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第22話 隠しきれない秘密


医師という仕事は忙しく、三日間の休暇を終えると、早川奈美は予定より早く病院の当直に戻ることにした。


出発前夜、早川美智子はあれこれと世話を焼き、奈美の小さなスーツケースをぎっしりと詰め込んだ。


「三食きちんと食べなさいよ。若いからって胃を酷使しちゃだめよ」とスーツケースのファスナーを閉めながら、まだ心配そうに言い足した。「早く帰れる日は家に戻りなさい。兄に送り迎えさせるから。娘一人で外に住んでるなんて、やっぱり寂しいものよ」


奈美は胸がじんわり温かくなり、養母に抱きついた。「わかったよ、お母さん」


普段は病院近くの代官山ヒルズにあるマンションに住んでいる。60平方メートルほどで、早川家が彼女の18歳の成人式に贈ったものだった。


郊外にある早川家には、奈美は通常週末だけ戻る。その度、スーツケースはお母さん・美智子の愛情――ほとんどが食べ物で――でいっぱいになるのだった。


美智子がまだ何か言おうとした時、ソファで新聞を読んでいた早川健一が顔を上げ、苦笑いしながら言った。「もういいだろう、奈美は子供じゃないんだから、自分のことは自分でできるよ。まだ引き止めてたら、真っ暗になっちまうぞ」


美智子がむっとした目で健一を睨むと、彼はすぐに口を閉ざした。美智子は振り返って、息子の早川陽介に言った。「重いから、スーツケースを玄関先まで運んでやりなよ。奈美に持たせるんじゃないわよ」


陽介がスーツケースを受け取ると、冗談めかして言った。「お母さんさ、もしかして俺ってゴミ捨て場で拾われてきたんじゃないの?」


「バカなこと言うんじゃない! まさにその通りよ!」美智子は叩く真似をした。

陽介は笑いながら運転席に滑り込むと、窓を開けて言った。「奈美、早く乗れよ。マジでお母さん、俺をゴミ箱に捨てようとしてるぜ」


奈美は思わず笑い出した。両親に別れを告げて車に乗り込んだ。


車が走り出すと、陽介は窓を閉め、後部座席から薄いブランケットを取って奈美の膝にかけた。「奈美、あの一千万円は本当に助かった。会社はひとまず持ちこたえられそうだ」


奈美はほっと一息ついた。だが、新たな問題が浮上していた。元々は高橋翔太に一千万円の借りがあっただけ。ところが今は、高橋翔太の分を返せていない上に、新たに黒沢直樹に一千万円の借りを作ってしまったのだ。


陽介は彼女の心配を見て取った。「金のことは気にしなくていい。あと一ヶ月もすれば、会社に入金があるから、それをまず高橋翔太に返して、彼とはきっぱり縁を切ろう」


奈美はうなずいた。「うん…。ただ、お父さんとお母さんには、私と高橋翔太がもう…って話、まだしてないんだ」


別れた理由を詳しくは話さなかった。高橋翔太の浮気はあまりにも醜い話で、早川家の人たちが知ればきっと詰め寄りに行くに違いない。奈美は事を大きくしたくなかったし、何より家族が不利な立場になるのが怖かった――何しろ高橋翔太の後ろには黒沢家がついているのだから。


感情の行き違いで、静かに終わらせたほうがいい。

陽介は詮索しなかった。彼は奈美を理解していた。よほどのことがなければ、婚約したばかりで即別れることはない。彼女が話したくなければ、それに合わせるつもりだった。「金を返してから、お父さんとお母さんには性格の不一致で別れたって話そう」


奈美もそれでいいと思った。「じゃあ、黒沢直樹さんに借りている分は…」


「黒沢さんの件は俺が対応する。君は出てこなくていい」陽介の口調は固かった。彼は黒沢直樹を危険すぎる存在と感じており、妹があの男と深く関わるのは避けたかった。


奈美もそのほうが賢明だと思った。

四十分後、車は代官山ヒルズの前に停まった。陽介はスーツケースを玄関先まで運んだ。

立ち去ろうとして、彼は一瞬ためらい、奈美を見つめながら優しく尋ねた。「奈美、高橋翔太と縁を切ったら…どうするつもりだ?」


奈美は眉を上げ、兄の言葉に含みがあるのを察した。

陽介の視線が彼女の顔に注がれた。透き通るような白い肌、完璧な造形の精緻な顔立ち。


「君が婚約したのは、主に家を助けるためだったろ…今、会社の状況も落ち着いてきたし、君は…」彼の喉仏が動き、声を潜めた。「…好きな人を選べばいいんだ」


奈美は、スーツケースを運んだせいで少し曲がってしまった兄のネクタイに気づき、自然に背伸びをして整えてやった。

突然の接近に陽介の息がわずかに詰まった。彼は気まずそうに顔をそらし、顎のラインがわずかに固くなる。何かを抑えているようだった。


ネクタイを整えると、奈美は二歩下がり、見上げて彼に笑いかけた。その瞳は澄んでいて、無邪気そのものだった。「好きな人? 兄さん、仕事が忙しくてそんなこと考えてる暇なんてないよ」


廊下を抜ける涼しい風が、陽介の胸中にわだかまっていた得体の知れない熱を散らした。


彼はほっと一息つくと、手を伸ばして彼女の頭を軽く撫で、甘やかすような口調で言った。「ああ、女の子が仕事に打ち込むのはいいことだ。結婚は急がなくていいよ。お父さんもお母さんも、君をもう少し家に置いておきたいみたいだしな」


早川家は、養女である奈美に対して、実の息子である自分以上に気を遣っていた。昔、神奈川県で隣同士だった頃、二軒の家はとても仲が良かった。奈美が生まれた時、美智子は真っ白で愛らしい赤ん坊を抱いて離さず、冗談で「将来うちの息子の嫁にして」と言ったものだった。


四歳の陽介は、そのしわくちゃの「お嫁さん」を不思議そうに眺め、彼女の頬をちょんとつついてみた――結果、赤ん坊を泣かせてしまい、自分もぶん殴られたのだった。


陽介を見送り、奈美はアパートに戻り、熱いシャワーを浴びた。

顔にパックをして休もうとしたところで、携帯が鳴った。親友の小林優衣からだった。


「奈美! どういうこと⁉ この前、黒沢直樹さんの車で戻ってきたって⁉」


優衣の声は切迫していた。


奈美の心臓が高鳴った。


「どうして知ってるの?」


「私だけじゃないわよ、病院中に噂が広まってるの! 院内掲示板に、あんたたちの関係がただならねぇって書き込みがあって、『ラブラブ写真』まで貼られてるんだって!」


奈美の心臓は一気に沈み、血の気が一瞬で引くのがわかった。


あの朝、黒沢さんの部屋から出てくるところを、田中拓真の他にも誰か見ていたのか?


彼女と黒沢直樹のこと…隠しきれないのか?



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