伊関杏子は山名を真正面から見据える。
細身で背は高く、スマートな風貌だ。顔は微笑んでいるが、瞳の底は路地裏の闇と同じくらい暗い。
杏子も山名の存在に覚えがあった。外見は覚えていないが、〈感覚〉は記憶している。警視庁で、この男を“感じ”たことがあった。
颯介の車を投げ飛ばしたのが警察官だということにも、驚かない。横転したディスカバリーに感じた“痕跡”と同じものを、警視庁内でも感じていたからだ。
「よく俺の場所がわかったね」山名が言う。
「あちこちで“力”を使ったでしょう。辿ることは容易かった」
「だとしても、凄いよ。大した感覚だ」
「あそこでも、超能力を使ってたでしょう」杏子は山名の背後にある倉庫を指差す。「何をしてたんですか?」
「それは、君に関係あるのか?」山名は腰に手を当てて杏子を見る。
杏子は黙って目の前の男の観察を続ける。
やがて山名はため息をついて言う。「悪党退治だよ。業務時間外だけど。渋谷のクラブを襲った半グレと、そいつを襲った半グレを、まとめて片付けてた」
「その人たちは、超能力者?」
「いやいや、そんなに大勢はいないよ、超能力者なんて」
「それなら、どうして通常の司法で対応しないんですか?」
「あんなの時間がかかって仕方ないだろ」山名は手を広げる。「ていうか、そんなこと訊くために俺を追ってきたわけじゃないよね?」
杏子はゆっくりと数歩山名に歩み寄る。
「あなたに襲われて車を壊されたのは、私の協力者です。何で彼を狙ったんですか?」
山名はその場を動かない。
「庵原颯介くんだろ? 捕まえて話を聞こうと思ったら、あいつがいきなり車で突っ込んできたんだよ。俺は正当防衛だと思ってる」
「なぜ捕まえようとした?」
「彼、武政の事件を調べてるみたいだったから。殺人に関係してたりしないかと思ってね」
山名は視線を杏子から外さないまま、ゆっくりと杏子を中心に円を描くように歩く。
「それから、杏子さん、君のことも調べさせてもらったよ。色々とね」
杏子は考えを巡らせる。この男はどこまで知っているのか。私のことを、どうやって調べたのか。警察のデータを当たったのか。誰かから聞き取りをしたのか。
そして、ある可能性に思い当たり、胸騒ぎを覚える。
「……石井さんに、〈催眠〉をかけたんですか」
山名は両手を小さく上げて、微笑んでみせる。
「こっそり聞き出しただけだよ。ダメージも、後遺症も与えてない」
「あの人によくそんなことができますね」
杏子は胸の中で憤りが渦巻くのを感じる。
石井刑事は、まっとうな人間だ。私自身の超能力に意味があるとするなら、それは彼のような人間の助けになれるという点においてだとさえ思える。
決して雑に扱っていい人じゃない。それなのに、山名は石井に〈催眠〉をかけ、一方的に従わせ、情報を奪った。
憎らしい——杏子は自分の心の動きを認識する。
同時に、その憎しみを身体から洗い流すように、深く呼吸をする。負の感情が判断や行動の妨げになることを杏子は知っている。
「さすがに、度を過ぎているとは思わないですか?」意識的にゆっくりと、杏子は訊く。
「何が?」山名は目を細める。
「超能力を持たない人相手に超能力を行使することに、何の躊躇いもない?」
「逆に聞くけど、何で躊躇う必要があるのかな?」
「長期的な信用の問題です。“力”があるのをいいことに好き放題やる、人殺しまでする、そんなことをしてたら、いつか必ず他者の知るところになる。そうしたらどうなりますか。超能力者という存在自体が、忌み嫌われて、目の敵にされる。そこに対立が生まれる。そしてそれは、社会全体の損失になる」
山名は顔を顰める。「随分と意識高いこと言うけど、君だって人のこと言える立場? 自分が“シロ”だって言える?」
「私は自分が“シロ”だとか考えたことは一度もないですよ」
「そりゃそうだよね。……俺、知ってるよ。武政瞳は君が殺したんだろ? 相手が超能力者なら殺してもいいの?」
杏子は答える。「人を殺したらいけないことくらい、わざわざあなたに言われなくても知ってます。でもそんな正論唱えたところで、“力”を持つ人が持たない人を嬲り殺しにするのを止められないなら意味ないでしょう。そういう連中を止めるためには、自分の手を汚してでも抑止力にならなければならない」
山名は肩をすくめる。「じゃあ、超能力者しか相手にしないのは何か意味があるの? 弱い奴を嬲る奴なんて、超能力者以外にも沢山いるだろ。そんなに正義感溢れてるなら、もっと自分の“力”を使えばいいのに」
「普通の人間の抑止力なら、既に警察とかがあるじゃないですか。私が関わる筋合いがない。そこに手を広げだすと、収拾がつかなくなるし、どこかでやりすぎるかもしれない。だから自分でルールを決めるんです。それがそんなに変ですか?」
二人は睨み合う。お互いに、一歩踏み込めば拳が届くくらいの距離まで近づいている。
山名は皮肉な笑みを浮かべるが、目は笑っていない。「君と俺とでは根本的に価値観が違う――そう思ってない?」
「さあ」杏子は表情を変えない。「あなたの価値観にさほど興味が湧かない」
「君も、俺も、本質的には同じ、“クロ”だよ。ルールの線引きが若干違うだけで」山名はそう言って手を広げる。「ま、お互いに合わない部分はあるだろうけど、そこは触れずにさ。俺は君の邪魔をしない。だから君も俺の邪魔をするな。それで良くない?」
「良くないですね」杏子は山名を見据えたまま首を横に振る。「既にあなたは私の邪魔をした。あなたが余計なことをしたせいで、庵原はこの件から降りた。私は協力者を減らしたんですよ。そのことをどう考えてるんですか?」
