五時間後。
秋生のプライベートジェットが、京都国際空港の専用エプロンに静かに着陸した。
懐かしい街並みを眺めながら、知絵の胸にはさまざまな思いが去来した。まさか、こんな形で戻ってくるとは思いもしなかった。
飛行機を降りると、秋生と清美が先頭を歩き、知絵はその後ろに続いた。逃げ出されないように、四人の警備員がぴったりと後についた。
知絵は心の中で冷たく笑った。ここまで帰ってきたのに、まだ逃げるとでも思っているのだろうか。
彼女は足を止め、「お手洗いに行きたい」と告げた。
田中が立ち止まり、「南さん、どうぞ早めにお願いします。ここでお待ちします」と言った。
「わかった。」
秋生も歩みを止め、知絵が逆方向に歩いていくのを見つめた。「彼女は何をしに?」と尋ねた。
「南さんはお手洗いだそうです」と田中が答えた。
秋生は眉をひそめた。この女の時間稼ぎは、あまりにもあからさまだ。仕方なく、その場で待つことにした。
その頃、三人の子供たちも別のプライベートジェットで京都に到着していた。ターミナルを出ると、陽太が興味津々に周囲を見回した。「ここがママが育った街なんだね!」
星奈はぴょんぴょん跳ねながら、「ママ、きっと私たちを見たらすごく喜ぶよ!」と無邪気に言った。
慎一は真面目な顔で、騒がしい弟と妹を見ながらため息をついた。母さんは僕たちを見て、きっと驚くだろうな……と心中でぼやいた。
「お兄ちゃん、星奈、お手洗いに行きたい!」
「僕がついていくよ。」
「大丈夫だよ!お兄ちゃんたちはここで待ってて!」そう言うなり、星奈は一目散にトイレへ走っていった。
あまりにも急いでいた星奈は、前方をよく見ずに走り、「ドン」と誰かの脚にぶつかり、そのままお尻から地面に転んでしまった。
秋生は眉をひそめ、視線を落とすと――そこには、あの泣き虫の女の子がいた。
星奈が顔を上げると、ちょうど秋生と目が合った。
ダメパパだ!
しまった、なんでこんな偶然が……!
星奈はすぐに立ち上がり、その場から逃げようとした。
秋生は昨夜ホテルで見かけた女の子のことを思い出し、同じ子かどうかは分からないが、偶然にしては出来すぎていると感じていた。彼は手を伸ばして星奈の腕を掴んだ。「待ちなさい。」
星奈はお腹を押さえ、早くトイレに行きたくてたまらない様子。
「ここで何をしている?」と秋生が尋ねた。
星奈は口を固く閉ざし、必死に我慢している。
星奈の様子に秋生はさらに警戒心を強めた。最初はオークション会場、次はホテル、そして今回は京都。たった二日で三度も遭遇するなど、偶然とは思えなかった。
秋生はしゃがみ込んで、「一人なのか? ご両親は?」と優しく聞いた。
星奈は兄たちと一緒にいるとは言えず、慌ててうなずいた。
「一人で飛行機に乗ってきたのか?」
星奈は力強くうなずき、逃げ出そうとした。
秋生は再び彼女を引き寄せた。四、五歳の子供が一人で海外から飛行機に?さらに追及しようとした――
「秋生!この子……お漏らししてる!」と、清美が星奈を指差して嫌そうに声を上げた。
秋生が下を見ると、星奈のズボンが濡れていた。
星奈は恥ずかしさで顔が真っ赤になり、「うわぁーん!」と大声で泣き出した。「ひどいおじさん!なんで星奈を掴まえるの!星奈、トイレ行きたかったのに……うわぁぁ……」
恥ずかしさと悔しさで、泣き声はひときわ大きくなった。
秋生は「……」と絶句した。さっきの妙な表情は、我慢していたせいだったのか。
小さな体でプライドが高い星奈は、人前で失敗し、悲しみに打ちひしがれている。泣きじゃくる彼女を見て、秋生はなぜか心が痛み、そっと上着を脱いで星奈を包んだ。
清美は眉をひそめて止めた。「秋生、汚いわよ!ほっときなさい!」
秋生は無視し、そっと星奈を抱き上げた。「大丈夫、隠したから誰にも見られてない。もう泣かないで。」
自分でも気づかないほど、優しい声だった。
星奈は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、大きな上着に包まれ、少し安心したのか泣き声が小さくなった。
「本当に一人なのか?それとも、親とはぐれたのか?」秋生はもう一度やさしく尋ねた。
星奈は兄たちのことを言えず、必死で「一人で来たの」と答えた。
秋生はじっと彼女を観察した。嘘をついているようには見えない。今ここで放っておくわけにもいかず、「着替えさせてあげよう。そのあと、君のご両親に連絡する」と言った。
「いやだ!私……」お兄ちゃんたち!
