目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第14話

「おばさん」知絵は丁寧に会釈した。


「やっぱりあんただったのね!」雅子は早足で知絵の前に立ち、目には怒りの炎が燃え上がった。「よくも戻ってこられたわね!私の孫は?あんた、私の孫をどこにやったの?」


あの時、待ち望んでいた孫がいなくなったと知った雅子は、その場で気を失った。この五年間、彼女の知絵への憎しみは消えることがなかった。


今、その抑えていた怒りがついに爆発した。


雅子は知絵の腕を強く掴んだ。「知絵!あの子はどうしたの?本当に中絶したの?あんた、私たちを騙したんじゃないの?」


どうしても、母親が七ヶ月も育てた子を自ら手放すなんて、信じられなかった。


「母さん!」秋生が口を挟んだ。「祖父が知絵に会いたがってる、まずは祖父のところへ行かせて。」


「祖父に会わせる?知絵なんかにそんな資格ある?祖父はあんなにも知絵を大切にしてくれたのに、知絵は全部裏切った!祖父が病気になったのも全部知絵のせいよ!」雅子は感情を抑えきれなかった。


清美は横で、ほとんど気づかれないほど薄く口元に笑みを浮かべていた。こうなることは最初から分かっていた。雅子にとって、中絶した者は許されない存在なのだ。


「雅子」二階から力強い声が響いた。


みな顔を上げると、藤原泰造が杖をつきながらこちらを見下ろしていた。その視線は知絵に向けられている。「知絵、こちらへ来なさい。」


知絵は泰造の姿を見て、胸に痛みが広がった。唇をきゅっと結び、階段を上がった。


「父さん!まだ知絵を庇うんですか?知絵がどれだけ酷いことをしたか分かってるでしょう?」雅子は納得がいかない様子で訴えた。


泰造は静かに雅子を一瞥した。怒りは見せずとも、その眼差しだけで十分に威圧感があった。雅子は不満げに口をつぐむしかなかった。


「おばさん、落ち着いてください。」清美が雅子の背中を優しくさすった。「こんなことで怒ったら身体に悪いですよ。」


雅子の表情は少し和らいだ。「清美、ちょっとここで待ってて。秋生に聞きたいことがあるの。」


清美は素直に頷いた。「わかりました。」


「秋生、来なさい。」雅子は秋生を連れて階段を上がっていった。


二階の書斎。


知絵はドアの前で少し躊躇し、意を決して中へ入った。


老執事が恭しく頭を下げた。「お帰りなさいませ、奥様。」


「ええ。」知絵は祖父に目を向けた。「お祖父様。」


「よく帰ってきたな。」泰造の声は穏やかだった。


「はい。」五年前より老けたものの、相変わらず鋭い眼差しで、全てを見透かされているようだった。


「知絵、すまなかったな、あの時は——」


祖父は手を上げて知絵の言葉を遮った。「謝る必要はない。悪いのは秋生の方だ。お前に辛い思いをさせたことは、私も分かっている。秋生のことはきちんと叱っておいた。ただ、当時のお前の離婚届、秋生は結局サインしなかった。」


執事が五年前の離婚届を取り出し、知絵の前に差し出した。


知絵は眉をひそめた。まさか本当にサインしていなかったとは。なぜ?彼は清美のことが好きだったはずなのに?


「知絵、祖父として聞かせてくれ。お前と秋生、やり直すつもりはないのか?」祖父の眼差しは真剣そのものだった。


知絵は首を振った。「お祖父様、私が秋生と結婚したのは、父の恩に報いるため、居場所を与えてもらったからです。でも、彼は私を愛してくれなかったです。このままの結婚は、お互いにとって苦しみです。愛されていない人と一緒にいるつもりはありません。申し訳ありませんが、この結婚は終わりにしたいです。」


「本当に離婚したいのか?」


「はい。」知絵ははっきりと言った。


泰造は頷いた。彼女の性格をよく知っていた。「結局、秋生が悪いのだ。」そう言いながら、手で合図を送った。


執事が新しい離婚協議書を知絵の前に差し出した。


「知絵、お前の気持ちは尊重する。まずは内容を見てみなさい。」


知絵はその書類を手に取り、心の中で警戒心が高まった。祖父の愛情に、決して限度がないわけではない。


やはり——。五年前は一切の財産を放棄する内容だったが、今回の書類には藤原グループの10%の株式、200億円、都心の店舗や別荘まで付いていた。破格の補償だった。


だが、最後の一文——「子供の親権は父親側に帰属する」を見た瞬間、知絵の心臓が止まりそうになった。


「知絵、これは藤原家からの償いだ。」祖父はゆっくりと語った。


知絵は書類を机に戻し、平静を装いながら尋ねた。「お祖父様、『子供の親権は父親側』……子供って?」


祖父はため息をついた。「藤原家はお前に申し訳なく思っている。できる限りのことはするつもりだ。しかし、藤原家の子供は、必ず家に戻さなければならない。」


その口調は柔らかく、しかし決して譲歩しない強い意志があった。


藤原家の血筋。それが祖父の絶対的な一線だった。金はいくらでも出すが、子供は手放さない。


知絵は祖父の目をまっすぐに見つめた。「お祖父様、冗談はやめてください。当時、私は本当に中絶しました。子供はいません。この書類にはサインできません。」


祖父は静かに知絵を見つめ、怒ることもなかった。「知絵、お前は秋生を騙せても、私をごまかすことはできん。」


「信じていただけなくても、子供はいません。それが私の答えです。」知絵はきっぱりと言い切った。


祖父はしばらく黙り、無理強いはしなかった。「分かった。今日はもうこの話はやめよう。せっかく帰ってきたのだから、一緒にご飯を食べよう。」


「はい。お祖父様、少し失礼します。」知絵は書斎を出たが、気持ちは落ち着かなかった。祖父は試しているだけなのか、それともすでに何か知っているのか——。


廊下を歩いていると、ふとひとつの部屋の前で、話し声が聞こえてきた。


「秋生、私はやっぱり知絵があの時、中絶してない気がするのよ。」雅子の声だった。「母親だから分かるのよ、七ヶ月の子を下ろすのがどれだけ辛いか。」


秋生の声は低い。「調べたよ。この数年、ずっと一人で暮らしてた。」


「本当に調べたの?もし本当に中絶してたら、知絵の心はどうかしてる。でも、どちらにせよ、私たちは気を付けておかなくちゃ。もし子供がまだ生きているなら、必ず藤原家に戻さなきゃ。いずれ秋生と清美が結婚するんだし、清美はきっと良い母親になれるわ。」


知絵は胸が締め付けられる思いだった。自分の子供を奪うだけでなく、清美に育てさせようというのか。手が自然と握りしめられる。


その時、シャワーを浴びて綺麗な服に着替えた星奈が、元気よく部屋から飛び出してきた。そして知絵を見つけると、弾むような声で叫んだ。


「ママ……!」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?