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 再び動き出した戦いは、より一層動的なものになる。

 亜由美は“矢"を三本まとめて〈生成〉し――攻撃範囲と攻撃速度のバランスがギリギリ保たれるのが三本だった――ショットガンのように同時に撃ち込む。

 伊関は旋風のような体さばきでそれを躱すと、コンクリートの柱の陰に消える。その次の瞬間には死角から亜由美の懐に飛び込んでくる。

 亜由美は“盾”を展開する。“盾”は伊関の攻撃を防ぐには明らかに強度不足だが、攻撃の軌道をそらすことは辛うじて可能だった。ライフル射撃のような伊関の拳を避けると、〈生成〉した“足場”の上を跳躍して再び距離を取る。

 ――この展開を、二人は何度も繰り返す。


 亜由美は焦りを覚え始める。

 攻撃が当たらなくなっている。

 “矢”の出力や性質を変えながら、伊関の“力”を解明していくつもりだった。だが全て避けられてしまうようでは、作戦の前提が成立しなくなる。

 というか、何で当たらないんだ。音速以上のスピードで撃ってるはずなのに。

 一瞬だけ、“敗北”の二文字が脳裏に浮かぶ。しかしそれは、すぐに新たな疑問に置き換わる。

 相手の“力”を使えるのなら――何で避ける必要がある? 

 何か理由が――“力”を受け続けてはいけない理由があるのか?


 伊関は音もなく距離を詰めてきていた。“気づいたら目の前にいた”という感覚の方が近い。気配が希薄すぎて、視界に捉えていても、反応が遅れる。

 今回は、亜由美は逃げない。危険を承知で、二回目の近接戦闘を試みる。

 瞬時に“光の杖”を〈生成〉し、伊関の水月を狙って鋭く突きを繰り出す。

 伊関は当たり前のように身体を“杖”の軌道から外し、手の届く位置まで移動している。

 亜由美は“杖”を消す。残像だけがそこに留まる。

 そして、“杖”の維持に用いていた“力”を一気に体内に引き戻す。それは全身の隅々に行き渡り、身体の構造全てを〈強化〉する。

 “杖”が突然消えたことで、一瞬――本当に、ごく一瞬の間だけ――伊関が“居着いた”のが感じられる。そこを見逃さずに、亜由美は掌底で顎を狙う。

 しかし、それが命中することはない。伊関は首や肩を、まるで空気と一体化したかのように柔らかく動かし、亜由美の手をすり抜ける。そのまま側面に回り込むと、亜由美の肘を掴む。


 ――今だ。

 亜由美は全身を満たす“力”に集中する。武道における重心移動の感覚で、掴まれた肘に“力”の全てを集約する。そして、それを一気に伊関の手に流し込む。


 この“力”は、自身を〈強化〉していたものではない。伊関を〈制御〉するためのものでもない。そういった“役割”を持つ前段階の超能力だ。

 別次元に由来する“力”は、超能力の使い手によって、ある種の“加工”をなされることで機能する。“加工”によって秩序を与えられた“力”は、自身の肉体を〈強化〉したり、物質や精神を〈制御〉できるようになる。亜由美はそのことを感覚的に理解していた。

 “加工”されていない、未分化な状態の“力”――それは同時に、何とでも反応しうる“力”でもある。亜由美はこの、不安定な状態の超能力を意図的に生み出し、伊関に押し付けた。

 その“力”は未分化なため、上手く制御しなければ、超能力として使い物にならない。

 その上、それは不安定なため、適切に処理しなければ体内で出鱈目な反応をして、全身の組織を破壊する。

 さあ。どう対処する?


