突然、名を呼ばれ、おどろいて振り返った。
朝陽を背に、金髪碧眼の男が爽やかな笑顔でこちらへ向かって駆けてくる。
「ゆ、勇者?! なぜここがわかった?!」
「城から出て行くところを見かけたから」
勇者が速度を落とし、大股で近づいてくる。わらわは一歩、後退した。
「わらわのことを監視していたのか」
「偶然だよ。朝、トイレに起きたら、ちょうどマオが部屋からこそこそ出ていくところを見掛けたんでね」
「わらわもトイレじゃ」
「こんな森の中まで?」
「お花を摘みにきたのじゃ」
「じゃあ、早く済ませて帰ろう」
「変態! 助べえ! 痴漢!
「あ、自分で幼女だって自覚はあるんだ」
「うるさいっ。わらわは帰らぬ。……帰る場所などない」
「どうして?」
「わらわには、あそこにいる資格がない。誰にも必要とされていない」
「そんなことはないよ。みんな昨日あんなに歓迎してくれてたじゃないか」
「自分が死んで喜んでいるやつらと一緒におれるかっ」
「マオはもう魔王じゃないよ。俺が殺したんだからね」
明るく自慢げに勇者がいう。殺した相手を前にして口にする言葉だろうか。
「いけしゃあしゃあと…………ふんっ、そう簡単に割り切れるものか」
「それじゃあ、どうするの? 魔王城へ帰るのかい?」
「魔王をやるのはもう嫌じゃ。戦いも、痛いのも、臭いのも……誰かに役目を押し付けられるのも全部ぜんぶ、めんどくさい。わらわは……わらわの生きたいように生きる」
いいね、と勇者が口笛をならす。
「それじゃあ、俺も一緒について行くよ」
「ついてこんでいい。お主は、聖女と結婚するのじゃろう」
「あれ? もしかして妬いてるの?」
「誰が妬くかっ! 勇者であるお主には、待っている者がたくさんいると言っておるのじゃ。そもそもお主がわらわについてくる理由はなかろう。魔王にはならん。信用できぬと言うのなら、魔法契約でもなんでも縛るがいい」
「うーん……そういうわけじゃないんだけど……」
口では〝信じている〟と言ったところで、わらわがそれを信じないと勇者は知っているのだ。だから直接その言葉は使わない。ただ頑として自分の意見を曲げずに貫きとおす。
勇者は、その甘いマスクの下に、子供のような頑固さをもっている。旅の途中で困っている者をみれば、必ず助けに行く。それがどんなに危険な場所でも、他の仲間が反対したとしても、絶対に引かない。
その所為で、魔王城へ辿り着くまでどれだけ遠回りをしたことか……。しかも悪気がないとわかる分、余計にたちが悪い。
魔王だった時も、今の見た目も、人族でいう十五、六歳に見えるらしい。勇者には、前世で同じ歳くらいの妹がいたと前に聞いたことがある。だから、わらわのことを放っておけないのだろう。
「旅へ出るのに、理由が必要かな?」
にこにこと悪びれなく、わらわを見つめる勇者と、しばし睨み合う。
先に視線を外したのは、わらわのほうだった。
「…………はぁ。そんなことを言って、お主がついてくるとなれば、黙っておらんやつが一人おるじゃろう……」
「それは誰のことですか?」
突然、すぐ近くから声が聞こえて、わらわは飛び上がった。見れば、勇者の背後霊よろしく、聖女が穏やかな微笑みをたたえて立っている。
「ぃいっ?! 聖女! 一体いつからそこにおったのじゃ?!」
全く気配を感じなかった。わらわの勘が鈍ったのだろうか……。
「ラベンダーの魔女さんが勇者様に、
「変態じゃないかっ!! そんなことしとらんぞ! え~い、本当にちゃんと聞いておったのか!?」
冗談ですよ、と聖女が上品な笑い声をたてる。その様子を勇者は、少し気まずそうな顔で見つめていた。
「わらわが魔王に戻ることを心配しているなら……」
「何を言っているの。私たち、仲間でしょう」
嘘だ。「勇者様と二人きりになんてさせるものですか」と顔に書いてある。
「それで、どこへ行く?」
