目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

4 - 2

 佐山と別れてから、亜由美は電車に乗り、渋谷駅から店まで歩く。

 先週“病気で早退”して以来の勤務になる。店長や他のスタッフにどんな反応をされるか、想像して気が重くならないかというと嘘になる。みんな良い人だというのは知っているが、それでも、心理的な距離ができてしまうのではないかと、どうしても心配になる。

 店に入ると、亜由美はバックヤードで店のロゴ入りTシャツとサロンエプロンに着替える。改めて鏡で口元を確認すると、唇の切れたところはほとんど目立たない。今日の時点でもう口を隠す必要はなかったかもなと思う。マスクをパンツのポケットにしまい、カウンターに向かう。


 常連の浜野がふらりと現れる。この時間帯に来るということは、軽く一、二杯飲んでから他の店にディナーを食べに行くパターンだろう。

「亜由美ちゃん、ロングアイランド・アイスティー」浜野は椅子に座るとすぐに注文する。

「え、珍しいですね」

「なんか、急に飲みたくなったんだよな」

「酔いたい気分なんですか?」

「酔いたくなるときだってあるんだよ――」浜野は十分に間をとって言う。「――にんげんだもの」

「……相田みつを、の水割りですか?」

「いや割ってないから」浜野は笑う。


 亜由美はコリンズグラスにアイスを詰めてから、テキーラ、ホワイトラム、ジン、ウォッカ、コアントロー、レモンジュース、ガムシロップ、コーラを注ぎ、ステアする。作ったカクテルを浜野に提供してから、気になっていたことを口に出す。

「最初にこれ作った人、何を考えてスピリッツ四種類混ぜたんですかね?」

「……混ぜちゃおうぜ!的な感じじゃない?」

「あー、あの、ファミレスのドリンクバーで全部混ぜる奴みたいな?」

「そうそう。やっぱ発明ってのはさ、遊びから生まれてくるもんなんだよ」

「浜野さん、今日やたら上手いこと言おうとしてません?」

「いや、偶然だから、偶然」浜野は照れを隠すように笑う。「でも亜由美ちゃんも遊ぶの好きでしょ?」

「まあ、好きですけど」

「ハメ外したくなったりとかならないの?」

「えー、痛い目見るの嫌じゃないですか」


 だらだらと喋っていると、厨房から店長の康平が出てくる。

「康平助けてくれよ、亜由美ちゃんが俺を酔い潰そうとしてくるんだよ」浜野がおどけて言う。

「いや、浜野さんが自分で頼んだんじゃないですか!」

「亜由美、何作ったの?」康平が亜由美に訊く。

「ロングアイランドですけど」

「うわ、お持ち帰りするつもりかよ」

「え、置いて帰りますよ、ハチ公像の横とかに」




 くだらない話で笑っていると、店のドアが開き、付けてあったベルが鳴る。

 二人の若い女性が入ってくる。

「あら、いらっしゃい」

 亜由美はサラとハンナに手を振る。


「うーんと」サラはカウンターに座り、アルコールのメニューを眺める。ハンナはそんなサラを見て苦笑いしている。

「じゃあ、ロングアイランド・アイスティーで」

 サラがおどけて言うと、亜由美と康平と浜野の三人は顔を見合わせ、それから爆笑する。

「待って、そんな偶然ある!?」康平は腹を抱えている。

「もしかして、聞いてた?」亜由美は涙が出そうになるのを抑えながら訊く。

「……全く流れが読めないんだけど」意図しないウケ方を見たサラは、怪訝そうな顔をする。

「ごめんな、こっちの話で」亜由美は一度深呼吸して笑いの波を落ち着かせる。

「もう一度お店に入るところからやり直そっか?」

「大丈夫大丈夫。……で、ロングアイランド・アイスティーだけど」亜由美は申し訳なさそうにする。「今ロングアイランド切らしてて……“ロングアイランド・アイスティー・ロングアイランド抜き”ならできるんだけど」

「アイスティー?」

「アイスティー」

「じゃあそれで」

「私もアイスティーで」ハンナも会話に入る。「あと、食事のメニュー見てもいい?」


 そこからは、康平が浜野の接客を担当し、亜由美はサラとハンナの食事を作る。

 パスタを茹でている間、亜由美は二人が初めて来店した日を思い出す。

 そういえば、あの日も浜野さんが来てたな。確か来た順番は今日と逆で、二人が帰ってから浜野さんが来たんだけど。 

 普通に考えたら、偶然なんだろう。でも、あの日からの紆余曲折を経て、一周回って振り出しに戻ってきたような感覚がある。

 もちろん、起こった出来事は何一つなかったことにはならない。それでも、もしできるのなら、またここから始めていきたいなと思う。

 サラと一緒に。今度は“力”なんかと関わることなく。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?