目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

3 - 13

 通知に気づき、厨房でこっそりメッセージを開いた亜由美は、iPhoneを取り落としそうになる。

 送信者はサラだった。


「追われてる」

「スーツの男に」

「あなたのことも知ってた」


 短いメッセージが、立て続けに3件届いていた。

 追われてる。サラが。

 私が隙を見せたから。

 私のせいだ。

 亜由美は、その場で崩れ落ちる。






 厨房でうずくまる亜由美を、店長の康平が発見する。

「どうした?」康平は亜由美の元に駆け寄り、落ち着いた声で訊く。

 亜由美は胸を押さえ、大きな呼吸を何度も繰り返している。

「苦しい? 救急車呼ぶか?」

 亜由美は喘ぎながら、首を横に降る。

 震える手で、スウェットパンツのポケットからシートに包まれた錠剤を一錠取り出す。

「水、要るか?」

 亜由美は頷き、錠剤を口に放り込むと、康平がタンブラーグラスに注いだ水を飲み干す。


 何度か深呼吸をしてから、亜由美は口を開く。

「これで、もう、大丈夫、だと思います」

「本当に病院連れてかなくて大丈夫か?」康平は亜由美の背中をさすってやる。

「はい。本当に、すみません」

「今日はもう帰っていいぞ」

「……すみません、ありがとうございます。本当に、ごめんなさい」

「謝らなくていいから。ゆっくり家で休めよ」

 亜由美はサロンエプロンを取り、Tシャツだけ着替えると、他の客に目立たないように店を出ていく。






 店を出た亜由美は、飲んだと見せかけて舌の裏側に隠していたロラゼパムの錠剤を吐き捨ててから、サラの“痕跡”を感じる方向に全力で走る。

 二ブロックほど離れた裏道で、二人分の“痕跡”を確認する。

 一人は、サラ。

 もう一人は、さっき店に来た、山名という自称警察官の男。

 二人はここでたまたま鉢合わせたのだろう。そしておそらく、山名が“力”でサラを確保しようとし、サラはそれを躱して逃げ出した。


 そこから先の“痕跡”が、急に弱まっていることに亜由美は気づく。

 そして推測する。サラは、超能力の使用を止めて、人が大勢いる空間に逃げ込んだのではないか。

 あの男も、衆人環視の中で超能力を乱用するのはさすがに控えるだろう。サラ自身も〈念動力〉などは使えなくなるが、お互いに超能力の使用が制限されている方がまだ安全だ。彼女がそう考えるのは十分あり得る。


 亜由美のiPhoneが震え、メッセージを告げる。

 サラからだ。

「渋谷駅にいる」

 予想していた通りだ。

 亜由美は駅に向かって駆け出す。






 地下鉄の渋谷駅に向かう階段を降りながら、山名は電話をかける。

「伊関です」

「山名だ。今、重要人物を追ってる」

「神前ですか?」

「いや、そいつの知人。杏子さん、今仲がやられた現場でさ、今仲を倒した奴と別に、もう一人超能力者がいたって言ってただろ。多分そいつだ」

「今どこですか?」

「渋谷駅。来れる?」

「そばにいる。すぐに行きます」

「通話は切らないでおくよ」


 山名は人混みをかき分けながら、前方に目を凝らす。

 一瞬、標的の少女の姿を捉える。

 “気配”に集中するが、彼女からは何も感じ取ることができない。自分自身の超能力の出力を認識し、コントロールする術を身につけているのだろう。

 恐らくあの一瞬、“神前亜由美”の名前が聞こえたことに動揺して、“気配”を漏らした。だが同じミスは犯さない、ということか。

 階段を降りながら、下方を見渡す。少女は平然とした態度で先を歩いている。距離は縮まりそうにない。


「杏子さん」山名は呼びかける。「俺一人じゃ撒かれる可能性が高い。そのときは尾行を引き継いでもらいたい。いける?」

「了解です」

「特徴を言う。10代後半の女性で、身長は175センチ。髪は黒色で、うなじにかかるくらいのショートヘア。鼻筋が通ってて、白人の血が入ってるかもしれない。白のTシャツに紺のチェックシャツ、黒のデニムパンツに白のスニーカー。大丈夫?」

