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第7話

南しずく。


29歳。


既婚。


入社して5年――


「田中!」


補償の手続きを終えたばかりの田中が、すぐに書斎へ呼び出された。「社長?」


「この資料、最初に渡されたものと違いはあるか?」秋生の声は冷ややかだった。


田中は困った顔で答えた。「社長、調べられるのはこれが精一杯でした。南さんの情報は徹底的に守られていて、公開されているオークションの記録以外、ほとんど私的な情報は見つかりません。」


秋生は眉をひそめた。書類は詳細に見えるが、彼が知りたい答えは何一つなかった。南しずくの立ち姿や目線、あのどこか懐かしい雰囲気――どうしても知絵のことを思い出させる。


南……しずく……


だが、資料上は全くの無関係。まさか、ただの勘違いなのか?


そんなはずはない。祖父がわざわざ自分をイギリスまで呼び寄せたのには、きっと理由があるはずだ。


秋生はスマホを手に取り、窓際に歩み寄った。視線の先、疾走する車を見つめながら祖父に電話をかけた。


「おじいさん、あのオークショニアの南しずく、一体何者なんですか?」


「彼女に会ったのか?」祖父の声が返ってきた。


「ああ、会った。」


電話の向こう側で一瞬の沈黙。そして、ため息が聞こえた。「どうやら、この五年間で本当に知絵のことを忘れてしまったようだな。目の前にいるのが自分の妻だと気づかないとは。」


秋生の瞳孔が大きく開く。「知絵だって……?」


入社して5年、常にヴェールで顔を隠し、決して素顔を見せない――どうしても消えないあの既視感……


南しずく――南――知絵!


秋生の表情が一瞬で鋭く冷たくなった。


やはり、彼女だ!自分の直感は間違っていなかった。祖父が自分をここに呼んだのも、すべてこのためだったのか。


心の中に、騙されていた怒りが込み上げた。五年間探し続けても見つからなかったはずだ、名前も変えて、ここに隠れていたとは!オークションハウスであんなにあっさり去ったのも、自分に気づいたからに違いない。


「彼女を連れて戻って来い、秋生。」祖父の声は重かった。


「わかった。」秋生は電話を切ると、足早に部屋を後にした。


田中は訳も分からず、ただボスの周囲の空気が一気に張り詰めたのを感じていた。まるで五年前、奥様が流産して離婚したあの日の嵐のようだった。


清美がちょうどドアの前に来たとき、秋生が険しい表情で出てくるのを見かけ、思わず声をかけようとしたが、完全に無視された。


「どこに行くの?」彼女は後を追う田中の腕を掴んだ。


「小野さん、私も分かりません。」田中は慌てて秋生の後を追った。


清美は眉をひそめる。これほど秋生が焦っている姿は久しく見ていない。


車の中で、秋生はオークションハウスのマネージャーに電話をかけた。


「藤原さんですか?」


「南しずくは、今オークションハウスにいるか?」


「南さんは今日はお休みです。社長、何か……」


「……」


秋生は無言で電話を切った。休みだと?自分に気づいて、逃げたのか?


「社長、どちらへ向かいましょうか?」助手席の田中が尋ねた。


「南しずくの住所を今すぐ調べろ。」秋生の声には抑えきれない怒りがにじんでいた。


田中は余計なことは聞かず、すぐに手配した。


秋生の目は鋭く光った。今度こそ、彼女がどこまで逃げようと、必ず見つけ出す――


知絵は美咲と三人の子どもを連れて外で食事をしていた。美咲がホテルでの一部始終を詳しく話してくれた。


秋生は補償を求めなかったが、あのしつこい質問の数々は明らかに美咲の素性を疑っているようだった。


一時的には切り抜けたものの、知絵の心から警戒は消えなかった。不安に包まれていると、マネージャーから電話が入った。


「南さん、藤原さんが君を探してるんじゃないか?」


「藤原さん?」知絵の心臓が跳ねた。「特に何もありませんが、どうかしました?」


「さっき、君がオークションハウスにいるか電話があった。休みだと言ったら、明らかに機嫌が悪かった。多分、君を探してる。」


秋生が自分を探してる――!?


知絵の顔色が一変する。終わった……きっと何かに気づいたんだ!


「他には何か言ってましたか?」


「いや、それだけで電話を切ったよ。南さん、大物だから、下手に逆らうなよ。」


「分かりました。」知絵は電話を切った。手のひらは冷たく汗ばんでいた。


美咲も彼女の様子に気づいた。「どうしたの?」


「美咲、子どもたちを連れてあなたの家に行って。今すぐどこでもいいから飛行機のチケットを取って!私は家に戻ってパスポートを取ってくる!」知絵は早口で言った。


「今すぐ?見つかったの?」


「恐らく!彼が探しに来てる!」知絵は必死に動揺を抑えた。「子どものことまではまだ知らないはず。協力者がいるから、すぐにはバレない。でも……」


「もう時間がない!慎一、陽太、星奈、みんな美咲ママと一緒に行ってて。ママもすぐ追いかけるから!」秋生が子どもたちまで探し出すのが一番怖かった。彼ならやりかねない。絶対に渡すわけにはいかない。


子どもたちはしっかりとうなずいた。「ママも気をつけて!」


「うん!」知絵は急いで車を走らせ、自宅のマンションへ向かった。


メゾネットタイプのマンションに着くと、知絵は電気も点けずに二階の寝室へ直行した。引き出しを開けてパスポートを掴み、バッグに押し込んで階段を下りようとした――


だが、一歩踏み出した瞬間、体が凍りついた。


リビングの暗闇の中で、赤い火がちらちらと光っていた。


かすかなタバコの匂いが漂っていた。


心臓が、何者かにぎゅっと掴まれたような感覚。


「逃げるつもりか?」


低く冷たい声が、静寂を切り裂いた。


秋生――!


窓から差し込むわずかな月明かりで、ソファに座る人影がはっきりと見えた。玄関に入った時は焦りで周囲に目もくれなかったのだ。


頭の中が真っ白になった。


「カチッ」


リビングの照明が突然つき、眩しい光に知絵は思わず目を閉じた。


再び目を開けると、ソファに腰掛ける秋生の姿がはっきりと見えた。長い指でタバコを持ち、ゆっくりと煙を吐き出す。その黒く深い瞳は、氷のような鋭さで知絵を見据えていた――まるで、すべてを見透かし、切り裂くかのように。


知絵は身動き一つできず、血の気も引いていった。


やっぱり……彼は自分を見つけただけでなく、家まで突き止めていた!


無理やり冷静さを保とうとする。リビングとキッチンは下、子ども部屋は上――彼は上に行った?子どもの痕跡は?


秋生は煙草を消し、ゆっくりと立ち上がった。その威圧感が空間を圧倒する。


一歩一歩近づきながら、彼は青ざめた知絵の顔を見つめ、低い声で言った。


「五年ぶりだな。今は――藤原知絵と呼べばいいのか、それとも……南しずくか?」


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