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 《Footprints》でのシフトを終えた亜由美は帰路につく。

 振り返ってみれば、これまでと同じくらい忙しくて、これまでと同じくらい仕事を任されて頼られた。同じくらい常連客と店長にイジられ、イジり返した。気を遣われるんじゃないかというのは、杞憂に終わったようだ。


 家に帰り、シャワーを浴びて部屋着に着替えてから、サラと電話をする。ここ数日の日課になっている。

「ヘイ」サラのくつろいだ感じの声が聞こえる。「さっきはごちそうさま」

「おおきに。なんか変なノリに巻き込んじゃってごめんね」

「あれマジで意味わかんなかった。謎のあだ名付けられたし」

「“ロンちゃん”言われとったな」

「なんでロングアイランド・アイスティーであんなに笑ってたの?」

「ちょうどそのカクテルの話してたんよ」

 亜由美はサラとハンナが来店する前のやり取りについて説明する。改めて説明してみると、なぜあんなに笑えたのか自分でもわからなくなる。


 それから会話は次々に移ろっていく。サラの学校の話。亜由美の学校の話。友達の話。今まで旅行した場所。これから行きたい場所。

「京都に行ってみたいな」サラが言う。「アユミのお母さんは京都に住んでるんだよね?」

「まあ、そうだけど。前サラの家お邪魔した時に話さなかった?」

「うん。お店をやってるって聞いたと思う」

「そうそう」

 大体このあたりまでが、亜由美の中で“家族について他人に話して大丈夫なライン”だった。これまでも、会話の中で家族の話題が出たときは、この“防衛線”になるべく近づかないように、それとなく話が自分に回ってこないようにしたり、話題を逸らしたりしていた。

 サラの一家と話した時、一瞬、死んだ兄のことを話しても大丈夫じゃないかという思いが心をよぎった。でもすぐに考え直した。話す準備は何一つできていなかった。

「何のお店だっけ?」

 サラに訊かれ、亜由美は答える。

「居酒屋をやってる。身内自慢になるけど、母の料理はすごい美味しいんよ」

「えー、食べに行きたい!」

「京都遊びに来る? まあ遠いし、夏休みとかになるかもしれないけど」

「やった」

「また明日話そうか」

「うん。場所は?」

「またメッセージ送る」

 明日もサラと会う約束をしていた。今度はちゃんとデートという形になる。場所はまだ決めていないが。




 亜由美は電話を切ると、ベッドに横たわり天井を眺める。

 全身の張り詰めた感じがなかなか抜けきらない。ちょっと家族の話をするだけなのに、身構えてしまう自分がいる。

 家族について語るとき、眼差しは過去に向かう。亜由美はそれが苦手だった。過去に目を向けるたびに、過去と目が合う。そのまま現在が過去に乗っ取られるのでは、という怖さを感じるときもある。

 ただの終わった出来事に、どうしてこんなに圧力を感じるのか。秘密にしようと抑圧すればするほど、押し返してくるものなのか。

 家族は物語だ。それも一つではなく、関係性と文脈の数だけ存在する。

 兄と私の、“力”にまつわる物語は、私が〈境界空間リミナル・スペース〉に迷い込んだときに始まり、兄の死をもって幕を下ろした。

 母はそれを知らなかった。だが、知らないということを知っていたと思う。




「最後まで、心の奥底を見せへんかったな」

 兄の四十九日の法要の後、母はそう言った。

「心を開いてるように見せるのは上手やったよ。でも本当に何を思ってるかは分からへんかった。賢い子やし、あの子の中では一本筋が通った考えがあるんやろうなとは思ってた。……多分、見えてるもの自体が、私とは違ったんやろうな」

「母さんも、そう思ってたん?」亜由美は母に言った。

「亜由美から見ても、そうやったんね。……たとえ家族でも、土足で踏み込まれへんところってあるやろ。恭太郎のそこの部分は、私にもどうしようもできなかったんやと思う。それでも……」

 母はため息をつき、目頭をぬぐう。

「……できることなら、もっと力になってあげたかった」 

 亜由美も、同じ気持ちだった。

 私が力になっていれば、最初からこんなことになっていなかったんじゃないか。


 兄が重傷を負い、意識を手放す瞬間――そして二度と目覚めなかった――その瞬間は、過去と呼ぶには生々しすぎるくらいの鮮明さで覚えている。搬送された病院に駆け付けた私に、兄は手を差し出した。その手を握った私の目を見つめると、その瞳が閉じられる寸前に何かを呟いたが、聞き取ることはできなかった。

 そのとき、二つの“力”を感じた。一つは外から流れ込んできて、もう一つは内側から湧き上がってきた、それらの“力”は混ざり合って、すぐに区別がつかなくなった。外からの“力”は、きっと兄から送られてきたものだ。そして内側からの“力”は――。


 ――兄は多分、私の“力”を封印していた。

 本当は、〈境界空間リミナル・スペース〉から生きて出てきた時点で、私は超能力者になっていた。そうとしか考えられない。そしてそれに気づいた兄は、私に悟られずに、何らかの方法で私の“力”が発現しないように処置を行った。兄が倒れたことでそれが解除され、私は“力”に目覚めたのだろう。

 兄は、気まぐれで“力”や〈オルタナティブ・レイヤー〉について説明したり、何か披露してくれたりする一方で、決してそれ以上私を超能力の世界には近づけなかった。


 どうしてか。後から理由がわかった。自分の戦いに私を巻き込みたくなかったんだ。

 兄が植物状態になってから、私は兄が何と戦っていたのか知った。抱えていたものの大きさも、そのときになって初めて知った。

 たった一人で。どれほど孤独だっただろう。

 超能力について目を輝かせながら語る兄の顔を思い出す。きっと心のどこかに、私に仲間になって欲しいという気持ちはあったんだと思う。でも兄は私を巻き込まず、孤独を選んだ。私を守るために。

 兄を抱きしめたい。




 メッセージの通知が来る。サラからだった。

 リンクの後に、「ここ行きたい!」と一言。

 リンク先は、京都の大文字山のハイキングコースだった。

「気早っ」亜由美は思わず言葉に出して、そして笑ってしまう。もう京都に行くことを考えてるのか。


 亜由美は母の居酒屋にサラを連れていって、紹介するところを想像する。

 母と私の物語には、これまで超能力も超能力者も登場してこなかったし、これからも登場させることはない。

 母を超能力者と会わせたくない。こんな世界とは無縁で生きていってほしい。

 でも、普通の人間として生きていけるのなら、サラのことを母にも知ってほしいと思う。

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