さも自分が旅の同行者であると言わんばかりに勇者からたずねられて、わらわは諦めた。よく見れば、二人とも既に旅装を整えている。最初からわらわが一人で城を抜け出すことなど、この二人にはお見通しだったということか……。
どうやら、この二人からは逃げられそうにない。
「そうじゃな……まずは、うまいワインでも飲みに行くかの」
獅子男が教えてくれた名前は確か、ロゼ地方だったな。辺境の辺境で、まだ行ったことはない。
「子供がお酒を飲んだらダメだろう」
めっ、と勇者が小さな子供を叱るように人差し指を立てる。
「わらわは、子供ではない。このような成りをしておるが、人族の年齢にすると百歳を優に超えておる」
勇者が目を丸くする。
「おばあちゃんじゃないか!」
「無礼者っ! おばあちゃん言うな! こんなプリチーな美少女を捕まえておいて……わらわは歳をとらぬのじゃ。魔王のもつ魔力の所為じゃろうか」
実は自分でもよくわかっていないのだが、バカにされたくないので黙っておこう。
「そうじゃ、試しに魔法を使ってみるかの。しばらく使っておらんと腕が鈍るからな」
魔法を使うのは楽しい。普通の魔法使いは、魔力を使えば疲労するものだが、もともと魔力量の多いわらわにとって魔法を使うことは、息をするごとく自然な行為なのだ。それに、爽快でストレス解消にもなる。
「わっ、やめろっ!」
「そ、そうよ。こんなところで魔法を使う必要はないわ」
突然あわてふためく二人を見て、わらわの加虐心が煽られた。ふふふ……わらわの魔法は強力じゃ。怖がっておるのか、かわいいいのう。
魔王でなくなっても、わらわには魔法がある。なんといっても今のわらわは、〝ラベンダーの魔女〟なのだから。
「なに、前のように森を破壊するようなことはせぬ。力は加減する。そうじゃな、あの木に
二人が止めるのも聞かず、わらわは目標の木に向かって魔力を放出した。
……が、何も起きない。
おかしい。ロッドはなくとも魔法は使える筈じゃが……不思議に思ったわらわの視界に、なにやら挙動不審な態度をとる聖女の姿がうつった。
「これはどういうことじゃ。聖女、おぬし何か知っておるのか」
ぎくっ、と効果音が聞こえてきそうなくらい肩をびくつかせて、聖女がしぶしぶ口を割る。
「実は…………あなたの魔力を封印させてもらったの」
「な、何ぃー?!」
勇者は、空を見上げてうそぶいている。こやつも知っておったな……だから旅に同行しようと言ったのか。
「だって、魔王をそのまま復活なんかさせたら、とんでもないことになるでしょう。復讐しようと襲ってこられたら大変……あっ、じゃなくて、念のためよ、念のため! それに、もう魔王はやりたくないんでしょう? それなら魔法なんか使えなくたっていいじゃない~♪」
わなわなと震える指先で、わらわは聖女を指さした。
「お、お主がわらわのことを『魔女』だと言ったのじゃ! 魔女って! 魔法が使えない魔女なんぞ……魔女ではないじゃないか!」
自分で言っておいて、何を言っているのかわからなくなってきた。
魔王でも魔女でもない…………それでは、わらわは一体なんなのじゃ??
「今すぐ封印を解けっ!」
「それはできないわ。魔王を野放しにするわけにはいかないし……それに私、封印の解き方は知らないもの」
「なんじゃとっ!? そんなばかな……」
頭をかかえたくなるわらわの耳に、ぱんっと軽快な音が聞こえた。聖女が手をたたいたのだ。
「大丈夫よ! ローブを着て、杖を持てば、もうどこからどう見ても立派な魔女よ!」
「そういうのは〝コスプレ〟と言うのじゃ!」
はて。無意識に口から出たが、〝コスプレ〟とは一体なんのことだったか。
「そうじゃ、杖じゃ。杖もない!」
「それじゃあ、まずは杖を手に入れに行きましょうか。ラベンダーの魔女さん」
にっこり微笑む聖女に向かって、わらわは叫んだ。腹の底から声を振り絞る。
「わらわは……わらわは…………魔法をつかえん魔女など、魔女ではなーーーーいっ!!!」
そして、わらわは決心した。まずは、わらわの魔法を取り戻そう、と。