ドアを開けたとき、最初に亜由美の目に映ったのは、部屋の真ん中に立ってこちらを見つめるサラの姿だった。
見開いた目から、彼女がどんな気持ちでいたのか伝わってくる。
警戒と恐れ。期待と諦め。そして、祈り。
部屋に入ったのが誰かわかると、サラは泣き出しそうな顔になる。
「アユミ……!」
駆け寄ってきて、身体を強く抱きしめる。
「ただいま」亜由美もサラの肩を抱く。
「良かった……!」サラはしゃくりあげながら言う。「もう、会えないかって……ドアを開けたのが、あなたじゃなかったらって……」
「約束したでしょ、ちゃんと戻ってくるって」
亜由美はサラの髪をなでてやる。
そうしながら、自分自身も命の温もりを噛みしめる。
私は生きてる。生きて帰って、ここにいる。サラと一緒に。
朝までずっと、抱き合っていたかった。でも、亜由美にはしなければならないことがあった。
「ごめん、ちょっと……話し合ったことを、サラにも伝えないといけない」
サラをベッドに導いて腰掛けさせ、自分も隣に座る。
それから、さっきiPhoneにインストールした暗号通信アプリを立ち上げ、伊関杏子にビデオ通話を発信する。
伊関はすぐにスクリーンに現れた。
「二人揃ってますね。聞こえますか?」
「聞こえてる。そっちは?」
亜由美の呼びかけに、伊関は頷く。
サラは固まったまま、微動だにしない。顔から血の気が引いているのがわかる。
「手短に、簡潔にいきます」伊関が話し始める。「まず今回の2つの事件について。今仲涼太を含む計6名を傷害し昏倒させた件と、半グレリーダーの武政陸斗を殺害した件。あなたたち二人はこの事件に関わっていた」
「それはっ……」サラが掠れた声で遮る。「襲ってきたのがあいつらで……だから、アユミは悪く――」
「話は聞きました」伊関は話し続ける。「そして、私は神前さんの証言を信用し、彼女の言い分を認めることにした。あの二件は、身を守るための正当な根拠があったと。……だから、今回、あなた方の罪は不問にします」
サラはうなだれ、大きくため息をつく。
亜由美も一度深呼吸をして、伊関が次に話し出すのを待つ。
「それから」少し間を置いて、伊関は続ける。「あなた方二人の超能力については、私が管理することになりました。なのでこれからは、使用を控えてもらいます」
亜由美は伊関の話を聞くふりをしつつ、サラの様子を伺う。
俯いたまま動かないサラの背中に手を置こうかどうか逡巡する。
「……“力”は使えない、ってこと?」サラがぼそりと呟く。
伊関はスクリーンの中で頷いてみせる。
「どうして?」
「あなた達が悪いわけじゃない」すぐに伊関は返答する。「銃の所持を禁止する法律のようなものだと思って下さい。危険なものだから、禁止する。それだけです」
「何で、あんたが?」
「一応、警察から依頼を受けてるので、これも仕事の一環です」
黙っているサラに、伊関がフォローするように付け加える。
「あなたに限らず、皆さんにそうしてもらってます。まあ、まだルールとして浸透はしてませんが……私が出会った超能力者には、従ってもらっています」
生きていればですが、と最後に付け加え、伊関は軽く肩をすくめる。
淡々として、取り付く島のない、冷たい説明。
そうするように伊関に頼んだのは、亜由美だった。
数十分前。伊関との話し合いの終わり際。
“私とサラの超能力の使用を禁止することになった”と、サラに説明してほしい――。
亜由美はそう言った。
伊関は「構わない」と答えつつも、質問を返してきた。
「繰り返しになりますけど、私としては二人が“力”を使うのは、常識の範囲内なら好きにすればいいと思ってます。……ただ、神前さんとしては、サラさんに“力”を使ってほしくない。そういうことですよね? 差し支えなければ、理由を訊いても?」
「あの子をこの世界から遠ざけたい。これ以上、危険な目に遭わせたくない。それだけです」
亜由美がそう答えると、伊関はそれ以上質問を付け加えることはなかった。
「私からお伝えすることは以上です」スクリーンの中の伊関が言う。「何か質問は?」
サラは俯いて、唇を嚙んでいる。
亜由美からも、何も言うことはない。
「では、失礼します。お休みなさい」
そう言って、伊関は通話を終了する。
亜由美はiPhoneのスクリーンを切って、ベッドの端に置く。
隣でうなだれているサラの背中に触れる。
「ごめんな、サラ。……あの条件を飲むしかなかった」
「ううん」サラは首を横に振る。「……守ってくれて、ありがとう」
「本当に、ごめん」
「私は大丈夫だから……」
サラは亜由美の肩を抱きながら、身体を預けるように寄りかかる。
「大丈夫だけど……ただ……」鼻をすする。「“弱い”って、こういうことだったんだね……」
亜由美はサラの腰に手を回し、抱き寄せる。
「普通はさ、強い弱いにも色々あるじゃない」サラに語り掛ける。「スポーツが強いとか、チェスが強いとか。楽器とか絵とかの上手い下手とかも似たようなもんだし。……でも超能力者の世界は、結局突き詰めたら、“殺傷力”しかない。より強くて危ない奴が、自分の言い分を通す。そういう、普通じゃない世界だからね」
サラの方に向き直り、まっすぐその目を見る。
「私たちは、普通に生きようよ。一緒に」
亜由美がそう言うと、サラは目を見開く。それからぎこちなく笑う。
「できるかなあ、いまさら」
「できるよ。普通に学校行って、普通に遊んで、旅行行って、美味しいもの食べて……」
亜由美は身体を倒し、ベッドに転がる。
「普通が一番よ……やっぱ……」
腕の中に、サラが潜り込んでくるのを感じる。
そのまま彼女を抱きしめながら、亜由美は気絶するように眠りに落ちる。