知絵は唇を強く噛みしめ、胸の動揺を必死に押さえ込みながら、冷ややかな声で問い詰めた。
「藤原さん、法律ぐらいご存じですよね?他人の家に勝手に入るのは犯罪ですよ!」
秋生はその言葉にまったく動じなかった。
彼はゆっくりと立ち上がった。その大きな体が放つ威圧感に、知絵は思わず後ずさるしかなかった。
秋生が醸し出す危険な雰囲気に、知絵は本能的に逃げ出そうとした。しかし、彼の手が突然彼女の手首を掴み、抗う隙もなく強く引き寄せられた。
「きゃっ!」と叫ぶ間もなく、両手をしっかりと押さえつけられ、冷たい壁に身体を押し付けられた。
知絵は仕方なく顔を上げ、秋生の底知れぬ黒い瞳を見つめ返した。その瞳には怒りの炎が宿っていた。
「何がしたいの?」と知絵は怒りをあらわに問いかけた。
秋生もまた、じっと彼女を見つめる。五年という時を経て、彼女の顔からは幼さが消え、より整った美しさをまとっていた。淡いメイクも、その美しさを一層引き立てている。
すべては変わっていない――ただ、かつて自分を映していたその瞳だけが、今は冷たく遠ざかり、はっきりとした怒りが浮かんでいる。
その視線が、秋生の心に鋭く突き刺さる。
この目だけは、どうしても許せなかった。
「何を逃げている?」秋生は低い声で抑えた怒りをにじませる。「五年前、何も言わずに消えた。その理由を説明する気はないのか?」
「説明?」知絵は一歩も引かず、じかに見返す。「なぜ何も言わずに消えたのか、藤原さんの方がよく分かってるんじゃない?あなたは清美が好きでしょう?私は自分から離婚して、あなたたちを応援した。それでもまだ足りないの?」
秋生は眉をひそめ、目つきが一層険しくなった。
「知絵、いつ俺が清美を好きだと言った?」
「好きじゃないの?」知絵は馬鹿にしたように声を強めた。
「じゃあ、誰が好きなの?私?秋生、そんなこと言わなくても分かるわよ!誰だって知ってる、あなたが清美を大事にしていることくらい!彼女の誕生日のために花火を打ち上げて、何でも尽くして……今や藤原家の奥様じゃない!母が残してくれた指輪まで彼女に贈って、それで好きじゃないって言うの?」
彼女は秋生の手を振りほどこうと必死だった。まるで、触れられることすら耐えられないかのように。
秋生は鋭い目で彼女を見つめ、何も答えなかった。
知絵は皮肉を込めて言い放つ。
「言っておくけど、私たちもう離婚してるのよ!あなたの妻は清美でしょ?前妻の家でこんなことしてて、清美が知ったらどうするの?」
その言葉一つ一つが氷のように冷たく、知絵の目はもはやかつての従順なものではなかった。その変化が、秋生にはどこか他人のように感じられた。
秋生は清美に対して特別な思いがあったことは否定しない。だが、それはもう終わったことだ。知絵と結婚してからは、一線を越えたことなど一度もなかった。それなのに、なぜ彼女はここまで誤解しているのか。あの出来事だけで、子どもを諦め、人知れず姿を消したのか?
子どものことを思い出すと、怒りがこみ上げてくる。
一体どんな権利があって、勝手に二人の子どもを諦めたんだ!