「あっ…くっ…!」

 初めて伊関が顔を歪め、声を漏らす。

 亜由美の肘を掴んでいた手を離し、後ろに飛び退く。肩を数回軽く回してから、自然体に立つ。

 息をふっと吐き出すと同時に、伊関の足元から全方位に青白い閃光が迸り、地表を這う。

 その時には、元の無表情に戻っている。


 その始終を、亜由美は瞬きひとつせずに観察していた。

 あいつは、私が送り込んだ“力”を、処理せずにそのまま地面に逃した。地表の光は、私の“力”が気体分子に作用し放電現象を引き起こしたのだろう。

 今、伊関が見せた反応に、あいつの“力”について知る鍵がある。分析して、解釈することで、私の仮説はさらに洗練させられる。


 しかし、亜由美には考える時間は与えられなかった。

 すぐに、伊関の猛攻が始まったからだ。

 亜由美は左右に身体を捌き、ぎりぎりのところで攻撃を回避する。それでも、頬に一発、脇腹に一発、パンチが掠る。

 伊関の攻撃が恐ろしいのは、それがからだ。

 殺気や闘争心がまるで伝わってこないせいで、上手く反応することができない。力みも気負いもない、ルーズな感じで――それこそ、まるで友達の肩に触れるような感じで、即死級の打撃が飛んでくるのだ。


 左の拳が、亜由美の顎を襲う。首と上半身を捻って躱すと、その手首を掴む。そのまま円を描くように身体を移動させながら、伊関の姿勢を崩し、小手返しを狙う。

 だがその試みは失敗に終わる。伊関は手首を取られても全くバランスを乱さなかった。むしろ動かしているはずの亜由美の方が、どんどん不自然な姿勢になっていく。

 伊関が大きく腕を振ると、亜由美の両足が地面から離れる。

 何だ、今のは――自分が投げ飛ばされるなんて、完全に想定していなかった。

 亜由美は伊関の手首から手を離すと、空中で体勢を整え、〈生成〉した“足場”を蹴って跳躍する。


 前転受け身を取って、伊関の方に向き直ると、もう目の前まで来ている。

 咄嗟に後ろに跳ぼうとした亜由美は、そのままその場で後ろ向けに倒れる。

 伊関が、亜由美の左足の甲を踏んでいたのだ。

 自分を見下ろす伊関と目が合う。

「ふんっ……!」

 さっき肘でやったように、今度は左足に“力”を集中させる。

 伊関は同じ攻撃を警戒して、亜由美の足の甲を抑えていた足を上げる。


 その隙に“足場”を〈生成〉し、寝転んだままそれを蹴って地面を滑る。その勢いで後転受け身を取り、起き上がる。

 いるはずだった場所に、伊関の姿はない。


 高架下の闇の中に、亜由美は一人立っている。

 見回しても、動くものは見当たらない。“気配”も感じられない。

 だが、伊関が逃げたわけではないのは明らかだ。どこかに隠れて、私の隙を窺っている。次にあいつが姿を現すのは、私を仕留めるときだ。

 自分の心拍音が、空間全体に響くように聞こえる。夜の密林で猛獣に狙われているような緊張と恐怖で、身体の奥が震えてくる。

 最悪の想像が浮かんでくる――伊関の不意打ちで、命を落とす自分の姿が。


 首を振って雑念を払うと、亜由美は“力”を発現させて、自分を囲むように半球状に“盾”を〈生成〉する。

 同時に、“盾”と自分自身の触覚との“接続”を試みる。そうすることで、“盾”に触れたものを探知することができる。

 この“センサーの盾”は、今その場で思いついたものだ。試しに“センサーの盾”の半径を広げて拡張してみる。地面に落ちている鉄パイプと“盾”が接触すると、確かに触れたように感じる。どうやら機能は果たしているらしい。

 “センサーの盾”を、半径5メートルほどの半球に展開し、その中央で亜由美は伊関を待ち構える。

 一瞬が、永遠のように感じられる。

 喉がひりつく。唾を飲もうにも、口の中には一滴も水分はない。


 “盾”が衝撃を感知する。

 亜由美はその方向に身体を向け、伊関の攻撃に備える。

 人の姿はない。その代わりに、鉄パイプが回転しながら地面に落下していくのが見える。

 ――しまった。

 振り返ると、伊関はすぐ目の前にいる。

 ――こいつは他人の“力”を利用できるんだった。それで“センサーの盾”を無効化して……。

 伊関の拳が、亜由美の頬を捉える。

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