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第9話 はじまりの森

 獅子の被り物をした屈強そうな男が近づいてくる。真っ赤なマントを羽織り、軽装備ではあるものの銀の鎧を身に着けている。


「お主……そんなものを頭にかぶって暑くはないのか」


「これは被りものではありません」


 獅子の口がぱくぱくと開いた。どうやら中に人は入っていないようだ。


「このような場所で、どうされたのですか。ラベンダーの魔女よ」


「わらわを知っているのか」


「もちろんです。勇者殿と共に、この世界を救った恩人でありますれば」


 わらわは、世界を救ってなどいない。ただ、だけだ。


 むかついたので、ぷいっ、と視線を外し、バルコニーの手すりから城下の街を見下ろした。


 獅子男も、わらわの隣に並んで立つ。


「ワインがお口に合いませんでしたかな」


「これか。いや、うまい。、旅のさなか、酒は飲ませてもらえなかった。こんなにうまいものなのだな」


 まだ中身の入ったワイングラスを頭上へ掲げてみる。部屋の中から漏れる明かりと星あかりが混じり、グラスの中にある紫色の液体がきらきらとゆれる。


 部屋の中ではピンク色に見えたのだが……確かこれを渡してくれた給仕の者が〝ロゼワイン〟だとか言っておったか。


 ちなみに毒は入っていないようだ。


「それは、ロゼ地方でつくられた特別なワインなのです。わたくしが視察で訪れた時に見つけました。のどかでとても気持ちの安らぐいい場所ですので、もし近くを通ることがあれば是非よってみてください。ワインだけでなく、ソーセージも美味です」


「視察? お主は……」


「わたくしは、王立騎士団の副団長をやっております」


「獣人がか」


「はい。おかしいでしょうか」


「人族は他人種を嫌う。自分たちが一番えらいと思っているからだ。獣人だけに限らず、他の人種でも同じことを言えば驚いた」


「これは、おかしなことを仰いますな。勇者殿のお仲間様には、様々な人種がいらっしゃるようにお見受けいたしましたが」


「……あやつが変わっておるのじゃ」


「それなりに……苦労と努力がありました。ラベンダーの魔女様は、いいご縁に恵まれましたな」


 そうじゃな……と呟いたわらわの声は、部屋の中から聞こえてきた騒音にかき消された。どうやら中で何か催しが始まったらしい。


 その時、中から「副団長!」と誰かが呼ぶ声がした。


「ああ、そうでした。わたくしも、一芸を披露しなければいけなかったのでした」


「お主がか。一芸とは一体なにをやるのだ」


「剣技を披露させていただきます。ラベンダーの魔女さまも、よければ見においでください」


 では、と獅子男が礼儀正しく頭を下げ、宴会場へ戻っていく。


 その背を見送ったまま、わらわは立ちすくんだ。なんとなく手にしているグラスの中身を覗き込む。透明な紫色の液体に、いまだ見慣れぬ女の顔がある。


 紫のウェーブがかった髪、アメジストの瞳。


 かつて魔王だった時の黒いストレートヘアと金色の目はどこにもない。


 果たして本当にわらわは、ここにいていいのだろうか?


 …………なに、問わずとも分かり切っていることだ。


――倒された魔王に、居場所などあるはずがない。


 背後で花火のあがる音がした。



 ***



 翌朝になり、わらわはこっそり城を出た。同室の獣人娘はぐっすり眠っていたし、聖女もすやすやと寝息をたてているのを確認した。聖女は意外と寝起きが悪い。


 晩餐会が終わった後で、部屋へ案内される際、獣人娘とエルフ男は、自分の国へ帰ると話していた。わらわにも一緒にこないかと誘ってくれたが、断った。


 聖女が後ろで見張っていたからではない。ひとりで行きたい場所があったからだ。


「……ここじゃ。懐かしいの」


 はじまりの森。魔王が倒された所為だろうか、魔物の気配は感じない。空気も澄んでいる。


 ここでわらわは、一人の勇者を殺した。


 魔王は勇者を倒すもの。それは宿命であり、運命でもある。そう魔族の重鎮らに言われるがまま何も考えず、ことを成した。


 なりゆきではあったものの、勇者たちと旅をして、わらわは知った。人間というのは、そう悪い生き物でもないということを。


 その時からずっと気にしていたのだ。あの時、勇者をしいしたわらわの行為は、正しかったのか、と。


 でも、魔王として勇者に殺されることで、その報いは受けたつもりだ。


 だから、わらわは、もう前へ進んでいいはずだ。


 そのはず……なのだが…………なぜだろう、釈然としない気持ちで胸のあたりがもやもやする。勇者を倒すという目的を失い、わらわはこれから何を目標にして生きていけばいいのだろうか。


「マオ!!」

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