かに話を聞いているようだった。代わりに時折、頷いている。


「ここからは自分がこの街にいなかったので、聞いた話です。ある激しい雨の降った翌日だったそうです。島の海岸に、壊れた船が流れ着いて……」


 朝から小さな島の住民が集まり、大騒ぎしていた。若い女性が難破してきたと。漁船よりも遥かに粗末な船。確かに傷んで縁は欠けている。丁度、誰かが呼んだ医者と共に集まる人が、フード付のぼろ布を被った女性を、船から降ろしている所だった。


仰向けにされた体からフードが落ちた途端、その顔を見た人々が更に騒ぎ出す。同じ島の出身の女が幸せに出ていったはずなのに、こんな姿で帰ってきたなんて。ざわめきに気がついたのか、彼女の目が少し開く。


「どう、か、あの……子を……」


母親は視線で船を示した。そこに四、五歳くらいの少女が船底に丸まって、厳しい航海のことなど知らぬようにスヤスヤと眠っていた。発見時の母親の体勢から、母親の体の下で守られて寝ていたのだろう。


「ま、守っ……。友……人の……ジョア……ンに伝え、て下さ……っ」

「わかった」


 医者が頷いて答えたのを見て、安心したのかレティの母の意識がなくなった。衰弱していたらしく、しばらく街の診療所にいたが数日後に亡くなってしまった。


 ジョアンは探されたがすぐに見つからず、愛らしい少女は、里親が見つかるまで泊まり歩く形で毎日違う街の家を転々とした。


 レティが漂着して二週間後、彼女の歌に悲劇が降りかかった。


 母親のことを上手く理解できないレティは、いつもの様に海辺で歌を歌っていた。その日泊まる家の人が、海岸で遊ぶレティを迎えに来る流れになっていた。そして夕方、同じようにレティを迎えて連れていった。


ある夜、平和な島に砲弾が撃ち込まれた。海賊が来たのだ。


 凶悪な一団が島の人々や家を蹴散らし、炎で包んだ。元々珍しいものもなく、週に一度、商船が来るくらいの平和な場所だ。海賊が目をつけるはずもなかった。だから、対策などあるはずもなく、一方的に傷つけられた。


 何故?どうして今回に限り、奇襲を受ける?ここで何を得る?そんな彼らの疑問を答えたのが、その海賊の船長だった。「ここに歌を歌う女がいるはずだ」と。


 聞いたことのない美声。人身売買にかければ、高いと思ったのだ。街で歌うのは、水商売の店の女歌手と……あとレティだ。まさか子どもが、その対象であるはずがない。誰もが、レティだとは思わなかった。


 その夜、島から女歌手が全員連れていかれた。尊い命ばかりか、金品や僅かな食料品も奪われ、大きな傷痕を残した。明け方近くに、島はようやく悪賊から解放された。


 レティは町長の家の地下室に、町長の妻子やメイドと共に匿われていて無事だった。幼いレティは外で何が起きたのか、何故ここにいて他の者が怯えるのか分からなかった。


 どんな傷を受けても、人は立ち上がっていく。

荒廃した街が少しずつ元の形を取り戻していくにつれて、こんな話を耳にするようになった。


 外から島の親戚が友人遊びに来たり、商船が来たりしたときだ。


「あの綺麗な声で歌うのは誰だ?」


 街に女の歌手はまだ新しく入れていない。学校の授業で歌う生徒の歌でもない。人々はあの悲劇を呼び寄せた歌を歌った者が何者なのか、薄々と理解し始めていた。


 確かにレティは幼いながら歌が上手い。そこらの子どもとは違う歌唱力であることを、皆が知っていた。そんなに大きな声で歌うわけでもないのに、街にいればレティの歌が何故か聞こえてくる。だが、マイクがあるわけでも拡声器を通すわけでもないそれが、さすがに海の上を通るなどあり得ない。最初はそう思っていたのだ。


 けれど、外からの人の問いを繰り返し聞き、噂が小さな島の街にすぐに広まったことで、誰もレティを世話したがらなくなった。今度はいつ、あの悲劇が自分のところに降りかかるかわからない。そんな恐怖があったからだ。


 母親の友人だったジョアンもいない。自分の妻も少女を気味悪がり、困り果てた町長は、レティを島の外の施設に出すことを考えていた。


 それから数日して、商船にたまたま乗っていた男がレティの話を聞いて、引き取ると言い出した。町長は感謝の印にその男の家を用意し、レティを歌わせないように念押しした上で、引き渡して住まわせてやった。


 レティが引き取られて一ヶ月後、足取りが全く掴めなかったジョアンが突如帰ってきた。ジョアンは出身の島から遠く離れた場所で、商船の乗組員から島にやってきた女とその子どものことを聞いたのだ。


 自分がかつて惚れた女から里親を望まれていたことまでは知らなかったが、何故か島に帰った方がいいような気がしたからだ。


「それで自分は島に戻って、そしてその日に通りで走ってきた子どもとぶつかったんです。それがあの子でした。レティの様子は、子どもらしくない挙動不審なもので、酷く怯えて明らかにおかしかったんです」


