献上品の披露が終わると、遥奈は三重昌幸と共に「99」と書かれた円卓へと向かった。宴はまだ始まっておらず、客たちは脇で歓談しながら開始を待っていた。
その時、三重昌幸の携帯が鳴った。彼は画面を一瞥すると、慌ただしく脇の庭へと姿を消す。その様子から、白鳥結衣からの電話だろうと遥奈は察し、特に気にすることもなく、会場に並ぶ数々の骨董品を鑑賞し始めた。中でも壁一面の壁画には、しばし見とれてしまうほど感嘆した。
「三重夫人でいらっしゃいますか?」澄んだ声が背後から響く。
遥奈は優雅に振り返る。「そうですが、何かご用ですか?」
目の前にいたのは、可愛らしい少女で、瞳を輝かせていた。
「私は防衛省白川長官の孫、白川浅と申します。突然ですが、あの“雪月花”のレシピ……譲っていただけませんか?いくらでもお支払いします!」
遥奈は微笑んだ。「レシピなんて大した秘密じゃありません。私の趣味で作っているものですし、白川さんが気に入ってくださるなら差し上げますよ。」
少女は驚きと喜びの表情を浮かべる。「本当にくださるんですか?」
「もちろんです。」遥奈はスマホを取り出した。「連絡先を交換しましょう。今晩送ります。」
白川浅は慌ててQRコードを読み取る。その様子がきっかけとなったのか、数人の華やかな装いの少女たちが一気に遥奈を取り囲んだ。
「三重夫人、私もレシピが欲しいです!」
「LINE交換してください、三重夫人!」
突然の事態に遥奈は少し戸惑ったが、一人ひとりと連絡先を交換し、今夜中に送ると約束した。集まった少女たちは、市長の娘や一流財閥のお嬢様、さらには閣僚の孫娘まで、いずれも由緒正しい家柄の面々ばかりだった。
遠くから桜庭早耶がその光景を見て、歯ぎしりしながら母の桜庭淑子に不満を漏らす。
「お母さん、あの子たち馬鹿じゃない?東京の名門令嬢がみんな遥奈に媚びて、何になるの?」
桜庭淑子は冷静に答えた。「あの子たちは賢いわよ。あれだけ高価な贈り物の中で、あの香だけがご老体のお眼鏡にかなった。レシピが欲しいっていうのは、いずれ九条佳乃様に気に入られるための布石よ。」ふとため息をつき、「この中の誰かが、いずれ九条家の嫁になるんじゃないかしら。」
早耶は納得できずに言い返す。「九条佳乃様に取り入ったって仕方ないじゃん。九条修己が誰と結婚するかなんて、本人が決めることでしょ?案外、灰かぶり姫みたいな個性的な子が好きかもしれないし。」
淑子は娘の気持ちを見抜いて首を振る。
「早耶、桜庭家は横浜じゃ一流でも、東京のこの令嬢たちには到底かなわない。九条家は、私たちが高望みできる相手じゃないの。」
そして優しくなだめる。「お母さんが横浜で一番の縁談を見つけてあげるから。」
「お母さん!横浜なんか東京に比べたら……やってみなきゃ分からないじゃん。九条修己が私のこと好きにならないとも限らないでしょ?」早耶の瞳には悔しさがにじんでいた。
淑子はただ苦笑するしかなかった。家柄の壁は高く、富裕層は一般人よりも現実的だ。名家の縁談は、何よりも釣り合いが求められる。王子とシンデレラなんて、結局はおとぎ話だ。
一方、遥奈は何人ものお嬢様に「お姉さま」と呼ばれ、優しく返しながら和やかな雰囲気だった。だが、彼女たちは遥奈には笑顔を向けつつも、互いには火花を散らしていた。
「先月、九条修己様に会ったけど、『きれいだね』って褒めてもらったんだから!」
「嘘ばっかり!佳乃様が招待状を出す前に、修己様が横浜にいるなんて誰も知らなかったわよ!」
「嘘でも、あなたが『修己』なんて呼ぶの、気持ち悪くない?彼と話したことあるの?」
少女たちは口論を始めた。
遥奈はようやく気づいた。皆、九条修己をめぐって争っているのだと。
不思議だった。これほど恵まれた少女たちが、なぜ誰もが九条修己に執着するのか。
白川浅が遥奈の疑問に気づき、少し気まずそうに説明した。
「お姉さま、私たちが九条修己様を好きなのは、九条家が日本一の財閥だからじゃないんです。もし彼に会ってみたら分かりますよ……あの顔を一度でも見たら、世の中の男性なんて目に入らなくなります!」
遥奈は思わず笑った。なるほど、彼女たちは顔が全てだったのだ。
納得できた。自分もイケメンが好きだった。三年間“ヒモくん”を囲っていたのも、あの美しさに溺れていたからだ。
「若様がお戻りです!」執事が慌ただしく駆け込み、まっすぐご老体の元へ向かう。
賑やかだった宴会場は一瞬で静まり返る。
全員が一斉に入口を見つめた。
執事の言う「若様」とは、もしかして九条修己?
噂では、九条佳乃が四十を過ぎてからようやく授かった唯一の息子だという。
さっきまで騒いでいたお嬢様たちも、今や息を呑み、目を輝かせている。
遥奈もまた、皆と同じく入口へと視線を向けた。
高級なテーラードパンツに包まれた長い脚が一歩、また一歩と会場に入ってくる。
その男の体躯はすらりと高く、広い肩に細い腰、背筋は松のように真っ直ぐで、完璧なプロポーションはまるで彫刻のようだった。歩み一つ一つが堂々としていて、人の心を打つ。
姿だけで、すでに人間離れした美しさだと遥奈は密かに感嘆した。
そして視線をゆっくりと上げ、ついにその顔を見た――
ドン!
遥奈は雷に打たれたように全身が凍りついた。
その顔――
一つ一つのパーツが精緻に彫られていて、顎のラインはまるで刃物で削り出したかのよう。神様が全身全霊を注いで作り上げた傑作のようだった。
肌はほとんど透き通るような白さで、まるで千年の窯で焼かれた最高級の白磁のように純粋で極上。
それでいて唇はひときわ紅く、まるで紅を差したよう。この鮮やかさが冷たい白さに絶妙な柔らかさを与えていた。まるで天界から地上に落とされた神でありながら、なお王者として生まれてきたかのような気品をまとっていた。
その上、ただならぬ冷ややかな雰囲気を纏い、彼が通るとまるで空気が一瞬凍るような感覚さえあった。
男の視線は会場を淡々と一掃し、遥奈の顔にとどまることもなく、すれ違っていった。
遥奈はその場に釘付けになり、魂が抜けたように長い間呆然と立ち尽くし、やっとのことで呟く。
「彼……誰?」
周囲のお嬢様たちはすぐに我に返り、また小声でささやき合った。
「まさに九条修己様よ!唯一無二の……!」
「三年ぶりだけど、もっとカッコよくなってる……しかも冷徹さも増してる!」
「さっき誰かアタックするって言ってたよね?挨拶すらできなかったくせに!」
「あなたも同じでしょ!」
少女たちはまた小声で言い合いを始める。
だが遥奈だけは、まるで見えない力でその場に縫いとめられたかのように、頭の中は真っ白で、ただ一つの思いが激しく鳴り響いていた。
まさか……!
あの三年間囲っていた“ヒモくん”が……?
そんな、まさか……