少女が失神したのを確認すると、杏子はその首に巻きつけていた腕を離す。
立ち上がってシェルジャケットの砂を払い、山名に電話をかける。
「例の女の子、捕まえました」杏子はそう伝える。
「マジか!」山名が声を上げる。「君やっぱすごいな!」
「これから、色々事情を聞くつもりです」
「杏子さんは、大丈夫?」
「何がですか?」
「ほら、怪我とか……してないか」
「大丈夫です。ご心配なく。……ただ」杏子は喉に手を当てて、少女の攻撃を受けた箇所を撫でる。「山名さんの言った通りでした」
「どういう意味?」
「彼女の超能力の使い方が上手だった、という意味です」
「で、自分の方がもっと上手だった、ていう自慢?」
「いえ、そういうつもりじゃ……」
「ごめんごめん、冗談。……まあいいや、今どこ?」
杏子は現在地と、周辺の目印になりそうな建物を伝える。
「分かった、俺もすぐに向――」
ここで通話が切れる。
同時に、重く強い“気配”が杏子の鼓動を震わせる。
はっ、とする。
この“気配”は――私がずっと、追っていた人間のそれだ。
線路に沿うように住宅街を突っ切って走っていた山名は思わず動きを止め、その場に立ち尽くす。ハンズフリーヘッドセットからの音声が途絶えたことにも気づかない。
――何だ、この“気配”は。
まるで全身が強烈な電磁場に晒されているようだ。呼吸が浅くなり、手足がぴりぴりと痺れる。
息を殺し、感覚を澄まして、“気配”の発信源がどこにいるかを探る。
そして気づく。
「あっ……!」
背後を向いた瞬間、山名は顔面を鷲掴みにされる。
振り解こうとしたが、腕に力が入らない。脳からの信号が、筋肉まで届かない。
身体を支えられなくなり、その場に跪く。
指の隙間から、“気配”の主の顔が見える。
「神……前……」山名の声が震える。
「さっきはナメた真似してくれたな」神前亜由美は囁く。「ちょっと“力”使えるからって、いちびんなよボケ」
店で見たときとは別人のような形相だった。
山名は咄嗟に命乞いすることを考える。だが舌も声帯も思うように動かず、不明瞭な呻き声しか上げられない。
「お前に構う暇はない。そこで寝とけ」
神前は山名の頭から手を離す。
全身の自由を奪われた山名は、民家の植え込みに倒れ込む。
高架鉄道に覆われた工事用地の中央で、杏子は“気配”の持ち主の登場を待つ。
山名から再び電話がかかってくることはない。通信が切れたあの瞬間、間違いなく、彼は神前の襲撃を受けた。そして恐らく、一瞬で決着がついた。今仲涼太や武政陸斗と同じ運命を、山名雄介も辿ったのだろう。
杏子は神前の行動を推理する。
少女の発言や行動から、彼女と神前は仲間同士だと考えられる。山名と私に追われた少女が超能力を発動させたことに、神前が気づかないはずがない。
そして、神前は少女に加勢するために、その“気配”の追跡を開始した。その途中で山名を発見したので、襲って無力化した。
だとすると――次に神前は、ここに現れる。確実に。
それは数十秒後かもしれないし、次の瞬間かもしれない。いずれにせよ、そんなに先ではないことは確かだ。
杏子は深く息を吸う。そして、全身の不要な緊張を洗い流すように、息を吐く。
微かに気の昂りを感じる。
今まで経験した中で最悪の事件――最も多くの関係者が傷つき、命を落とした事件――その真相に辿り着くために必要な最後の鍵を、神前が持っている。パズルを完成させる最後のピースが、そこにある。
ふと、背後に動きを“感じ”て杏子は振り返る。
黒い人影が、さっき倒した少女の傍に降り立つ。
杏子は理解する。
この人が、神前亜由美か。