「父さん、九条修己って……まさか日本一の財閥・九条家の御曹司のこと?」
三重邦彦は驚きの声を上げた。
泰三は頷いた。「その通りだ。」
三重邦彦は顔を曇らせた。
「そ、それは無理だよ!相手は財閥の御曹司だし、横浜と東京じゃ格が違いすぎる。うち三重家なんて、九条家と比べたら……雲泥の差だよ。」
九条家――日本一の大富豪、一族は巨大で分家も多い。九条修己は現当主・九条健知が晩年に得た子で、九条家の次期当主と公認されている。極めて表に出ることはなく、その素顔を知る者も外部にはいない。
泰三が突然この人物の名を出したのは、皆を驚かせた。
泰三は続ける。
「ハイネスリゾートの土地は、もう九条家が押さえている!内部情報だが、九条健知が九条修己に全権を任せたそうだ。もし天照が彼の目に留まれば、建設会社の選定で我々にも大きなチャンスが巡ってくる。」
「父さん、それは現実的じゃないよ!」三重邦彦は首を振る。
「九条家とコネを持ちたがる人間なんて星の数ほどいる。俺たちが東京に乗り込んでも、門前払いされるのがオチだよ。」
「誰が東京へ行くと言った?」泰三の目が鋭く光る。
「九条修己は、今この横浜にいる。しかも……もう三年も定住しているらしい!」
三重昌幸は眉をひそめた。
「財閥の御曹司が、プロジェクトの視察ならまだしも、三年も定住するなんてあり得るのか?」
「九条修己の母親――九条佳乃は横浜出身だ!三年前に療養のため帰郷し、修己も孝行のため一緒に来ている。世間には知られていないが、二人は美しが丘の別邸に住んでいるんだ!」
美しが丘の謎の別邸――その持ち主は長らく謎だったが、まさか九条家だったとは!
「父さん、外部に知られていないはずなのに、どうして知ってるの?」
三重明子も思わず問いかけた。
「以前は誰も知らなかった。だが今や、皆が知ることになった!」
泰三は重大ニュースを切り出した。
「明日は九条文乃の七十歳の誕生日だ!前代未聞にも、うち三重家に二枚の招待状が届いた!」
「うちだけじゃない。横浜の名家には軒並み届いている。おばあ様も長くここに住み、親交を結ぶ気になったのだろう。」
「とにかく、これは絶好のチャンスだ!それが昌幸を急いで帰国させた理由でもある。」
泰三は厳かに二枚の金箔付き招待状を取り出した。
「昌幸、遥奈、明晩はうち三重家を代表して出席しなさい!立派な贈り物を用意し、必ず九条修己の前で印象を残すこと!もし言葉を交わせ、縁を結べたら最高だ!」
「もういいじゃないの、ご飯の時に仕事の話ばかり。」
三重明子が絶妙なタイミングで口を挟み、三重昌幸に目を向けた。
「部屋は片付けておいたわ。今夜は二人とも主寝室でお休みなさい。せっかく帰ってきたんだし、子供のことも考えないとね。」
遥奈は三重家に自分の部屋を持ち、結婚後も主寝室には入ったことがなかった。
「今夜は用事がある。出かける。」
三重昌幸は淡々と言った。
三重明子は箸をテーブルに叩きつけた。
「出かける?あの狐女に会いに行くの?今日遥奈を一人で寝かせたら、あの女の皮を剥いでやるから!」
「母さん!やめてよ!」
「やれるもんなら、やってみなさい!」
三重明子は一歩も引かない。
遥奈は何も言わず、ゆっくりスープを啜りながら、興味深げにこの騒動を眺めていた。
本当にすべてを吹っ切ったわけではない――かつて最も信じていた二人に裏切られたのだから。恨んだし、復讐もしたかった。