「えっ」山名はおどけながら驚くふりをする。「彼、降りたんだ。それは迷惑かけたね」
「それで、あなたは、どうしてくれるんですか?」
杏子は声色を落とすと同時に、纏う“気配”を一段濃くしてみせる。この男には、もうちょっと危機感を持ってもらいたい。
今すぐこの場でこいつを叩きのめして屈服させることもできるが、なるべく無用な暴力沙汰は避けたい。なので、まず最初にシグナルを伝える――私にはお前を痛めつける用意がある、と。そうすれば、この男も少しは真剣に考えるだろう。
山名の顔から笑みが消える。氷柱のように冷たく鋭い“気配”が見え隠れする。
杏子は両手の拳を軽く握る。目の前の男の全身に注意を向ける。
あとはこいつの出方次第だ。
「じゃあこうしよう」少しの沈黙の後、山名が口を開く。「俺が、武政陸斗を殺した犯人を探すのに協力する。あの探偵の代わりにね。言っただろ、俺だってあの事件を調べてたって。俺も陸斗を殺した犯人を知りたいんだ。……俺たちの利害は一致してるんじゃないかと思うけど、どうかな?」
杏子は山名を観察する。ふざけている様子ではなさそうだ。
今のところこいつには嫌悪感しかないが、持っている情報には価値がある可能性がある。利用できるうちは利用して、邪魔すればそのとき排除することにした方が、合理的ではある。それに、勝手に動かれるよりは、協力という名目で監視を続ける方がまだましかもしれない。
「わかりました、そうしましょう」杏子は答える。
「マジか」山名は拍子抜けしたように笑う。「正直、断られると思ってた」
「それとは別に、今後庵原に手を出さないことを約束してください。壊した車の埋め合わせをすることも」
「わかった」山名はすんなりと提案を受け入れる。「ていうか、杏子さん、意外と融通が効くからびっくりしたよ」
「……生きていく上での知恵です」杏子はそう言って肩をすくめる。
「俺は君とうまくやっていけそうな気がしてきたなあ」
「あなたのやり方を認めたわけじゃない」杏子は軽口を叩く山名に釘を刺す。「あなたの“力”の使い方は、いつか良くない結果を生むと思う。改めることを強く勧めます。もちろん、私はあなたを監督する立場じゃないし、好きにすればいいですけど。ただ、あなたの行為が捜査対象になったり、私の利害と対立したりしたときは、私は自分のすべきことをしますよ」
杏子は事務的な態度を貫き通す。これくらいが丁度いい。この男は、次の瞬間には敵になっているかもしれないような存在だ。
山名はやれやれ、とジェスチャーをする。「怖えなあ」
杏子は反応しない。「早速ですけど、山名さんが知ってることを教えてもらえませんか?」
「そうだな」山名は頷く。さっきまでの、どことなく相手を舐めたような態度は、いつのまにか消えている。
二人は道を歩きながら、お互いがどこまで知っているか探りながら話す。山名は警察にある捜査情報はあらかた把握していたし、超能力者同士の戦闘が発生したことについても認識していた。
説明を聞けば、その人間がどこまで事件について理解しているかわかる――杏子は瀬崎からそう教わっていた。実際、瀬崎や石井と話すたびに、彼らの事件や出来事に対する理解の深さを実感した。
そしてこの山名という男も、事件の本質に近い部分まで迫っているようだった。危険人物だが、知的な能力はかなり高そうだと杏子は推測する。きっと表向きは、優秀な刑事として通っているのではないか。
「犯人はどんな人物だと思いますか?」杏子は訊く。
「まだわからんけど」山名は軽く目線を上げる。「組織犯罪には関係してないと思うな。シマの奪い合い、ビジネスの揉め事ではないし、かといって報復や、何かのメッセージでもない気がする。とにかく、動機がわからない」
動機か、と杏子は考える。颯介が言ったことを思い出す。
そいつも悪党退治をしているのだろうか——そんな考えが脳裏をよぎるが、山名には笑われそうな気がしたので、言わないでおく。
「どんな奴かはわからないが、超能力者の中でも相当強い部類だろうってことは言える」山名は言う。
「やっぱり、そう思いますか」
「ああ。“痕跡”でわかる。今仲も、武政も、一方的に始末されてる」
「そうでしたね」
「そうなってくると、犯人を突き止めるより、突き止めてから確保するまでの方が骨が折れるかもね。正直、一人だと持て余したかも」
杏子は歩きながら山名に注意を向ける。この男は、最初から自分の協力を得るつもりで動いていたのだろうか。無軌道に暴力を振るっているようで、彼なりの計画を持っているのか。考えが読みにくい人だ。
「それでね」山名は秘密を打ち明けるように声のトーンを落とす。「これはまだ君には伝わってないと思うんだけど――事件当日と前日の、今仲涼太の動きがわかってきた」
「本当ですか」杏子は山名を見る。それは、有力な情報になり得る。
「二日とも同じ場所に向かってる。渋谷にある、〈Footprints〉っていうバーだ。これは俺の、刑事としての勘だけど――そこに何かがある気がする」
「調査に行きますか」
「店に行くのは、俺がやる」
「一人でですか?」
「俺にはこれがあるからな」山名は警察手帳を取り出し、軽く振ってみせる。「怪しまれにくいだろ。それに、俺は一人で捜査する方がやりやすい」
「犯人と接触したら、どうするんですか?」
「君に助太刀に入ってもらおうかな」山名は片眉を上げて杏子を横目で見る。「君も、かなり手練れなんだろ?」