「誰だ?」
その低い声が響いた――
知絵と三人の子どもたちは、一瞬にして氷のように固まった。
ドン…ドン…ドン…
背後から近づいてくる足音が、知絵の心臓を激しく打った。
足が震えて、力が抜けた。
まずい……
足音がすぐ後ろで止まった。
「お客様、外出されますか?」と、丁寧な声が聞こえた。
――え?
知絵が振り向くと、ホテルのマネージャーが懐中電灯を手に立っていた。停電の対応に来たらしい。
「大変申し訳ございません。電気に不具合が発生し、ただ今復旧作業中です。お出かけの際は足元にお気をつけくださいませ。」と、マネージャーは丁寧に頭を下げた。
知絵はぎこちなく微笑んだ。「ありがとうございます。」
「ご迷惑をおかけしました。」マネージャーは丁重に去っていった。
知絵はまだ体の震えが止まらず、ほっとしたのも束の間、廊下の向こうからまた複数の懐中電灯の光が差し込んできた。
知絵の心臓が再び跳ね上がった。とっさに三人の子どもたちの服をつかみ、すぐに部屋の中に引っ張り込んだ。
秋生がちょうどマネージャーと鉢合わせになった。
「藤原さん。」マネージャーは深々と頭を下げた。
「復旧はいつだ?」
「間もなく完了するかと思いますが、ご不便をおかけして申し訳ございません。」
秋生はこの停電に不審を感じていた。一階だけを狙ったハッキング?目的があまりに明確すぎる。調査はまだ進展がなかった。
スイートルームに戻ると、知絵の部屋のドアが固く閉じられているのに気づいた。彼女が暗闇を怖がることを思い出した。
なぜか、ドアを開けてみた。
中は静まり返り、懐中電灯の光を向けても誰もいなかった。
逃げたのか?秋生の表情が険しくなった。
部屋の奥へと進んだ。
その時、奇妙な光景が目に入った。
「何してる?」
突然背後から声がし、知絵はびくっとしてその場で固まった。
顔を上げると、秋生の鋭い視線に出会った。知絵は声を震わせながら言った。「い、いつ入ってきたの?」
「何してる?」秋生は、彼女の不自然な体勢を見て、もう一度問うた。
知絵は両膝をつき、ベッドの端に体を半分突っ込み、手をベッドの下に伸ばしていた。
慌てて立ち上がり、無理に笑顔を作った。「スマホを落としちゃって、拾ってたの。」
秋生はじっと見つめ、明らかに信じていない様子だった。「スマホを拾うのに、そんなに体を突っ込む必要がある?匂いでも嗅いでたのか?」
「そ、その…停電で見えないから、手探りで…」
秋生が目を細めた。
知絵は指をいじりながら、信じてもらえたか不安になった。
少しの沈黙の後、秋生が尋ねた。「見つかったのか?」
知絵はうなずいた。「うん、見つかった。」
その時、「パチッ」と音がして、部屋の電気が復旧した。
秋生は下を見て、床に静かに転がっているスマホに目を留め、眉をひそめた。「これが‘見つかった’状態か?」
知絵は床のスマホを見て、引きつった笑顔のまま急いで拾い上げた。
その頃、ベッドの下の三人の子どもたちは、体を小さく丸めて口をしっかり押さえ、息を潜めていた。
秋生はしばらく知絵を見つめていた。不審に思いながらも、特に怪しいものは見つからなかった。部屋を見回しても異常はない。
視線を戻し、冷たい声で言った。「必ず連れて帰る。変な真似はするな。」
知絵は、早く出て行ってほしいと願いながら言った。「外にはあなたの部下がたくさんいるのに、どこに行けっていうの?」
本当に逃げ場がない。ベッドの下の三人を思い出し、泣きたくなった。
何これ、三人もおまけ付きなんて……
秋生が部屋を出ようとしたとき、知絵はやっとほっとした――と思ったら、彼はただドアを閉めただけだった。
一気に息が詰まる。知絵はにらむように言った。「出ないの?」
秋生はソファに腰かけ、眉を上げて言った。「ここは俺の部屋だ。出て行けって?」
「ここ、空き部屋じゃなかったの?」知絵が振り返ると、テーブルの上の書類やクローゼットに男性用のスーツが目に入り――間違って秋生の寝室に入ってしまったことに気づいた。
秋生は余裕の表情でタバコを取り出し、火をつけてゆっくり知絵を眺めた。まるで彼女がどうするか待っているかのように。
絶対に出て行きたくない!ベッドの下に三人もいるんだから!
知絵は深く息を吸い、愛想笑いを浮かべて言った。「あの…部屋を変えてもらえませんか?」
「ここに泊まりたいのか?」
知絵は大きくうなずいた。
秋生はくすっと笑った。「無理だ。」
笑顔が固まる。「お願いできない?」
「無理だ。」秋生はタバコをもみ消し、低い声で言った。「俺はシャワーを浴びる。出て行かないなら、一緒に寝るだけだ。」そう言ってバスルームへ向かった。
知絵は頭を抱えた。ベッドの下では、星奈がそっと顔を出し、小声で「ママ、出てきてもいい?」と聞いてきた。
知絵はバスルームの方をそっと見て、慌てて星奈に合図して戻るよう促した。星奈は素直に引っ込んだ。
このままじゃダメだ、子どもたちを移動させなきゃ。そっとドアを開けると――
ちょうど田中と目が合った。
知絵は苦笑いしながら言った。「田中さん、まだ寝ないの?」
田中はソファから立ち上がった。「社長をお待ちしています。」
「え、ここで一緒に寝るの?」知絵は思わず口走った。
田中は言葉に詰まった。「……大事な報告がありまして。」
「シャワー中だから、明日の朝でも――」
「いえ、急ぎの件です。」
知絵は頭を抱え、追い払えないと悟って静かにドアを閉めた。
外には田中、中には秋生!知絵は髪をくしゃくしゃにしながら、絶望しかけていた。
まもなくバスルームのドアが開き、秋生が黒いバスローブ姿で出てきた。襟元から鍛えられた腹筋がのぞき、濡れた髪から水滴が滴り落ちている。どこか気だるげな雰囲気だ。
知絵がまだいるのを見て、秋生は意味深に眉を上げた。「まだいるのか?」
知絵は彼の腹筋に視線が吸い寄せられ、顔が熱くなった。慌てて視線をそらし、ドアの外の田中のことを思い出して急いで言った。「田中さんが呼んでます。急ぎの用らしいです。」
秋生はちらりと知絵を見て、ドアの方に向かう。
「何か用か?」
「社長、停電の調査結果が出ましたが……少し問題が。」
秋生は田中からタブレットを受け取り、書斎へと入った。
書斎――
秋生の目がタブレットの画面に映る監視カメラの画像に留まった。
そこには、三人の小さな子どもの姿がはっきりと映っていた。
秋生の目が鋭く細まった――