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第十六話 私を触るな


三井雅人の背筋がぴたりと固まった。

その深い双眸は極寒の氷と化し、彼女を凍りつかせんばかりの破滅的な怒気をたたえている。

彼は彼女を数秒、凝視すると、手をひっこめるとウェットティッシュの束を掴み、狂ったように一本一本、指を拭いていった。

その嫌悪に満ちた仕草を見て、美穂は嗤った。「黒崎様ご自身が寝たとおっしゃったのに、三井様がわざわざ『確かめる』なんて、みずから恥をかくようなものでは?」

目尻に笑いをたたえながらも、羞恥や怒りの影はなく、ただ世の中を見透かしたような虚ろさと挑発だけがあった。

そんな無頓着な態度が、三井の抑えていた怒りに火を点けた。彼は擦り切れたティッシュを投げ捨てると、美穂の顎を鷲掴みにした!

十割の力。白い下顎にたちまち不気味な青紫色の痣が浮かんだ。

激痛で美穂の顔が青ざめたが、三井はまるで見えないふりをし、殺意を込めた言葉を一語一語、彼女の目に叩きつけるように言い放った。

「言ったはずだ──俺、三井雅人が手を付けたものに、誰も触れるなと」

その目には凶暴な気配が渦巻き、顎を掴む手が締まり続ける。今にも骨を砕かんばかりの力だった。

彼がこれほどまでに自制を失う姿を、美穂は見たことがなかった。咄嗟に言葉を失った。挑発するつもりなどなかった。繰り返される屈辱に追い詰められた末の反撃に過ぎない。それなのに、なぜ彼はこれほど激昂するのか? 気にかけているからこそ、なのか?

痛みをこらえ、最後の勇気を振り絞って、彼の嵐のような目をまっすぐに見つめた。「…私に誰かが触れたか、そんなに気にするなんて。もしかして、少しは私のことが…?」

五年も傍にいて、彼がこれほど取り乱すのを見たことはなかった。ひょっとしたら…ほんのわずかな可能性?

曇った瞳に、かすかな期待の灯がともった。彼の底知れぬ寒々とした目の中に、一片の情けを見出そうと凝視した。

しかし、そこに映ったのは、より深い嫌悪と軽蔑だけだった。

「何を気にしているか、お前は分かっているはずだ」

三井の冷たい一言が、そのかすかな灯を瞬時に消した。

もちろん分かっていた。三井雅人には潔癖症があった。彼のものは、たとえ捨てた後であっても、他人に触れられることは許されない。彼の怒りは、所有欲が侵されたことへの極度の不快感に過ぎず、愛情とは無縁のものだった。

自嘲が口元ににじむ。長く愛すれば、たとえわずかでも応答を願ってしまうものだ。残念なことに、その願いをかけた相手は三井雅人だった。

「どうやら私の思い過ごしだったようですね」 彼女は口元を歪め、崩れた笑みを作った。「でも…」 と、急に口調を変え、皮肉を込めて続けた。「関係を終わらせた後、彼氏を作ってもいいか、あの時聞きましたよね。三井様が『勝手にしろ』とおっしゃったんです。だから私は彼氏ができた。彼が触れるのは当然のこと。まさか、三井様が元女の寝所の事情までお気にかけるんですか?」

三井の表情がわずかに硬くなり、冷徹な顔に暗雲が立ち込めた。

その言葉に詰まる様を見て、美穂の胸に突然、深い哀しみが湧き上がった。思わず手を上げると、かすかに震える指先で、彼の鋭い眉尻を撫で、高く聳えた鼻筋を伝っていった。

これが、五年もの間、愛し続けた男か…それでも、やはり傷つけたくはなかった。

しかし彼は彼女を愛していない。ほんの少しも。それなら、なぜ未練がましく執着する必要がある?

彼を見つめて放心していると、三井が突然、彼女の手首を掴んだ!

「触るな!」 忌々しげに振りほどき、冷ややかに一言吐き捨てた。「**汚い**」

分かっていたこととはいえ、その言葉を直接聞くと、心臓が抉られるような痛みだった。歯を食いしばり、込み上げる感情を抑え込み、彼がまだ掴み続けている手を見下ろした。

「三井様」 かつての従順とは別人のような、投げやりな笑みを浮かべた。「そんなに嫌がりながら、手を離さないなんて…もしかして、未練?」

三井はようやく彼女の「本性」を見抜いたかのように、殺意の眼差しが消え、完全なる冷たさと距離感だけが残った。

ためらうことなく、彼女を突き放した。「**降りろ**」

美穂はドアに叩きつけられ、結い上げた髪が乱れ、惨めな姿になった。しかし彼女は全く意に介さず、乱れた髪を手でさっと耳にかけると、黙って床に散らばった破れた衣服を拾い、一枚一枚身に着けた。

身なりを整えると、ドアを開けて降りようとした。

「待て」 背後から冷たい命令が響いた。

美穂は足を止め、振り返った時には完璧な笑顔を浮かべていた。「三井様、やっぱり未練ですか?」

三井は彼女を一瞥もせず、小切手を一枚、彼女の顔に叩きつけた。

「五年分だ。お前への報酬だ」

小切手の鋭い縁が頬に微かな痛みを走らせた。彼女は数秒、硬直したように立ち尽くし、ゆっくりと腰をかがめて、その軽くも重い紙片を拾い上げた。

金額を目にした──五億円。胸中に苦みが広がった。

五年で五億円。五年前なら、狂喜したかもしれない。でも今は…。**末期の人間が、この金に何の意味がある?**

美穂は無表情で小切手をシートに戻した。「三井様はさすがにお気前がいい。でも、私がこれを受け取ったら、清く正しく黒崎家の若奥様になんてなれませんよ」

言外の意味は明らかだ──黒崎家の若奥様の座に比べれば、五億円など取るに足らない。そして彼の金を受け取ることこそが、名家へ嫁ぐ際の汚点になる。

この言葉で、三井の心に最後まで残っていた疑念は完全に消え去った。彼は彼女を見上げたが、その眼差しは赤の他人を見るような、冷徹なものだった。

「小松美穂」 その声は冷たく、断固としていた。「今後、永久に俺の前から消えろ」


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