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3 - 8

 亜由美が登ってくるのを、サラは屋上で待っていた。

「あんたなぁ……人に見られたらどうするんよ?」亜由美は注意する。

「人いなかったじゃん」サラは肩をすくめる。「私だってちゃんと確認したよ」

「家帰らなくていいの?」

「アユミと一緒にいたって言えば、大丈夫。というわけで……」

 そう言うとサラは一度大きく伸びをして肩を回してから、亜由美を見る。

「二回目のレッスン、やろうよ」

「レッスン?」亜由美はとぼけてみせるが、サラには通用しない。

「忘れたなんて言わせないよ」

「そっか、そうねえ」亜由美は腕を組む。「じゃあ一回目の復習から……」

「要らない。覚えてる」サラは聞き終わる前に答える。「それより実際の使い方を教えてよ」

 亜由美は頭を掻く。サラに“力”の使い方を教えると言ったが、なにをどう教えるか全く考えていなかった。


「何をやりたい?」サラに訊いてみることにする。

「うーんと、じゃあ……」

 サラは少し考えてから、亜由美の目を見て、手をかざす。

 そして、命じる。

「動くな」

 何も起こらない。

「……何してるの?」亜由美は首を傾げる。

「〈催眠〉をかけてる」サラはそう言ってから、「……つもり」と付け足す。

 亜由美はわざと両手を大きく動かす。

「……!」サラの表情が険しくなる。

 亜由美はわざとシャッフルダンスのステップを踏む。

「ふんぬっ……!」サラの眉間に皺が寄り、鼻の穴がふくらむ。

 亜由美はふざけて『パルプ・フィクション』のユマ・サーマンのようにツイストを踊る。

「……はあ~、全然だめだ」

 サラは肩を落とす。

「まあ最初だし」亜由美はそう言うが、笑いを堪えきれずにふふっ、と声を漏らす。

「あ、笑ったな!」

 詰め寄ろうとするサラに亜由美がささやく。


「跪け」


 その瞬間、サラは崩れ落ちて地面に膝をつく。

「え、何……?」まだ何が起こったかわかっていないようだ。

「これが〈催眠〉だよ」

 亜由美は姿勢を落とし、サラの顔を見る。

「練習その一。この〈催眠〉から抜け出してみて」

「抜け出すって……」サラの額に汗が浮かぶ。「全然動けないよ!」

「闇雲に動こうとするからだよ」亜由美は静かに言う。「まずは自分の身体に起こってることを認識して。味わって。そうすることで“力”への理解が深まる」

「わかった」サラは目を閉じる。

 亜由美はサラを見守りながら、その全身を観察する。

 サラの指先が動く。

 おっ、いいぞ――亜由美は声をかけたくなるのを堪える。

 それからサラは、肘を曲げ伸ばしして、肩を回す。そして膝に手を当てると、すっと自然な動きで立ち上がる。

「できた……!」

 サラはほっと息をついて、顔を綻ばせる。


「上手いよ」亜由美は小さく拍手して、それからサラに訊く。「どう感じた?」

「何ていうか……最初は、脳の中の、全身の筋肉に命令を出す部分が乗っ取られたような感じだった。それで、どうしようと思って……多分無意識のうちに頭を掻こうとしたんだと思うんだけど……その時に自分の指先が動くのがわかった。その感覚を指先から少しずつ広げていくことで、身体のコントロールを取り戻していった、そんな感じかな」

 サラは両手を動かし、それを見つめながら続ける。「きっと、意識しすぎずに動いたのが良かったんだと思う。“動かそう”と思うと、〈催眠〉で与えられた命令と拮抗してしまうから。だから、半分くらいは身体が勝手に動くのに任せる感じでやった」


「良いね」亜由美はパチンと手を叩く。「じゃあ次は練習その二。今のを私にやってみて」

「やってみてって……どうやって?」

「〈催眠〉をかけられたときの感覚を覚えてるでしょ。あの、相手とつながった感覚。それを再現してみて」

 サラは目を閉じ、亜由美に手をかざす。しかし、何も起こらない。

「……できてる?」サラは自信なさげだ。

「どう思う?」亜由美は聞き返す。

「多分、違うと思う。でも何が違うんだろ?」

 亜由美は腕を組む。「サラ、念じてない? “動け”って」

「違うの?」

「違う」亜由美が首を振る。「自分一人で念じたところで、何も起こらない。まず、対象を感じることが一番大事。相手を認識して、自分とのつながりを捉えてみて」

 サラはもう一度目を閉じ、亜由美に手をかざす。

 今度は“気配”が違った。

 亜由美は自分の脳が、サラからの信号を受信するような感覚を得る。それは古い無線機のように粗くて頼りないが、それでも方向としては上手くいっている証拠だ。


「跪け」


 亜由美の中にダイレクトに“命令”が入り、身体はそれに従う。

 膝をついた亜由美を見て、サラは目を丸くする。

「今の、いけてた?」

「どう思う?」亜由美はサラを見上げて微笑む。

「さっきよりも手応えは感じてる」

「うん、うん。ぎこちないけど、最初にしたら上出来だよ」

「念のため聞くけど」サラは目を細めて亜由美を睨む。「ヤラセじゃないよね?」

「違うって」亜由美は手を振って笑う。「上手くできてるよ。そら確かに私が本気で防御したら効かないけど、それだと練習にならないでしょ? 合気道とかと一緒で、“受け”もちゃんとしないとね」

