目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

3 - 9

 それから数分後には、二人は高層マンションの屋上に立っていた。

 そこは巨大な室外機とそれをつなぐ太いダクトや配管で覆われていて、普通のマンションの住人が過ごせる空間でないことはすぐにわかった。ここに立ち入れるのは、管理者か超能力者のどちらかくらいだろう。


「こんな高いとこまで来たの、初めてだ」

 サラは頬を上気させる。

 亜由美は改めてサラの超能力に驚かされていた。自分がビルの屋上に続く“足場”を〈生成〉している横で、サラは突然宙に浮かび上がったのだ。そしてそのまま、滑り落ちるかのように上空へ進んでいった。あの瞬間の光景はきっと忘れないだろう。

「凄かったよ、さっきの」亜由美はサラに言う。「〈念動力〉を自分に使ったんでしょ?」

「そうだよ」

「他のものを動かすのと自分自身を動かすのとでは、感覚が違うんじゃない?」

「どうだろう」サラは顎に手を当てて考える。「基本的な部分は、似てると思う。どういう感じかっていうと……前に、目を閉じても周囲が〈認識〉できるって言ったよね。それで、そうやって〈認識〉してるときに、自分や周りの物の“引力”――実際は何なのかわからないけど――そんなものを感じるんだ。その“引力”を強めたり、向きを変えたりすることで、〈念動力〉を発動させてる。自分を動かすときは、何か大きなもの――例えば目の前の空間全体とか、大きなビルとか――との間の“引力”を意識してる。引っ張りあったとき、向こうが動かないから、結果として自分が動く、みたいな感じ」


 亜由美は感心しながらサラの説明を聞く。

 彼女は明晰に“力”を捉えている。

 超能力の理解が当たっているかどうかは簡単に検証できる。その理屈で可能とされることが、実際に出来れば、当たっている。要は、上手くいけばよいのだ。そしてサラは、〈念動力〉を応用して実際に空を飛んだ。


「亜由美は〈念動力〉は使えないの?」サラが訊く。

「サラが使ってるようなのは無理」亜由美は首を振る。「私は電子を〈制御〉できるから、真似事はできるかもしれないけど」

「個人差があるの?」

「超能力者なら共通で使えるような、中核(コア)になる能力もあれば、出来る出来ないの個人差が大きい能力もある。中核(コア)になるのは、例えば〈身体強化〉とか、〈催眠〉とか、他人の超能力を察知したり、機械を操ったりとかかな。あなたの〈念動力〉とか、私の〈電子制御〉とかは、後者の能力になる」

「そういえば、前アユミが言ってた〈クラッキング〉っていうのは?」

「あれは〈催眠〉みたいなものだけど、使ってるときの感じがもっと侵襲的だったから、個人的に呼び方を変えてるだけ。同じようなものだと思っていい」

「なるほどね」

 サラは何度か頷くと、遠く広がる夜景に目をやる。周囲には視界を遮る高いビルがないから、灯りに縁どられた地平線まではっきりと見える。


「いい景色」サラはため息混じりに呟く。

 亜由美はサラの横顔に目を向ける。艶やかな黒髪に、透き通った肌。鼻筋のシルエットが美しい曲線を描く。その絵画のような容姿の内側には、絶望から立ち上がった強い魂が輝いていて、それが彼女を大人に見せている。でもその一方で、サラには少年のような真っ直ぐさや無邪気さもあって、それが彼女という人間に愛嬌と、独特の奥行きを加えていた。

「アユミ」サラは俯きがちに、横目で亜由美を見る。「今日のアユミ、雰囲気違って、綺麗だね」

「ありがと」

「あれ、実は髪の毛染めてるの?」

「染めてないよ、色素がちょっと薄いだけ」

「なんか、光が当たると琥珀みたいで綺麗な色」

「ありがと。照れるわ」

 亜由美が笑うと、サラも肩をすくめて笑う。


 ちょうど、会話が途切れたタイミングだった。

 亜由美は、聞こうと思って逡巡していた質問をすることに決める。どこかで聞かなければならないことだった。でも、今を逃すと二度と聞けない気がした。

「ねえ、サラ――いつまで続ける?」

 少しの間、沈黙が流れる。

「何を?」サラは何気ない風に答える。

「分かってるはずだよ」

 亜由美が言い、また沈黙の時間が生まれる。


 俯いていたサラが、ふっと息を吐いて、口を開く。

「変に思わないでね?」サラは努めて明るいトーンで話す。「私、自分は男の子が好きだって思ってた。実際好きな男子もいて、付き合ったりもしたし。短期間でフってやったけど。それに、これだって、私の苦し紛れの嘘に話を合わせて、芝居を手伝ってもらってるだけだって思ってた。でもさ、何ていうか……こうしてアユミと一緒にいたら、それも良いなって気がしてきて。だって、アユミは強いし、格好良いし、優しいから。……そういうのって、やっぱり変かな?」

