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 先に動きを見せたのは、亜由美の方だった。

 振り上げた手の内に光芒が一閃し、そこに“矢”が〈生成〉される。

 大男に使ったのと同じものだ。当たった部位から神経系に干渉し、動きを阻害する。そして、最終的に相手の身体と精神を〈操作〉する。

 〈生成〉した“遠隔操作の矢”を、伊関に撃ち込む。

 一発。二発。

 伊関はその“矢”を、二本とも左手で掴む。

 そして、肩を回し左腕を鞭のようにしならせると――同じ“矢”を亜由美に向かって投げ返す。

 亜由美は咄嗟に“盾”を〈生成〉して、返ってきた“矢”を受け止める。

 その感覚でわかる。間違いない——これは私の超能力だ。


 “矢”のすぐ後を追うように、伊関は間合いを詰めてきていた。

 亜由美は反射的に地を蹴って左に跳躍する。

 伊関の右拳は、残っていた“盾”を、まるでシャボン膜を破るように易々と貫く。そして亜由美の唇を掠め、空気を切り裂く。

 恐ろしいほどのスピードと正確性、そして威力だった。あと一瞬でも身体が動くのが遅かったら、顎を打ち抜かれて気絶していただろう。




 亜由美は転換して再び伊関と向き合う。

 心の動揺を鎮めるために、丹田を意識して息を吐く。

 伊関は無表情のまま、何もなかったかのようにゆっくり歩み寄ってくる。

 あんな強烈なパンチを振り抜いたのに、隙が生まれなかった。どの瞬間を切り取っても、彼女の体勢や動きにはある種の余裕——どんな変化にも臨機応変に対応できる余地のようなものがあった。


 亜由美は半身に構えると、右手に“力”を込める。淡い光の線を次々に生み出してから、それらを束ねて“杖”を〈生成〉する。

 あいつと接近戦をやるのは、危険だ。

 だが、情報が欲しい。どういう仕組みで、あいつは私の“力”を使ったのか。その仕組みのどこかに、脆弱性が隠れていないか。


 亜由美は“光の杖”を両手で構えると、大きく振りかぶってから、真横に薙ぎ払う。

 伊関は間合の外に移動している。どんな攻撃が来るか、全て察知しているかのようだ。

 亜由美が“杖”を振り切ったと同時に、伊関は懐に飛び込んでくる。

 その動きは、亜由美にも読めていた。

 鋭く手首を返し、“光の杖”の前後を入れ替えると、その先端を伊関の身体の中心に目がけて突き込む。

 ふっ、と伊関が声を漏らす。身体を捻って“杖”を正中線から外し、両手でそれを掴む。

 ここからだ――亜由美は感覚を研ぎ澄ます。


 “杖”の光が、消える。手の中で“杖”を〈生成〉していた“力”も、指の間をすり抜けるように、失われていく。

 伊関が“力”を奪ったんだろう。

 ここまでは、想定通りだ。亜由美は観察を続ける。

 あいつの次の一手を、どうしても見なければならない。


 伊関の全身の、ほんの僅かな動きの変化を、亜由美は見逃さなかった。

 それを感知するや否や、自分の正面に何層にも重ねて“盾”を〈生成〉する。

 “盾”を展開したところに、伊関が“光の杖”で打ち込む。“杖”はまるで研ぎたての刃物のように、造作なく“盾”を切り裂く。

 しかし、亜由美には当たらなかった。“盾”を〈生成〉した直後に、後方に飛び退いていたのだ。

 淡い残像を置き去りにして、伊関の“杖”は消える。




 高架下の暗がりに、再び静寂が訪れる。

 亜由美と伊関は、睨み合ったまま、お互いの出方を伺う。

「大丈夫?」

 亜由美の“分身”が、頭の中で囁く。

「まだわからん」亜由美は答える。「でもいくつかわかってきた」

「あいつの“力”の性質のこと?」

「そう」


 亜由美の中で、仮説が生まれつつあった。

 一つ目。伊関が、他人の“力”を利用できることは間違いない。私の“矢”も“杖”も、あいつは奪い取って、同じ攻撃を返してきた。

 二つ目。あいつは他人の“力”の全てを操れるわけではないようだ。もしそれができるなら、あいつは私の“遠隔操作の矢”を捉えた時点で、私を“操作”し返すことができたはずだし、私が“盾”を〈生成〉するのを妨害することもできたはずだ。でも、しなかった。それはつまり、他人の“力”の制御権そのものを奪えるわけではない、ということを意味するのではないか。

 三つ目。もっと言うと――これは憶測の域を出ないが――あいつは、自分が受けた“力”を、受けた分だけしか利用できないのかもしれない。“矢”を投げ返してきたのも、“杖”で打ち返してきたのも、一度きりだった。