「受けてくれるの? じゃあ今度は……」

 サラがにやりと笑って手をかざす。


「後ろに吹っ飛べ」


 その瞬間、亜由美は後ろに強く引っ張られる。

「え、ちょ……!」

 まるで今まで立っていた床が一瞬で壁になり、背中から地上に落下していくような感覚だった。

「うわっ!?」

 亜由美は咄嗟に電子を〈操作〉し、背後に“安全ネット”を〈生成〉する。

 “安全ネット”が全身を包み込んだ時には、さっきまでの“引力”は消えていた。そのまま着地するつもりが、ついバランスを崩して尻もちをついてしまう。


「ちょっと、違くない!?」

 亜由美の声が裏返る。突然の出来事に、まだ心臓が高鳴っている。

 見ると、サラは手を叩いて喜んでいる。

「いやー、アユミがそんなふうに驚く顔を見てみたかったんだ!」

「今の……〈念動力〉?」

「そういうこと」サラは胸を張る。「家で練習してたら、使えるようになったんだ」

「ほんま? すごいな……」

 勝手に“力”を使うなって言ったでしょ、と叱るべきか一瞬悩んだが、タイミングを逃してしまった。亜由美自身、サラの能力の開花に驚いていたし、なぜだか嬉しいような気持ちにもなっていた。

 サラはまだ得意顔だ。「この“力”が使えるようになってからさ、どうやってアユミをびっくりさせようかずっと考えてた。今日夢が叶ったよ!」

「そうかい」亜由美は苦笑いする。「リアクションには満足した?」

「いやー、最高」サラはニヤニヤしながら亜由美の顔を覗き込む。「あ、でも、もしかしてヤラセだったりする?」

「あんた、ヤラセの意味わかってる?」

「アユミ、こんな顔してた」サラは目玉をひん剥いて、口を尖らせる。

「あんまからかうと怒るで?」

 亜由美が凄み、サラがそれを見て一層笑う。

 サラの満面の笑みを見ていると、亜由美はそのおでこを弾きたくなってくる。


「じゃあさ、鬼ごっこしようよ」

 唐突にサラが提案する。

「じゃあさ、じゃねえんだわ」

「私が逃げるから、20秒以内に捕まえたらアユミの勝ちね」

「いや、さすがにそれは止めとこうや」亜由美は首を振る。「夢中になって他人に見られたらまずいし」

「大丈夫だって」

「いや、マジで待ってよ」

「レディー、ゴー!」


 サラは踵を返して走り出し……一歩踏み出したところで透明な“壁”に激突する。亜由美が〈生成〉したものだ。

「おぶっふぉ!?」

 サラはビタンと“壁”に張り付いてから、仰向けにひっくり返り、足を空中に突き出す。

 間抜けな声に、ユーモラスな動き。リアクションとして完璧すぎた。百点満点で百二十点だった。


 そしてそれは亜由美の笑いのツボにはまってしまう。

 サラは仰向けのまま放心したような表情で周囲を見回す。爆笑する亜由美と目が合い、そこで自分が何をされたか悟る。

何だよワット・ザ・ファック!」サラは起き上がりながら、罵りの言葉を吐く。

「サラ」亜由美は笑いながらメリッサの口調を真似る。「言葉遣いラングエッジ

「うっさい!」サラは顔を真っ赤にする。

「いやー、今のサラ、超成績良さそうやったなあ」

「最低! 最っ低!」


 亜由美はもっとサラをからかいたかったが、言葉が出なくなった。笑いの発作が襲ってきたのだ。息が苦しくなり、脇腹が攣りそうなくらいに張ってきて、目から涙が出てくる。年に何回かあるのだが、ツボに入るとこんなふうに、笑いが止まらなくなってしまうのだ。

「ねえ……大丈夫?」

 腹を抱えて震えている亜由美を、サラは不審者を見るような目で見る。

「ちょ、ほんま……」亜由美は声を絞り出す。「……やめてや……」

「自分がやったことじゃん」サラは呆れたように言う。「“やめて”って、こっちのセリフだよ」

「ごめん……ごめんて……」亜由美は深呼吸をしようと試みる。

「アユミって酔っ払うと笑うタイプ?」

「そうじゃない。第一私は酔ってない」

「ワイン、どれだけ飲んだの?」

「三人で同じペースで飲んで、三本空けたから、単純計算で大体ボトル一本分飲んだかな。でもそれだけでは酔わない、私強いから」

「私でも知ってるよ、酔っ払ってる人って自分は酔ってないって言うの」

「絶、対、に、酔ってない」

「もうどっちでもいいよ……」サラは溜息をつく。


「ごめん、ごめんな」亜由美はサラの肩に手を置く。笑いの波がおさまると、サラに申し訳ない気持ちが前に出てくる。

「別にいいけど」サラは俯く。

「機嫌なおしてよ」

「別に機嫌悪くないし」

「そうだ、景色のいいとこに行かない? ウチらにしか行けないようなとこで」

 それを聞いて、サラは少し驚いたような表情になる。大きな瞳がきらりと輝く。

 亜由美は二、三歩サラから遠ざかると振り返り、両手で“おいで”とジェスチャーをする。

「そうだね」サラはニッと笑う。「悪くないかも」

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