 冗談っぽく、少し大袈裟な話し方をするサラを見ていると、彼女が隠そうとしている不安や緊張を余計に意識してしまう。


「もしかしてさ、最初から、私のこと狙ってたの?」伝染してきた緊張を和らげるために、同じように冗談っぽい口調で訊く。

「わからない」サラは頭を掻く。「いつからこんな気持ちになったのか、自分でもわからない」

「外堀から埋めてく感じで、家族と会わせて、ノーって言いにくい状況を作って」

「違う、騙そうとしたわけじゃないから」

「策士だねえ?」

「だから、そういうつもりじゃないんだって、信じてよ!」

 サラの声から余裕がなくなる。

「疑ってるとかじゃない」亜由美はサラの腕に手を添える。「ごめんね、私も意地悪言った」

「ううん、でも、悪いのはやっぱり私だと思う」サラは首を振る。「変なことに巻き込んでごめんね。私、変なことばっかり言ってるよね」

「変じゃないよ。人の気持ちなんて刻一刻と変わるものだし。女の子のことが好きになるのも、別に変じゃないと思うし」


 亜由美はサラの腕に触れていた手を放し、両手を組む。一呼吸おいて、続ける。

「……ただ、私を好きになるのは、やめた方がいいと思う」

「それは、どうして?」

「……私は、あなたを幸せにしてあげられないと思うから」

「どうして?」

「……今まで、上手くいったことがないから」

 答えながらも、亜由美は自問していた。どうして、サラを拒絶するんだろう。

 これまでも交際相手は普通にいたし、高校の時は後輩の女の子とも、遊び半分で恋人ごっこをしていた時期もあった。相手を幸せにできるか、みたいな難しいことなんて何も考えていなかった。そんな感じで、サラに対しても「いいよー、本当に付き合っちゃおっか」なんて言う選択肢もあった。でも、それはできなかった。どうしてこんなに腰が引けてるんだろう。

 答えはすぐにわかる。それは、本当にサラが大切だからだ。

 サラのことが好きで、サラの家族のことも好きだからだ。

 だからこそ、親密になるのが怖いのだ。自分が全部、ぶち壊しにすることを想像してしまう。命を落とした幼馴染の顔が、脳裏をよぎる。


「ねえ、アユミ」

 サラが口を開く。

「私は、他人から幸せにしてもらわなくても、自分で幸せを見つけられる。今こうして、アユミと一緒にいることで、私は幸せを見出してる。それじゃ駄目?」

 亜由美は言葉に詰まる。

 サラは、幸せだと言ってくれた。私と一緒にいて、幸せだと。

 そんな言葉をかけてもらえる資格が、まだ私にあったのか。

 涙が出そうになる。

 ありがとう、サラ。

 私も、あなたと一緒にいると、救われるような気持ちになる。

 それでも——。


「やっぱり、怖いんだ」声が震えるのを抑えて、亜由美は言う。

 口に出してから、失敗だったと後悔する。年下相手に、いつまで弱音を吐いてるんだ、私は。

 サラは静かに、亜由美の次の言葉を待っている。

「怖い、ていうか何ていうか……私は、きっと、サラが思ってるような人間じゃないっていうか……」空中分解しそうになりながら、亜由美は何とか話の軌道を変えようと試みる。「サラのことは、大事に思ってる。本当にそう。だから……幻滅させたくないし、傷つけたくない」

「それが怖い、てこと?」サラが訊く。

「……うん」

 亜由美はそう答えてから、全く話の軌道が変わっていなかったことに気づき、頭を抱えたくなる。

「私だって、怖いよ」サラが言う。「本当は、私なんかがアユミの隣にいる資格なんてないんじゃないかって思う。……私も、多分、アユミが思ってるような人間じゃないし」

「本当?」

「うん」

「じゃあ」亜由美は出来る限りさりげない調子で言う。「お互い、もっと時間が必要ってことなのかもね」

「うわ、ズルいやつだ」サラは口を尖らせてみせる。

「バレたか……」

「……まあ、でも、今回は同感かも」


 会話が途切れ、二人は何となしに夜景を眺める。

 亜由美は街の光に目を向けながら、隣にいるサラを感じる。こうしていると、この世界にサラと自分しかいないような気がしてくる。

 五月の夜はまだ気温はそれほど高くないし、その上高層マンションの屋上で風に当たっていたからだろうか、知らない間に手足が冷えてきていた。

 サラは何も言わず、すっと亜由美に肩を寄せる。亜由美が動かないでいると、そのまま頭をもたれさせる。

「じゃあ……」亜由美は静かに言う。「もうちょっと、今の感じで続ける?」

 サラがこくりと頷くのを、亜由美は肩で感じる。

 触れ合った肌は温かくて、しばらくの間そうやってお互いの体温や呼吸を感じ合う。

「明日は暇?」サラが訊く。

「明日は〈Footprints〉でバイト」

「お店に行っていい?」

「いいよ」亜由美は微笑む。「ただ、道中に超能力使うのは、なしね」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?