残った杏子は、青野の向かいに腰を下ろす。
「あの…………すみませんでした」
消え入りそうな声で青野が言う。
杏子は小さく頷く。軽く咳払いをしてから、質問する。
「これまで何人くらい痛めつけましたか?」
「数えてないっすけど、二十、三十くらい……?」
「殺した人は?」
「いえ、それは絶対やってないです」青野は慌てて首を振る。「基本、制圧するだけで……多少、怖がらせるために叩いたりはしましたけど……依頼人に謝罪させたり、付きまといをやめさせるのが目的だったので」
「なるほどね……わかりました。こちらでも、この近辺の事件などについて調べてみますけど、さしあたりあなたの言うことを信用することにします」
それから杏子は、業務上の説明に入る。
「私は警察の委任を受けて、超能力者の犯罪を取り締まっています。が、現時点で超能力者を管理する仕組みも裁く法律もないので、ケースバイケースで考えるしかないのが実情です。で、今回の件ですが……正直、大ごとにするつもりはないです。別に警察には言わないし、あなたに前科がつくこともない。正田さんですが、今頃〈催眠〉にかけられて、さっきまでのやり取りは全部忘れてるでしょう。だから訴えられることもない。以上です。ただ……私があなたの立場だったら、何かしら償いをすると思いますが……それもまあ、あなたの良心に任せます」
青野は俯いたまま頷く。
「それから、あなたの超能力ですが、私の管理下に置かせて頂きます。基本的に私は、超能力者は多少好き勝手に“力”を使おうが構わないと思っていますが、一般人への暴行はさすがに放置できないので。具体的には、当面、超能力使用は控えて頂きます。万が一どうしても使いたくなったとしても、使う前に絶対に私に相談して下さい。いいですか?」
青野は再び無言で頷く。
「返事は?」
「……はい」
「質問は?」
沈黙が流れる。
杏子が立ち上がろうとしたとき、青野が口を開く。
「俺、狂ってるんですかね?」
「狂ってる?」
「いや……俺、楽しんでたんですよ、弱い奴をいたぶって、言うことを聞かせんのを。しかもそれを、
少し考えて、杏子は答える。
「自分でそうやって内省できてるのなら、その程度には、正気なんじゃないですかね」
「そうっすかね……」
「人間みんな多かれ少なかれあると思いますよ、他人を負かしたい、道徳的優位に立ちたい、承認を得たい、とか。自覚してるかどうかは別として、それで快感を得てる。そういうのが暴走して事故を起こすのも、珍しい話じゃなくないですか?」
「まあ……そうっすかね……」
「青野さんくらいの正気度合いの人はたくさんいると思いますよ。ただ、あなたの場合は“力”が使えたせいで、気が大きくなって、ブレーキが弱くなった、それくらいの話だと思います」
「最初は、そんな感じでした。……そしたら、段々SNSとかで、謎の自警団、みたいに言われるようになって……気づいたら、そっちが本当の自分みたいな気がしてきて……」
青野は大きくため息をつく。そして杏子に訊く。
「狂わずにいられるには、どうしたらよかったんすかね」
杏子は考える。
「そうですね……正解はないと思いますけど……うーん、そうですね…………」
「いや、変なこと訊いてすみません」
「いえ……そうですね……まあでも、今回みたいな場合は、自分の行動の必要性を説明できるか、もっと考えてもよかったかもしれませんね」
「説明……?」
「他人に暴力振るうのは、原則的に“悪”じゃないですか。その点ではあなたと私がやってることは一緒です、ある意味ではね。……その上で暴力を振るうなら、なぜ原則に反してでもそれをするべきなのか、しなければならないのか、ちゃんと説明できないといけないですよね」
「誰に説明するんですか?」
「色々です。私なら一緒に働いてる人とか。ただまあ、実際には他人に説明する機会がない場合の方が多いでしょうけど……そんな時でも、誰にでも説明できるようになっておくべきですよね。自分自身と対話したり、良識があって批判的で、色んな思想背景を持つ人間を想像して、その人たちと脳内で質疑応答したりして、ね。……少なくとも、今回みたいな件で『証拠もないのにその男を殴ってもいいのか?』くらい忠告してくれる人を想像できないと成立しないでしょうけど」
「……難しそうですね……」
「難しいと思いますよ。私も気をつけてます。……私が基本的に超能力者しか相手にしないのも、一般人相手にわざわざこんな恐ろしい“力”を使わなければならない根拠を十分に説明できないと思ったからです」
青野は無言で頷く。
「難しいですけど、これができれば狂わずにいられるかもしれませんし、できなければ何をどう頑張ってもダメでしょうね」
「はぁ……」
青野はため息のような返事をする。