美咲は、健一が車を止める気配を見せないのを見て、内心の苛立ちを抑えながら彼についていくしかなかった。
黒のベントレー・ミュルザンヌが雪の帳を突き抜け、やがてあるプライベートの邸宅に入っていった。
タキシード姿の執事が恭しくドアを開ける。
邸宅のメインホールに足を踏み入れると、執事の案内で豪華な廊下を抜け、洗練された小さなバンケットルームへと導かれた。
バンケットルームの天井には巨大なバカラのシャンデリアが吊るされ、無数のプリズムが光を星屑のようにきらめかせていた。
シャンパンタワーの横のバーカウンターには、すでに三人の若い男性が座っており、グレーのベストを着たバーテンダーがカクテルを作っていた。
「健一、やっと来たな!」そのうちの一人が明るく声をかけてきた。
「あなたが佐藤さんですね?初めまして、お会いできて光栄です。」その男性は美咲に気づくと、親しげに微笑んだ。
「こんにちは、美咲です。」
「ようこそ。僕は田中陽太、健一の友人で、今夜のパーティーの主催者です。」
美咲はこの名前に覚えがあった。国内の田中不動産グループの次男だ。
他の二人も健一と親しいらしく、立ち上がって挨拶を交わした。健一が簡単に名前を紹介したが、聞いたことのない名前だった。だが、きっと国内有数の企業家の御曹司たちなのだろう。
「健一、ちょっといいか?」田中陽太が健一の肩に手を回し、二人で席を外した。美咲はバーカウンターに案内される。
「佐藤様、お飲み物はいかがなさいますか?」バーテンダーが丁寧に尋ねる。
「ジュースをお願いします。」美咲は英語で答えた。
そのとき、外からまた四人が入ってきた。二組の男女で、前のカップルは腕を組んでいて夫婦のようだ。後ろの男性はグレーのスーツを上品に着こなし、堂々とした雰囲気を漂わせている。その隣には白川夢乃がいた。
ブラックのイブニングドレスが夢乃のスタイルを美しく引き立て、シルバーグレーのミンクのショールとジュエリーが気品と色気を同時に感じさせる。
夢乃の視線が美咲に届いたとき、一瞬だけ驚きが浮かんだ。健一が美咲を連れて来るとは思っていなかったのだろう。しかし、すぐに意味深な笑みを浮かべた。
夢乃と一緒に入ってきた若い男性が美咲に気づき、微笑みながら近づいてきた。「佐藤さん、覚えていますか?」
美咲は見覚えはあるが、誰だったか思い出せない。
「竹内仁志です。健一との結婚式にも出席しましたが、覚えていますか?」
美咲にはまったく記憶がなかった。結婚式当日は健一のことしか頭になかったからだ。
美咲はにこりと微笑んだ。
「竹内さん、こんばんは。」
「美咲さん、また会えましたね。」夢乃も声をかけてきた。
美咲はグラスを持ち上げてジュースを口にし、何も返さなかった。夢乃の笑顔がややぎこちなくなり、ちらりと健一の方を伺う。
今夜、健一が一人で来ると思っていた夢乃にとって、美咲が同行したことは予定外だった。気分が少し沈んだ様子だ。
美咲は到着して間もなく、すでに帰りたくなっていた。この人たちの親しげなやり取りからして、彼らはいつも集まっているグループなのだろう。
健一が自分を連れてきたのは、何のためなのか?
自分を恥をかかせたいのか、それとも健一と夢乃の親密さを見せつけたいのか?
そのとき、執事がまた数人の客を案内してきた。美咲は思わず顔を上げ、そこに見覚えのある顔を見つけて驚きと喜びがこみ上げた。
森川省吾――アメリカの医療界で天才と称される、自分の先輩だ。
森川はシンプルな黒のビジネススーツを着こなし、すらりとした体格にシルバーのメガネが知的な雰囲気を醸し出している。隣の中年男性と話していたが、ふと何かに気付いてこちらを見た。
そして、宴会場の中で自分を見つめている美咲に気づくと、驚きと喜びが入り混じった表情になった。同伴者に小声で何か告げ、メガネを押し上げて美咲の元へ向かう。
美咲は笑顔で迎えた。
「美咲」
「森川さん」
美咲は内心の興奮を隠しきれなかった。
「まさかここでお会いできるなんて。」
「本当にね。君がいるなんて思わなかった。」
森川は微笑みながら美咲を見つめた。最後に会ってからもう半年は経っている。
健一と田中陽太も話を終えてこちらへ歩いてきた。見知らぬ男と妻が楽しそうに話している様子に、健一はほんの一瞬だけ眉をひそめた。
そのとき、白い腕が健一の腕に絡みついた。夢乃が色っぽく彼の前に立ちはだかる。「さっき、どうして電話に出てくれなかったの?」
健一は表情を崩さず腕をそっと引き抜いた。
「あとで話そう。」
夢乃もすぐに表情を切り替え、美咲と話している男性――彼女にとっては見慣れない顔――に目を向けた。
彼は誰?
なぜ美咲とあんなに親しそうなのんだ?
今夜ここに集まっているのはそれぞれの分野で一流の人たちばかり。
長年国内にいたただの主婦のはずの美咲が、こんな素晴らしい男性と知り合いだったとは――。