「覚えました」

「それから少なくとも、〈催眠〉の無効化と、〈念動力〉が使える。“力”のコントロールは結構上手い」

 ハンズフリーヘッドセット越しに話しながら、山名は少女の動きを目で追う。


 少し、こちらから仕掛けるか。そう考え、歩く速度を早める。

 スーツ姿の男たちの集団をすり抜けながら追い越したその時、少女が肩越しに後ろに目をやる。

 標的の少女と目が合う。


 その直後――耳を軋るような電子音が駅の通路に響き渡る。

 すぐ前を歩いていた老人が「うわっ」と悲鳴を上げ、その場で固まる。

 周囲の全員が、一瞬動作を奪われる。

 音の発生地点は、ちょうど山名と少女の中間地点だった。

 学習塾のカバンを背負った女児。そのカバンに繋がれていた防犯ブザーが鳴り響いていた。何が起こったかわからず、音の止め方もわからないその子供は、泣きそうな顔で立ち尽くしている。

 なぜ、突然ブザーが鳴った?

 まさか……あいつがやったのか?


 山名は少女がいた方向に視線を戻す。

 その空間のほぼ全員が音の方向を見ている中、少女は反対方向に駆け出していた。

「くそっ……!」

 山名も床を蹴って走り出す。

「何があったんですか」ヘッドセットから伊関の声が聞こえる。

「あの子、〈念動力〉で他人の防犯ブザーを鳴らした。一瞬それに気を取られた隙に……あいつ、俺をぶっちぎるつもりだ」

「どっちに向かってますか?」

「地下に降りて、また階段を上がって……このまま進むと京王井の頭線のホームに着くな」

 電車に飛び乗って、俺を撒くつもりだろうと山名は予想する。

「俺が追いつけなければ……あいつが乗った電車を教えるから、次の駅に先回りしてもらえないか? “力”を使えばいけるだろ」

「そのときは、そうですね」伊関が答える。


 山名はヘッドセットが外れないように位置を直しながら、疾走する。

 前方に、少女の後ろ姿が見え隠れする。その先には井の頭線の中央口の改札が見える。

 少女が改札を通るのを確認した山名は、自身もそこに向かって急ぐ。

 改札に近づくにつれ、異変が明らかになる。

 少女が通り過ぎた後に続く人々が、改札の前に立ち往生していた。どの改札機のフラップドアも開かなくなったらしい。駅員が集まり始めている。

 これも、あいつがやったのか――山名は舌打ちをする。

 仕方がない。山名は駅員を一人捕まえると警察手帳を突きつけ、半ば強引に改札内に入る。


 ちょうどその時、電車の発車を告げるアナウンスが構内に響く。

 山名は電車に駆け寄り、〈念動力〉で扉が閉まるのを止めようとする。

 その時、少女と再び目が合う。

 彼女は、ゆっくりと手を持ち上げる。

 ――来る!

 咄嗟に山名は電車の扉から“力”を離し、〈念動力〉を自分自身に纏わせるようにして、攻撃に備える。


 扉が閉まり、電車が動き始める。

 少女は山名から目を離さない。

 どうする——山名は瞬時に考えを巡らせる。“力”づくで電車を止めて扉をこじ開けるのは、本気を出せば可能だが、確実に反撃を受けるし、目立つし、怪しまれる。電車に飛びつくのも、同じ理由で却下だ。

 ここは、見逃すしかないか。鬼ごっこ一回戦の勝ちは譲ってやる。


 少女はこちらを見据えたまま、掲げた手を首元に持っていき、首筋を掻く。それから――ちょうど山名に見せつけるように――中指だけを突き出して、目頭を擦る。

 山名は腹が立つのを通り越して、苦笑いするしかなかった。


「あー、畜生」山名は伊関に言う。「あいつは電車に乗った。逃げられたよ」

 山名は発車した電車の情報を伊関に伝える。

「後は私が」伊関が言う。

「あいつ、ナメた真似をしやがったから、俺の分も殴っといてよ」

 山名がそう言って笑うと、伊関は小さくため息をつく。

「ていうか杏子さん、あんた今どこに――」


 そう言いながら、山名はもう一度電車の中を見渡し、そしてその目を疑う。

 あの少女が乗った電車の別の車両。その窓際に、伊関が立っていた。

「……いつの間にいたの?」

 山名の問いに、伊関は答えない。

「車内なんで一旦切ります」

 伊関がそう言い残し、通話は切れる。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?