 ジョアンはテーブルに肘をついて両手を組み、額を乗せた。彼の武骨な手は震えていた。良くない予感にリックは眉を潜め、ジョアンの次の言葉を待つ。


「あのっ……あの子、はっ」


 話す声が、手と同じように震えて掠れていた。


「その時の里親の男に、……性的虐待を受けてて。家では無理やり、体を触っていたようなんです。奴がレティを連れて外に遊びに行くと言って、外で強引に歌わせ、金を稼いだり。外面は良かったし、外出させるときは肌の見えない服を着せていたから、島の皆は気づかなかったそうです」


 逃げ出してきたのであろう少女。ぼろ布を纏っているのかと勘違いするくらい、汚れて引き裂かれたTシャツ。見える肌から覗く鬱血痕や傷、乾いた涙の残る頬、赤く充血した目。今思い出しても、胸が切り裂かれるように痛む、一目でおかしいとわかる姿。


「レティを宥めて抱いて案内させ、その時の家に向かいました」


 そこにいたのは、庭で鎖のついた枷を持ってうろうろとレティを探す男。男の表情が狂気じみていて、レティは小さく悲鳴を上げ、震えながらジョアンにすがりつき、気を失ってしまった。


「一旦街に戻り、あの子を町長に預けて、また家へ向かいました。話し合いができずに争いになり、町長が呼んだ隣の島の保安官に、奴は捕まりました。今は、刑務所にいるはずです。意識を失ったあの子が、医者の元で数日後に目覚めたとき、言動と会話の内容から、それまでの大半のことを覚えていないことに気がつきました。自己防衛の本能と、医者は言ってた気がします」


リックの耳に、レティの言葉が蘇る。


『両親の住んでいたところを見てみたいんです。私、あまり二人の記憶がないので……』


(そういうことだったのか)


「町長から全てを聞きました 。友人であり、惚れていた女の忘れ形見ですから。あの時の俺は若僧で、子育ての子の字も知っちゃいなかったんですが、レティの育ての親になるのに、一つも迷いはなかったんですよ」


 レティの母親のことも思い出したのか、ジョアンが少し鼻をすすった。


「レティの母親は、娘についての日記のページを破り、何枚か持ってきてたんです。診療所の医者が、自分に渡そうと大切に保管してくれてたものなんですが、それを読んで驚きました。レティは、彼女の子でもなかったんですよ」

「何……?どういうことだ」


 初めてリックが、話の間に口を挟んだ。


「レティは、あの二人が森を散歩していたときに見つけたそうで……。母親は――何つったか病名は忘れちまいましたが、子宮を摘出して子どもが出来ない体だったらしいんです。産みの親からの手紙も無かったから、神様の贈り物だって思い、連れて帰って育ててたとのことです。話を聞いた、他の連中の反対も聞かずに。何処から来たんだろうなぁ」


 ジョアンが乾いた喉を潤すために、もうとっくに冷えてしまったコーヒーの中身を、一気に飲み干した。そして立ち上がる。


「自分からあの子について話せるのは、これくらいです」


「そうか。辛いことを話させてすまなかった」

「気にしないで下さい」


 謝罪したリックに、ジョアンは頭を振った。カウンターの向こうに行き、自分が使った空のカップを流しに置く。


「もう一つ聞いても構わないか?」

「何でしょう?」

「彼女を母親のときのように、愛しているか?」


 リックの問いに、ジョアンが軽くハハハと笑って頭を振った。


「それはないです。例え忘れ形見でも、あの子と母親は違う。娘として、親心で愛するだけです」


 ジョアンは磨くためにグラスと布を取り出したが、磨かずに置いてしまった。そして、何かを決心したようにリックを見る。


「自分からも聞きたいことがあります」

「言ってくれ」

「あの子に興味がおありですか?」


 問われて、リックは薄く笑みを浮かべた。


「答えはイエスだ。俺は、レティをこの島の外へ連れ出そうと思ってる。だが彼女は、せめて成人するまでは、マスターへ恩返しのために側にいたいと言った」

「そうかそうか。あの子がそんなことを……」


 中年男の目を、うっすらと涙が覆う。


「やはり彼女の子だ。血の繋がりは無くても……。あの子の母親も優しかった」


 続きを話そうとしたジョアンを邪魔したのは、リックだった。不意にジョアンへ手の平を向け、待ったの意を示す。ジョアンはリックと同時に、入り口へ目を向けた。


 すぐに入り口に人が立ち、新調したドアを潜ってくる。


「何だぁ?ここで働いてるんじゃなかったのかよ?」


 ジーンズのポケットに両手を突っ込み、やや屈むような姿勢の男が店を見回すように足を踏み入れた。その後にも数人、目付きの悪い男が入ってくる。下卑た笑い。明らかに歓迎できる客ではなかった。




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