星奈は言いかけて、迎えに来た慎一と陽太を見つけた。
「星奈!ダメパパ!」二人は呆然と立ち尽くした。
秋生は田中に子供の保護者へ連絡するよう指示し、自分は星奈を抱いて車へ向かった。
清美はその様子を見て、潔癖症だった秋生が「お漏らしした子供」を抱き上げていることに、信じられない思いで不安を募らせた。
知絵はトイレで充電器を借り、携帯をつけたばかりだったが、美咲と繋がらなかった。時間もなく、仕方なくトイレを出る。
出てくると、ちょうど秋生が何かを抱えて外へ向かっているのが目に入った。
「誰を抱いてるの?」と知絵が田中に尋ねた。
「小さな女の子です。一人で京都に来たようなので、今両親を探しているところです」と田中が答えた。
知絵は口元を引きつらせて、「ずいぶん親切なのね」とだけ言って歩き出す。
「行きましょう。」
清美と秋生は先頭の車に乗り、知絵は後ろの車へ一人で乗り込んだ。
「ママだ!」と、陰に隠れていた陽太と慎一が車列を見つめていた。
陽太は焦って言った。「大変だ!星奈がまたダメパパに連れて行かれちゃった!どうしよう!」
慎一は必死で冷静を装い、「慌てないで。ママに連絡するチャンスを見つけよう。とりあえず、ついて行こう」と促した。
二人は急いでターミナルを飛び出し、タクシーに乗り込んだ。「おじさん、前の車の列を追いかけてください!」
一時間後、車列は藤原家の本邸に到着した。
五年ぶりに帰るその屋敷は、京都でも屈指の名門らしく、堂々たる佇まいを見せていた。高い門が、無言の威厳を放っている。
秋生はジャケットにくるまれた星奈を抱いて先に進んだ。清美はその背中を睨みつけ、内心で悔しさを噛みしめた。もし知絵があのとき子供を産んでいたら、どうなっていたことか……。
知絵も車を降りる。清美はわざと立ち止まり、冷たく言い放った。「知絵、勘違いしないで。あなたが帰ってきても、何も変わらないわ。秋生があなたを連れてきたのは、ただお祖父様が会いたがったから。それだけよ!」
知絵は滑稽だと感じた。わざわざ立ち止まってまで警告するなんて、秋生が心配なのか、それとも自分に自信がないのか。無視して邸内へと歩みを進めた。
執事が出迎える。「お帰りなさいませ、秋生様。」
「うん。」秋生は淡々と返事をし、星奈を執事に預けた。「この子を着替えさせてあげて。」
「秋生様、お帰りなさいませか?」と、やわらかな女性の声が響いた。
淡いブルーの高級な着物に身を包み、繊細なショールを羽織った上品な女性が静かに現れた。五十代とは思えない若々しさと美しさを持つ、秋生の母・藤原雅子だった。
息子が子供を抱いている姿を見て、雅子の目が一瞬輝いた。「秋生、その子は……?」
「空港で見つけた子だ。」秋生は簡潔に答えた。
雅子の瞳の輝きはたちまち消え、少しがっかりした様子を見せた。もしかして……と期待したが、違ったようだ。
さらに何か言おうとしたとき、後ろから入ってきた知絵の姿を見つけた。しばらくじっと見つめてから、ためらいがちに声をかけた。「……知絵?」