「離婚、離婚って――」秋生は一歩詰め寄り、冷たい声を絞り出した。「知絵、まだ気が済まないのか?あの時、子どもを諦めるって、誰がそんな権利を与えた?」
「気が済まない?」知絵の胸が冷たく締め付けられる。彼にとって、あの日々の苦しみも決断も、ただの我がままだったのか。彼女は勢いよくドアを開け放った。
「出て行って!」
「俺の問いに答えろ!」秋生は微動だにしなかった。
「そうよ!私は離婚したかった、子どもも諦めたかった!それが何?」知絵の目には、深い絶望と決意が宿っていた。「私たちの間に愛なんてなかったでしょ?あなたは私にも子どもにも興味がなかった。それなのに、なんで子どもだけ残さないといけないの?ずっと無視されて、邪魔者扱いされるだけじゃない!」
秋生の目はますます暗く沈んだ。
彼女はなぜこんなにも誤解しているのか――自分は一体いつ、彼女や子どもを無視したと言うのだ。
「出て行って!あなたなんか、もう来ないで!」知絵はドアの外を指差した。
秋生はゆっくりとうなずき、冷たい声で言い放った。
「俺を拒んでもいい。でも、もう逃がさない。」
「何をするつもり?」知絵は警戒して後退った。
「俺がイギリスまで来た理由、分かるだろう。京都に戻るんだ。」
「絶対に嫌!」知絵は背を向けて逃げようとしたが、またしてもあっさりと秋生に捕まり、彼の力強い腕の中に押し込まれた。秋生の腕は鉄のように彼女をしっかりと抱きしめた。
「知絵、俺が見つけたのに、簡単に逃がすと思ったか?もう逃げ場なんてない。」
その冷たい言葉に、知絵の心は凍りついた。
秋生はそのまま、知絵に反抗する隙さえ与えず、彼女を引きずるようにして外へ連れ出し、エレベーターに押し込んで階下へ降りていった。車はすでに建物の前に停まっており、周囲には秋生の部下たちがいた。
秋生は乱暴に知絵を後部座席へ押し込むと、自分もその隣に乗り込んだ。
「秋生、この最低!」知絵は怒りをぶつけた。
秋生は冷ややかに笑い、言い返した。
「そっちはどうなんだ?勝手に離婚して、子どもも諦めて、五年も誰にも知らせずに消えて……心配していた人たちの気持ちが分かるか?」
「心配していた人……?誰よ?」母が亡くなってから、京都にはもう自分の家族なんていないのに。
秋生は突然、知絵の肩をぐっと引き寄せ、無理やり顔を自分に向けさせた。
「祖父のことを覚えているか?お前がいなくなって、祖父は五年間もお前のことを気にかけて、体まで壊したんだぞ!知絵、お前は何とも思わないのか?」
藤原泰造の名を聞いた瞬間、知絵の体がピクリと硬直した。確かに祖父には十分世話してきた。五年経った今でも、その思いは消えていない。
だが、知絵には分かっていた。秋生も藤原家も、自分が藤原家の血を引く子どもを一人で育てることなど絶対に許さないだろう。だからこそ、絶対に子どもの存在だけは知られてはいけない――
「発車して。」秋生が低く命じた。
車はすぐに発進した。知絵の心には絶望が広がった。秋生は本気で自分を連れ戻す気だ、今の彼女には逃げ出す術がない。ただ一つの救いは、さきほどのやり取りから、秋生がまだ子どもたちの存在に気づいていないことだ。それだけが、知絵の張り詰めていた神経をわずかに緩めた。子どもたちさえ無事であれば、まだ何とかなる。
そのとき、突然、けたたましい携帯の着信音が響いた!
知絵は一瞬で緊張し、慌ててポケットを探ったが、さっきのもみ合いで携帯はシートの上に落ちていた。
嫌な予感が胸をよぎり、すぐに手を伸ばす。
しかし、秋生が一足先に携帯を手に取った。
秋生は目を細め、画面に表示された名前に鋭い視線を注いだ――
着信表示:ベイビー陽太
あまりにも親しげな名前――
知絵は全身が震え、思わず秋生に飛びかかった。
「返して!」
秋生は彼女を簡単にいなし、冷たい声で命じた。
「座ってろ。」
彼女がこれほど慌てているうえ、「ベイビー」などという愛称で登録された「陽太」という名前――明らかに男の名前だ。
秋生の目が一層鋭さを増し、知絵の必死な視線を無視して、ためらいもなく通話ボタンを押した。