「君、星奈っていうのか?なんで僕の車を描いたんだ?さっきの男の子たちは誰だ?」秋生は腕にぶら下げた小さな子を見つめた。
星奈は腕を組み、小さな頭を傾けて、ぷくっと頬をふくらませた。「教えてあげないもん!全部、私がやったの!他の人なんていない!」その顔は意地っ張りで、どこかおかしさもあった。
仲間思いだな、と秋生は眉を上げた。「共犯者は言わないんだな?じゃあ、お母さんのことを教えてくれるか。」
「ぜったい嫌!」
「なら、仕方ない。連れて行くしかないな。」
連れて行かれると聞いた瞬間、星奈の大きな瞳に涙があふれそうになった。
秋生は彼女を地面に降ろした。すると、星奈はすぐに涙を引っ込め、くるりと向きを変えて小さな足で必死に走り出した。「走れ、走れ、星奈、早く……」と自分を励ましながら。
秋生はその必死な小さな背中を興味深そうに眺め、星奈が逃げ切れると思った瞬間、軽々と数歩で追いつき、また彼女を抱き上げた。
宙にぶら下げられた星奈は、足をじたばたさせたがどうにもならず、口をへの字に曲げて、しょんぼりと頭を垂れた。
秋生の口元がわずかに緩んだ。なんだか、この子は面白い。
秋生は彼女を車の前まで連れていき、落書きされた文字を指差した。「なぜ、これを書いたのか教えてくれ。」妻子捨て男?こんな言葉、子供が思いつくとは思えない。
星奈は口を固く閉ざし、顔には「絶対に言わないぞ」と書いてある。
「秋生、この子はどうしたの?」清美が眉をひそめて尋ねた。
「自分でやったと言っているが、それ以上は話さない。田中、警察に連絡してくれ。」秋生が指示した。
「はい、社長。……この子は?」田中が秋生を見た。
秋生は広い駐車場を見渡したが、大人の姿はどこにもない。四、五歳の子供を放ってはおけず、車のドアを開けて星奈を座席に乗せた。「警察が親に連絡を取るまでここで待つ。」
星奈にとっては天が崩れたような気持ちだった。ママが言ってた通り、ダメパパに連れ去られる!もうママに会えない!悲しみの涙がぽろぽろこぼれた!
秋生が車に乗り込むと、さっきまで勇ましかった星奈はすっかり泣き虫になっていた。
子供の扱いは苦手で、泣き声も嫌いなはずなのに、その可哀想な顔を見ると、なぜか心が少しだけ和らいだ。「なぜ泣く?別に叩いたわけじゃない。」
星奈は小さな手で涙を拭いながら、すすり泣いた。「星奈、悪い人に捕まっちゃった……ママに会えない……うう……」
秋生はしばらく黙った後、「お母さんが連絡してきたら、家に帰してやる。」
「本当!?」星奈は一瞬で泣き止み、目がぱっと輝いた。
秋生は一瞬、演技かと疑った。「ああ。でも、なぜ車に落書きしたのか教えてくれ。」
星奈はまた口をぎゅっと結び、警戒した目で秋生を見つめた。「絶対に教えないぞ」と言わんばかり。
社長として数々の交渉をこなしてきた秋生だが、小さな泣き虫を相手にどうにもならないのは初めてだった。
一方、少し離れた場所で妹が連れて行かれるのを見ていた陽太は、今にも飛び出そうとしていたが、慎一にしっかりと止められていた。
「僕たち、顔が秋生に似てるから、行ったら星奈を助けるどころか、ママまでバレるよ!」慎一は冷静に言った。
「でも、妹はどうするの?」
「まずはママを探そう!」
陽太はお尻がきゅっとなり、「おしおき」の予感がした。
その時、知絵から電話がかかってきた。彼女の声はこれまでにないほど切羽詰まっていた。「慎一、陽太、どこにいるの?星奈は一緒?」
「星奈……星奈が……」陽太はうまく話せなかった。
