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「杏子さ」

 颯介が言う。さっきまでのふざけた態度は消えている。

「今の仕事、辛くないか?」

 杏子は少し考えて答える。

「辛いのは、ゼロじゃないけど、大丈夫だよ」

「そうか」

「悩むけどね。……でも悩むことが悪いとは思わないし、悩まなくなったら終わりだと思う」

「そりゃな。逆にお前みたいなのが“正義は我にあり”とか言ってたら怖すぎるだろ」

 颯介の言い方が面白くて、杏子はふっと笑う。

「そうならないように気をつけてるよ。……そもそも私、“正義”って言葉、なるべく使わないようにしてるし」

「言葉の値打ちが下がってるもんな。しょうもない連中が正義正義言うせいで。インフレ起こしてるみたいなもんだろ」

「まあ、ね。……私の場合は、自分自身が十分に把握できてない言葉にあんまり頼りたくないだけなんだけど」

 颯介は杏子の言葉に頷き、続きを待つ。

 杏子は少しの間逡巡するが、意を決して口を開く。


「叔父の話をしてもいい?」

「お前の叔父さん?」

「うん。私の叔父で――育ての親で――私の“前任者”」

 颯介は言葉を発さず、杏子に注意を向けている。何が来ても受け止められる態勢を整えているようだ。


「叔父は、風変わりな経歴の持ち主だった。若いときに自衛隊に入隊して、それから傭兵になって、コソボとかイラクとか、各地を転々として。どこで何をしてたのか、全部聞いたわけじゃないからわからないけど。……で、四十過ぎて引退して日本に戻ってきたんだけど、その頃に色々事情があって、私はそんな叔父に預けられることになった。

「うちの父方の家系はもともと家伝の古武術みたいなのがあったみたいで、叔父は若い頃からそれをずっとやってた。傭兵稼業をやってるときも、他の国の武術の素養がある人に教えてもらったり、逆に教えたりしてたらしい。例えばロシアの武術とか――今ではシステマって呼ばれるけど、叔父が習った時はその名前はまだなかったと思う。で、私はその叔父から戦い方を教わった。戦い方だけじゃない、生き方全般を教わったと思う。それに――超能力も。

「叔父がいつから“力”を使えたかは、わからない。実際に戦場で使ってたのかどうかとかもわからない。確かなのは、私と暮らすようになった時点で、叔父は超能力者だった。“力”の感じ方、コントロールのやり方、出力の方法、色々教わった。……まあ、“力”の使い方に関してだけ言えば、すぐに私の方が上手になっちゃったから、そこまで教わってないんだけどね」

 杏子はそう言って、少し悪戯っぽく笑う。

 颯介もそれに合わせるように表情を緩ませる。


「それで……叔父さんは今のお前がやってるような仕事をやってた?」

「多分。出張だって言って、あちこち飛び回って仕事してた。まあ、その仕事が全部超能力関係かどうかはわからないけど。でも、超能力者を捕らえる仕事もしてた。……私も、一度だけそれに同行したことがある。叔父と仕事をしたのはそれが最初で、最後だった。

「そのときの標的は、難病支援NPOを隠れ蓑にした臓器ブローカーだった。臓器移植を希望する人からお金をもらって、中央アジアとかで手術をさせるようなやつね。ドナーはというと、病院とかの情報を盗み見て適合しそうな人を探して、〈催眠〉で言うことを聞かせて、臓器を提供させてた。情報は電子データも含めて改ざんできるし、関係者にも“口止め”できるから、なかなか尻尾を掴めなかったけど、叔父が年単位で捜査して証拠を集めた。居場所を突き止めた段階で、私も犯人確保に同行するように言われた。

「その当日だけど、計画としては、叔父がその男を確保して、私はバックアップ要員になるはずだった。……でも、そいつは叔父から逃げて、私の目の前に現れた。私はそいつに訊いてみたいことがあったから、訊いてみた――『“力”を使えるなら金なんかもっと簡単に稼げるのに、何でわざわざこんなことするんですか』って。そうしたら、そいつは答えた――『金のためじゃない。人が喜ぶ姿が見たいんだ』って。信じられないかもしれないけど、そいつ自身のセルフイメージは“難病に苦しむ人を助ける支援者”で、自分が〈催眠〉をかけて身体を切り刻ませた人間のことは完全に認識から外れてた。おぞましかった……こんな狂った奴、この世にいちゃいけないと思った。

「そう思ってたら、そいつの方から仕掛けてきた。〈念動力〉を体験したのはその時が初めてで……私が他人の“力”を〈制御〉できることに気づいたのもその時が初めてだった。そいつは私を〈念動力〉で突き飛ばそうとした。私がその“力”の向きを変えると、逆にそいつが私の目の前まで吹っ飛んできた。私は気づいたらそいつの頚椎を折っていた。そいつは何が起こったかわかってないような唖然とした表情のままぐにゃぐにゃになって私の足元に崩れ落ちた」


 杏子は言葉に詰まる。そのときの感覚が蘇ってくる。

 私は光を失った男の目と自分の手を繰り返し見つめていた。

 ずっとそうしていた。駆けつけた叔父が私の肩を抱くまで。

 私は叔父に訴えた――何度も、何度も――、と。

 

 ……。

 叔父は私がそれを繰り返すたびに頷いて、強く私を抱きしめた。

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