小松美穂は無造作に笑った。「心配無用よ。」
もう二度と彼の前に現れることはない。彼女には「これから」がないのだから。骨の髄まで染みついたあの愛は、彼女の命と共に墓場に埋もれ、誰にも知られることなく消えていく。
三井邸。三井北斗の車が止まると同時に、ブガッティが庭園に滑り込んだ。
身長190センチ近い男がドアを押し開けて降り立つ。その体躯は松のように真っ直ぐで、完璧なプロポーションを誇っていた。全身から放たれる傲慢なオーラは重い圧迫感を伴い、見る者を畏怖させる。北斗ですら、そんな三井雅人の姿に触れた時、心の奥に一筋の冷気が走るのを禁じ得なかった。
彼は息を整え、早足で近づいた。「雅人兄、お帰り?」どこに行っていたのか尋ねたい気持ちを抑え、雅人の険しい表情を見て、口にした言葉を飲み込んだ。
三井雅人は無視し、彼を素通りして邸宅へと向かった。
玄関で控えていた使用人が深々と頭を下げた。雅人はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めて使用人に渡すと、酒棚へ直行した。クリスタルのグラスを二つ取り出し、十分に呼吸させた赤ワインを注ぎ、その片方を後からついてきた北斗に差し出した。
「用件?」冷たい口調。深夜に北斗が訪ねてくるには、それなりの理由があるはずだ。
北斗はグラスを受け取り、やや和らいだかのような雅人の表情を窺いながら探るように言った。「雅人兄、あの小松さん……以前、何か気に障るようなことでも?」
あの教養豊かな雅人が、公の場で女性に酒をかぶせるなど、尋常ではない。
三井雅人は冷たく一瞥を浴びせた。「余計な詮索はするな。」
北斗は撥ねつけられても腹を立てず、むしろ笑みを浮かべた。「まさか……兄が囲っているという、あの女性では?」
噂はかすかに耳にしていたが、お目にかかったことはなかった。今夜、雅人がこれほどまでに自制を失わなければ、彼女が誰だか永遠にわからなかったかもしれない。
三井雅人は陰鬱な目を上げた。「一体、何が言いたい?」
彼の苛立ちを察し、北斗は笑みを消し、表情を引き締めた。「雅人兄、あなた……あの小松さんに、心を動かされてはいませんか?」
「月影」で雅人が美穂を執拗に狙う姿を見た時、彼女の正体を悟った。当初は、桜庭由佳に似た代わりかと思っていたが、その後の雅人の制御不能な行動は、明らかに——嫉妬だった。この世で誰が嫉妬しようとも、三井雅人だけはあってはならない感情だ。これは決して良い兆候ではない。
三井雅人の、元より冷淡でよそよそしい面持ちが、一瞬にして氷のように凍りついた。目尻から眉先まで、刺すような冷気が漂い始める。
彼はグラスを置き、冷たい視線を北斗に向けた。「どう思う?」
北斗は覚悟を決めて推測を口にした。「多少は気にかかっているのでは? でなければ、黒崎様が『小松を寝た』と言っただけで、あれほど激昂して酒をかけるなんてありえませんよ?」
三井雅人は嘲笑した。「俺と別れたばかりなのに、あっさり黒崎のベッドに潜り込んだ女だ。一時の反応が収まらず、懲らしめただけだ。それを『好き』だと?」
彼がそう言う時、瞳にあった冷気は完全に消え失せ、底抜けの無関心だけが残っていた。まるで、罰を与えられた相手など、取るに足らない影に過ぎないかのように。
北斗はその様子を見て、内心ほっとした。
この義兄には潔癖症がある。自分が手を出したばかりの女が、すぐさま他の男の懐に飛び込むことに一時的に耐えられなかったのも無理はない。何より、桜庭由佳が帰国するや否や、兄は即座に美穂との関係を断った。これこそが、彼の心の中で、美穂という代わり(代役)がどうでもよい存在であることを示す何よりの証拠だ。
北斗はこれ以上詮索せず、杯の酒を一気に飲み干し、立ち上がった。「では、兄、これで失礼します。」
三井雅人は一言も発せず、ただ淡々と頷いた。
北斗は彼の冷淡さには慣れっこで、気にも留めない。上着を手に取り、振り返らずに去っていった。
外は土砂降りだ。秘書が傘を差し出し、車まで護衛した。北斗は京都市内へ向かうよう指示を出した。
交差点で信号待ちをしている時、彼は薄いドレス一枚で雨の中を必死にタクシーを探す美穂の姿を目にした。
彼女の細身の体は、雨に打たれてドレスが肌に張り付き、一層みすぼらしく見える。海藻のような長い髪が、小さな顔にびっしょりと絡みつき、乱れの中にはかなくも美しいものを感じさせた。
一台また一台とタクシーが彼女の前を駆け抜けていくが、一台も止まらない。
北斗は一瞬ためらい、結局、秘書に彼女の前へ車を寄せるよう命じた。
美穂は眼前の雨を手で遮りながら、傘を差した男が近づいてくるのをぼんやりと見た。傘が頭上を覆った時、彼女は一瞬呆然とし、ゆっくりと顔を上げて見上げた……
その瞬間、はっと五年前の三井雅人を思い出した……
あの時も同じような土砂降りだった。キャバクラの入り口に跪き、通りすがりの男に身を買ってくれと哀願していた。無数の男たちが彼女にセクハラし、好き勝手に嘲笑ったが、誰一人として彼女を買おうとはしなかった。やがて、黒いオーバーを纏い、気高く冷ややかな気質の男が、一本の傘を差しながら、彼女の前に立った。
傘が頭上から雨風を遮ったその瞬間、彼女は救いの神を見た思いだった。
彼女はもがきながらその男の足元へ這い寄り、ズボンの裾を掴んで泣きながら哀願した。「一晩でいい…私を買ってください…」
男は見下ろすように彼女を見つめ、軽蔑や嘲笑の色はなく、ただ冷たく一言尋ねた。「清潔か?」
彼女が顔を真っ赤にして強く頷くと、初めて彼は長く整った美しい手を差し伸べた。
彼女の手が、彼の大きく厚い掌に収まったその時から、この人生は沈んでいく運命にあったのだ……
「早く乗れ。送ってやる。」北斗が後部座席のドアを開け、雨音に混じって優しい声が響いた。
美穂ははっと我に返った。目の前の人物は三井北斗、三井雅人の従弟だ。
彼女と三井雅人はもう終わった。もう三井家の者とは関わるべきではない。しかし、携帯電話は電池切れ、タクシーは捕まらず、雨宿りできる近くの店も閉まっていた。
彼女は一瞬躊躇したが、それでも車に乗り込んだ。
全身がびしょ濡れで、後部座席のカーペットも濡らしてしまった。美穂は慌ててティッシュを取り出し、拭きながら顔を赤らめて詫びた。「すみません、車を汚してしまって。」
彼女の卑屈な様子を見て、北斗は慌てて止めた。「構わん、カーペットごとき、汚れたら捨てればいいだけだ。」