「ママ、」慎一は電話を代わり、「星奈が秋生に連れて行かれた。」と状況を簡潔に説明した。
電話の向こうでは、長い沈黙が流れた。知絵は世界が一部崩れるような感覚を覚えた。「……秋生に顔を見られてない?」
「見られてない。」
助かった!まだ大丈夫……知絵は深呼吸し、恐怖を押し殺して言った。「とにかく家に戻ってて!ママが何とかする!」
電話を切ると、すぐに見知らぬ番号から着信があった。嫌な予感が的中した。
「星奈の母親か?」低く冷たい男の声。
「はい、そうですが…」
「娘は今、俺のところにいる。」
その声で秋生だと知り、知絵は全身が冷えた。「何を望むの?」
「帝国ホテルに来て、迎えに来い。」電話の向こうから星奈の泣き声が響いた。
知絵の心は締めつけられた。「事情は分かりました!賠償も必ずします!だから、どうか娘に手を出さないで!」
秋生は眉をひそめる。この声、どこかで……。考える間もなく、隣の星奈がさらに大声で泣き始めた。
「子供に手を出す気はない。ただ、今回のことは直接説明してもらう。」秋生は「妻子捨て男」という言葉が子供の発想とは思えなかった。そう言い残して電話を切った。
娘の泣き声を聞きながら、知絵は胸が裂ける思いで、すぐに車の鍵を掴んだ。しかし、すぐに立ち止まる――だめだ!さっき競売会場で会ったばかりなのに、またホテルに行ったら?
そんな頻繁に顔を出したら、秋生の勘の良さなら知絵だと気づかれるに違いない。そうなれば、星奈が秋生の娘だとバレてしまう。絶対にダメ!
知絵は焦りながらその場をぐるぐると歩き回り、親友の美咲に電話した。
――30分後。
知絵は美咲、慎一、陽太を車に乗せ、帝国ホテルの前に到着した。道中、事情は美咲にも伝えていた。
「知絵、本当に大丈夫?」美咲は不安げだった。
「今はこれしかないの!美咲、お願い、星奈を頼む!」知絵は美咲の手を強く握った。
美咲は友人の真剣な眼差しにうなずき、胸を叩いた。「任せて!絶対に星奈ちゃんを連れ戻すから!」そう言って、気合い十分に車を降り、ホテルへと向かった。
知絵は二人の息子と車の中で、胸が張り裂けそうだった。
――ホテルのスイートルーム。
「うわあああん……」星奈はソファに座り、小さな手で顔を覆い、涙を流し続けていた。
秋生はその隣で、眉をしかめたままだった。
田中は近くの店を駆け回り、色とりどりのキャンディを山ほど抱えて戻ってきた。「社長、これで……なだめては?」
秋生はそのカラフルな飴を一瞥し、「俺がなだめろと?」
田中の心の声:社長が連れてきたんですから、社長がなだめてくださいよ……
秋生は観念して立ち上がり、泣きじゃくる星奈を抱き上げた。
軽いものだ。片手で小さなお尻を支えながら、秋生は赤い目で自分を見上げる星奈を見つめた。
「君の両親から、泣いても何も解決しないって教わってないのか?」秋生は諭すように言った。
星奈はすすり泣きながら、「じゃあ……泣かなかったら、帰してくれる?」と尋ねた。
「それはできない。」
星奈はまた口をへの字にし、涙が次から次へとこぼれた。
秋生はその姿に、また少しだけ心が和らいだ。キャンディを一本差し出し、「食べる?」
星奈はちらっと見て、ぷいと顔を背けた。ふん、たった一本のキャンディで星奈を釣れると思ったの?ママに会えないなら、いらない!
秋生は眉を上げて、「二本なら?」
星奈の涙は止まらない。
「三本?」
「……五本!」秋生はまるで、馬鹿げた商談をしている気分だった。