獅子の被り物をした屈強そうな男が近づいてくる。真っ赤なマントを羽織り、軽装備ではあるものの銀の鎧を身に着けている。
「お主……そんなものを頭にかぶって暑くはないのか」
「これは被りものではありません」
獅子の口がぱくぱくと開いた。どうやら中に人は入っていないようだ。
「このような場所で、どうされたのですか。ラベンダーの魔女よ」
「わらわを知っているのか」
「もちろんです。勇者殿と共に、この世界を救った恩人でありますれば」
わらわは、世界を救ってなどいない。ただ、
むかついたので、ぷいっ、と視線を外し、バルコニーの手すりから城下の街を見下ろした。
獅子男も、わらわの隣に並んで立つ。
「ワインがお口に合いませんでしたかな」
「これか。いや、うまい。
まだ中身の入ったワイングラスを頭上へ掲げてみる。部屋の中から漏れる明かりと星あかりが混じり、グラスの中にある紫色の液体がきらきらとゆれる。
部屋の中ではピンク色に見えたのだが……確かこれを渡してくれた給仕の者が〝ロゼワイン〟だとか言っておったか。
ちなみに毒は入っていないようだ。
「それは、ロゼ地方でつくられた特別なワインなのです。わたくしが視察で訪れた時に見つけました。のどかでとても気持ちの安らぐいい場所ですので、もし近くを通ることがあれば是非よってみてください。ワインだけでなく、ソーセージも美味です」
「視察? お主は……」
「わたくしは、王立騎士団の副団長をやっております」
「獣人がか」
「はい。おかしいでしょうか」
「人族は他人種を嫌う。自分たちが一番えらいと思っているからだ。獣人だけに限らず、他の人種でも同じことを言えば驚いた」
「これは、おかしなことを仰いますな。勇者殿のお仲間様には、様々な人種がいらっしゃるようにお見受けいたしましたが」
「……あやつが変わっておるのじゃ」
「それなりに……苦労と努力がありました。ラベンダーの魔女様は、いいご縁に恵まれましたな」
そうじゃな……と呟いたわらわの声は、部屋の中から聞こえてきた騒音にかき消された。どうやら中で何か催しが始まったらしい。
その時、中から「副団長!」と誰かが呼ぶ声がした。
「ああ、そうでした。わたくしも、一芸を披露しなければいけなかったのでした」
「お主がか。一芸とは一体なにをやるのだ」
「剣技を披露させていただきます。ラベンダーの魔女さまも、よければ見においでください」
では、と獅子男が礼儀正しく頭を下げ、宴会場へ戻っていく。
その背を見送ったまま、わらわは立ちすくんだ。なんとなく手にしているグラスの中身を覗き込む。透明な紫色の液体に、いまだ見慣れぬ女の顔がある。
紫のウェーブがかった髪、アメジストの瞳。
かつて魔王だった時の黒いストレートヘアと金色の目はどこにもない。
果たして本当にわらわは、ここにいていいのだろうか?
…………なに、問わずとも分かり切っていることだ。
――倒された魔王に、居場所などあるはずがない。
背後で花火のあがる音がした。
***
翌朝になり、わらわはこっそり城を出た。同室の獣人娘はぐっすり眠っていたし、聖女もすやすやと寝息をたてているのを確認した。聖女は意外と寝起きが悪い。
晩餐会が終わった後で、部屋へ案内される際、獣人娘とエルフ男は、自分の国へ帰ると話していた。わらわにも一緒にこないかと誘ってくれたが、断った。
聖女が後ろで見張っていたからではない。ひとりで行きたい場所があったからだ。
「……ここじゃ。懐かしいの」
はじまりの森。魔王が倒された所為だろうか、魔物の気配は感じない。空気も澄んでいる。
ここでわらわは、一人の勇者を殺した。
魔王は勇者を倒すもの。それは宿命であり、運命でもある。そう魔族の重鎮らに言われるがまま何も考えず、ことを成した。
なりゆきではあったものの、勇者たちと旅をして、わらわは知った。人間というのは、そう悪い生き物でもないということを。
その時からずっと気にしていたのだ。あの時、勇者を
でも、魔王として勇者に殺されることで、その報いは受けたつもりだ。
だから、わらわは、もう前へ進んでいいはずだ。
そのはず……なのだが…………なぜだろう、釈然としない気持ちで胸のあたりがもやもやする。勇者を倒すという目的を失い、わらわはこれから何を目標にして生きていけばいいのだろうか。
「マオ!!」