 ――とりあえず、このくらいにしておく。

 これは、現時点で手に入れた情報を元にした仮説に過ぎない。あいつが自分の真の“力”を隠している可能性だって十二分にある。だが、自分の戦略を決めるには――どんなに大雑把なものであっても――何かしらの根拠が必要だ。

 当面、この仮説に沿って考えていく。


 現時点で、伊関の固有の超能力――相手の“力”を利用する“力”――は、さほど脅威ではない。こちらが不用意に〈催眠〉などを仕掛けて、かけ返されたりしない限り、命取りにはならない。それでも、あいつのその“力”を破らない限り、こちらの超能力による攻撃が全て無効化されてしまう。何とかして打開策を見つけなければ、勝機はない。

 そして、あいつの固有の“力”以上に厄介なのが、〈身体強化〉だけでは説明がつかない、異常に高い格闘能力だ。構えも型もなく、やる気もなさそうに見えるのに、隙がない。こちらの動きには全て反応するし、攻撃はタイミングや軌道が読みにくい。近距離で戦うのは避けるべきだ。さもなければ、私はいつか致命的な一撃をもらうだろう。


 亜由美はこれから行うべきことを要約する。

 まず、伊関との距離は十分に取り、それを維持する。

 そして、“矢”などの飛び道具で仕掛けながら、あいつの超能力の限界や欠点を探る。

 ここまで一気に考えると、亜由美はすっと鼻から息を吸う。

 下腹部に力を入れながら、ゆっくりと息を吐く。

 よし。やるか。

 しかし、それにしても、サラの言ったことは正しい。

 間違いなく、こいつは、化け物だ。






 杏子は目の前に立っている相手を観察する。

 神前亜由美。こいつは、今まで対処してきた超能力者とは、格が違う。

 その体捌き。彼女は私が仕留めるつもりで放った打撃を躱した。そして、オーロラを固めたような杖を使いこなし、正確に急所を狙って突いてきた。ただ“力”によって〈身体強化〉しただけでなく、それに適応した身体操作法も会得している。

 加えて、その特殊な超能力。神前が生み出した“矢”や“杖”は、光を実体化させただけのものではない。触れた瞬間、身体の内側から動きを封印されるような違和感を感じた。まるで強力な呪いのようだった。並の超能力者なら、まともに食らえば一撃で行動不能に陥るだろう。

 武政瞳の〈催眠〉と似てはいるが、質も量も比較にならない。彼女の時は相手の“力”を利用するのも造作なかったが、こいつの“矢”は投げ返すので精一杯だった。

 そして何よりも、その落ち着きと、胆力。命がけの戦いに臨んでいるのに、冷静さを欠いていない。自身の“力”を私に奪われて利用されたのに、まるで動じていない。

 やはり、こいつは戦い慣れている。超能力で敵を屠ることに慣れている。


 暗闇の中に、神前がすらっと立っているのが見える。猛禽のような双眼が、こちらに照準を合わせている。

 私があいつを観察しているのと同じように、あいつも私を観察している。

 そしてあいつが考えていることは、簡単に想像がつく。

 現状では、私の方が有利だ。近距離戦闘では私の方が上だし、あいつの遠距離攻撃は私に通じない。これまでのような展開が続けば、いつか私の攻撃があいつを捉える。そしてあいつも、それを理解している。あいつにとっては、私の“力”を破れるかどうかが生命線だ。

 間違いなく、神前は私の“力”の性質に気づいている。そして今、どうやってそれを攻略するか策を練っているはずだ。

 あいつは、それをやりかねない。根拠はないが、予感がする。私の知りもしないようなやり方で、私の“力”を超えるような奥の手を編み出してきそうな気がする。


 改めて、神前亜由美を見据える。

 超能力者相手に脅威を感じたのは、初めてだった。

 こいつは、危険だ。早く仕留めなければ。

 そのためには、考える時間を与えないように、先手で仕掛け続ける。間合を取らせないように、追い込み続ける。

 杏子は息を吸う。口は乾き、掌に汗が滲む。心臓が熱く感じる。

 長い間経験していないせいで、忘れかけていた。この、心が警報を鳴らし、身体中の細胞が粟立つような感覚を。


 ふうっと丁寧に息を吐き、全身をあるべき状態に戻す。

 私は、私の仕事を遂行するだけだ。

 伊関杏子は、力みのない姿勢で歩きながら、相手との距離を詰め始める。

 神前亜由美の周囲に淡い光が集い、鋭利な“矢”が〈生成〉されていく。

 二人の戦いは、まだ始まったばかりだ。

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