桜庭由佳が簡単に自己紹介を済ませ、挨拶を交わすと、中村静子に導かれ、三井雅人の腕を組んで社長室へ向かった。
田中明美が首を伸ばして二人の後ろ姿を見つめ、羨ましそうに言った。「初日から三井様ご本人がお迎えなんて…これが噂の社長夫人様ってやつ?」
山本玲子が彼女の肩に手を置き、舌打ちした。「わかってないわね。外部からCEOとして招かれたんだよ?グループの古株株主が黙ってるわけないじゃない。三井様がご同行なさるのは、『彼女の後ろ盾は三井財閥だ』って天下に示すためよ」
田中明美はほほを捧げ、ため息まじりに言った。「愛する人のために、こんなに早く道を整えるなんて…三井様、本当に深いお方ね!」
山本玲子もやや酸っぱく言い添えた。「会長令嬢でなければね、京都の頂点に立つあのお方の目に留まるわけないんだから」
田中明美は首を振った。「桜庭様ご自身も優秀じゃない?高学歴で、お美しいし。でも…顔といえば…」
彼女は小松美穂の方を見た。「美穂ちゃん、新社長と目元が似てる気がしない?」
山本玲子も近づいてじろりと見た。「あら、確かにちょっとね。でも美穂ちゃんの方が可愛いと思うわ!」
小松美穂は青ざめた顔で「冗談じゃない」とだけ言うと、立ち上がり、慌ただしく化粧室へと向かった。
田中明美は彼女の細い背中を見て心配そうだった。「美穂ちゃん、どうしたんだろう…」
山本玲子は鼻で笑った。「社長と似てるのに、あんな身分にはなれないって、悔しいんじゃないの?」
田中明美はそれ以上は口を挟まなかった。山本玲子は二枚舌で有名だ。黙っているに限る。
化粧室で、小松美穂は慌てて心臓の薬を取り出し、水なしで飲み込んだ。
しばらく荒い息を整えると、蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗い、鏡に向き直った。
病に苛まれた彼女の顔は土気色で、げっそりと痩せ細っていた。一方の桜庭由佳は…。
ぼんやりと考え込んでいると、化粧室のドアが開き、桜庭由佳がハイヒールの音を響かせて入ってきた。
彼女の肌は透き通るように白く、ほんのりと赤みを帯び、全身から高貴で優雅なオーラが漂っている。
学識も抜群、美貌と知性を兼ね備えている。小松美穂が一生かかっても届かない高みだ。
桜庭由佳の視線を感じた小松美穂は、急に居たたまれなくなり、慌ててうつむいてティッシュを引きちぎり、出ていこうとした。
「お待ちください」
桜庭由佳が彼女を呼び止めた。
小松美穂の心臓が狂ったように鼓動した。まるで悪いことでもしたかのように、その場に固まった。
自分こそが代わりにされた被害者で、何の落ち度もないのに、本人の前ではやはり場違いだと感じる。
桜庭由佳が彼女の前に立ち、穏やかに微笑んだ。「社長秘書室の秘書の方ですね?」
小松美穂は必死に感情を抑え、うつむいたまま頷いた。「はい」
桜庭由佳は腕時計を見た。「30分後に株主総会を開くので、気分転換にコーヒーを社長室まで届けていただけますか?」
小松美穂は三井雅人がまだ中にいることを思い、拒否したい気持ちが湧いた。
だが、まだ辞めていない以上、職務として応じるしかなかった。淹れたら田中や山本に頼もうと考えながら、うなずいた。
桜庭由佳は礼を言うと、誇らしげに去っていった。その足取りは、まさに社長の風格だった。
彼女の自信に満ちた輝きと、小松美穂の青ざめた病弱さは、痛いほど対照的だった。
病み衰えた小松美穂は、まるで桜庭由佳の色あせたコピーのようで、自らの惨めさを突きつけられた。
小松美穂はしばらく呆然と立ち尽くした後、気持ちを整え、化粧室を出て、給湯室へ向かった。
会長の好み通りにコーヒーを淹れ、代わりに届けてもらおうとしたが、田中明美たちは会議室の設営に呼ばれていた。
仕方なく、自分で届けることにした。
「どうぞ」
奥から桜庭由佳の優しい声がした。
小松美穂は、入ればきっと辛い思いをすると分かっていた。
一瞬躊躇したが、覚悟を決めてドアを開けた。
ドアが開いた瞬間、桜庭由佳が三井雅人の膝の上に座っているのが一目で見えた。
心の準備はできていたつもりだったが、実際に目にすると、コーヒーカップを持つ手が震えた。
気持ちを悟られまいと、すぐに目を伏せ、平静を装って言った。「桜庭様、お待たせしました」
桜庭由佳は少し照れたように言った。「そこに置いておいてください」
小松美穂はうなずき、コーヒーを置くと、振り返らずに退出した。三井雅人を一目も見なかった。
社長室を出ると、両足ががくがくと震え、壁に手をついてようやく体を支えた。
あの姿勢は、三井雅人が彼女に最もよく取らせたものだった。
さっきは何事もなかったように振る舞えたが、小松美穂の脳裏には、二人が親密に絡み合う幻影が渦巻いていた。
彼が自分にしたあらゆる行為を、桜庭由佳にもするのだろうか?
いや…もしかすると、彼が自分にしたすべては、桜庭由佳の模倣に過ぎなかったのかもしれない。
彼女の存在は、生きた代わりでしかなかったのだ…。
小松美穂は激しく痛む胸を押さえ、必死に体を起こして自分の席に戻った。
辞めなければ、早くここを離れなければ。残り少ない命の中で、彼らの仲睦まじい様を毎日見続けるのは耐えられない。
自分が感情を抑えきれず、三井雅人に「なぜ私を代わりにしたのか」と詰め寄ってしまいそうで怖かった。
辞表を書き上げると、社長秘書室の責任者である中村静子に承認を求めた。
中村は彼女に特に思い入れもなく、形式的に慰留する言葉を数言述べると了承した。
退職手続きには一ヶ月かかるため、小松美穂はすぐには離れられず、まずは有給休暇を半月取得することにした。
桜華グループで五年働き、貯まった休暇は丁度十五日分。退職前に消化するのも不自然ではない。
中村は彼女の焦る様子を一瞥すると、面倒そうに言った。「休みは取らせる。終わったらすぐに戻って引継ぎを」
小松美穂は「はい」とだけ答え、カバンを持って桜華グループを後にした。
会社の正面玄関を急ぎ足で出ようとしたその時、黒崎グループ社長・黒崎龍之介と出くわした。
彼は京都でも名高い女たらしで、女性を弄ぶ手口は言語道断だった。
小松美穂は笑みを浮かべて近づいてくる彼を見て、驚いて逃げ出そうとした。
しかし黒崎龍之介は素早く彼女の手首を掴むと、自分の胸元に引き寄せた。「どちらへ?」
そう言うと、わざとらしく彼女の耳元に口を寄せ、温かい息を吹きかけた。