だが時が経てば、角も丸くなる。今や彼女は傍観者になった気分で、三重昌幸が白鳥結衣のためにどこまでできるのか、興味が湧いていた。
主寝室の中、空気は重苦しい。
三重昌幸はバルコニーで白鳥結衣に電話をかけていた。なだめること三十分以上、途切れ途切れのすすり泣きがまだ漏れ聞こえる。
彼は根気強く、何度も宥めた。
遥奈はその姿を見て、ふと思う――交際中、三重昌幸はこんなに辛抱強く自分を慰めたことがあっただろうか。
二人はあまりにも親しすぎて、初めて彼がキスしようとした時、彼女はその真っ赤な耳を見て大笑いしてしまった。
「遥奈!なに笑ってるんだ!」
若き日の三重昌幸は恥ずかしさに怒った。
「だって、あなたの口を見ると、幼稚園で一緒に蜂の巣をつついて、唇がソーセージみたいに腫れたあの時を思い出すのよ!それにその耳、まるで猪八戒みたい!」
遥奈は笑い転げた。
それで昌幸は怒って、それ以来自分からキスを求めることはなかった。
付き合って二年、彼女は初キスすら渡さなかった。
今思えば、失敗だったかもしれない。
もしあの人に会っていなければ――23歳になってもキスの味すら知らなかったかも。
脳裏に浮かぶのは、あの魔性の美貌。そして彼が情熱的にキスした時の、魂を奪われるような表情……
桜庭遥奈の唇が少しだけ上がる。
別れてまだ三時間なのに、もう会いたくなっていた……
彼女はスマホを手に取り、あの番号を探し出す。登録名は堂々と「ヒモくん」。
桜庭遥奈はようやく気づいた――三年間も体を重ねてきたのに、彼の本名すら知らなかったのだ!
無理もない、会うのはいつも夜で、すぐに本題。
情熱の中で呼ぶのは「ベイビー」「ダーリン」「ハニー」ばかり。
自分が別れを切り出す時まるでクズ男みたいだと、ふと可笑しくなる。
そんな時、スマホが震えだす。
画面に表示されたのは――「ヒモくん」。
数秒迷ったが、結局出ることにした。
「もうこんなに経って、早くも私に会いたくなった?」
遥奈の声には生まれつき艶やかで気怠げな色気があり、聞く者の耳をくすぐる。
電話の向こうでしばし沈黙があり、やがて抑え込んだ低い声が響いた。
「今どこだ?」
「家よ。」
彼女は気ままに答える。
「今すぐ来い。翠嵐荘だ。会いたい。」命令口調。
遥奈は指先で髪をくるくるしながら、軽く言う。
「無理よ〜。旦那が帰ってきたから、今夜は旦那に付き合わなきゃ。」
「遥奈!あいつと一緒に寝るな!」男の声は明らかに取り乱していた。
「何バカなことを、」遥奈は子供をあやすように言う。
「慰謝料が足りない?じゃあ、また市内の店舗を一軒あげるわ。もう『星煌クラブ』で働く必要もないでしょ?」
「遥奈!俺が欲しいのはそんなもんじゃない!お前は俺が誰だかわかってるのか!?」怒りが今にも受話器を突き破りそうだ。
「あなたが誰でも、もう終わったのよ。」
彼の激昂に比べ、彼女の声は変わらず柔らかく穏やかだった。
その時、三重昌幸がようやく電話を終え、バルコニーから戻ってきた。
遥奈はすかさず明るい笑顔を作り、受話器に向かって言う。
「じゃ、旦那が戻ってきたから、あなたも早く寝なさいね。」
電話の向こうから怒りの叫びが聞こえる。
「遥奈!切るな――」
パチン。
あっさり電話を切り、ついでにおやすみモードにして、スマホを伏せて机に置いた。
三重昌幸は彼女を一瞥し、眉をひそめて言う。「誰からの電話だ?」
遥奈は顔をほころばせ、眩しいほどの笑顔で答えた。「彼氏からよ。」