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第一章 夢幻の如く

第1話 目覚め




「んがっ!?」



 最初に感じたのは『カコーン!』という額上で響いた甲高い音だった。

 直後、頭が勝手に後方へ跳ね、その勢いのままに倒れて、背中を強打する。


 高校の三年間、冬季間の体育で嫌々ながらも柔道を学んでいなかったら実にヤバかった。

 身体が勝手に反応して、痛みを骨まで滲みさせて覚えた受け身を取ったが、それが無かったら後頭部をモロに打ち、意識を脳震盪で失っていたかも知れない勢いだった。



「と、と、と、殿ぉ~~っ!?

 お、お、お怪我はっ!? だ、だ、大事は有りませぬかっ!?」



 何やら時代劇めいた言葉を叫び、駆け寄ってくる中年の男性。

 上半身を起き上がらせて、星がチカチカと瞬く視界を晴らす為に頭を左右に素早く振り、中年男性が差し出してきた右手を借りて立ち上がると、全身にズシリとした重さを感じた。



「えっ!? ……何だ、これ?」



 思わず我が身を見下ろして、目をパチパチと瞬き。

 刀を左腰脇に差して、赤い陣羽織を当世具足の鎧の上に羽織る姿は、誰がどう見ても戦国乱世の武者。

 もしやと思い、頭を両手で探ってみれば、やはり兜まで被っている。今さっき頭を振った時に感じた妙な重さはこれかと納得する。


 だが、何故にこんな姿でいるのかがさっぱり解らず、頭の中が混乱で一杯になる。

 俺はコスプレに理解は持っていても、その趣味は持っていない。戦国乱世の武者姿に着替えた憶えも無い。


 第一、コスプレ品にしては気品があった。

 例えるなら、着込むどころか、触れるのすら許されず、ガラス越しにしか見る事を許されない博物館の逸品。

 素人目にも細部の一つ一つに至るまで妥協を決して許さない職人魂を感じるし、立ち上がった時から両肩に食い込んで感じる重さからしても、その素材はダンボールやプラスチックでは決してない。


 昨夜は午後10時頃に連泊中のビジネスホテルへ帰還。

 シャワーを浴びるだけの早風呂を済ませると、500ミリリットルのストロングな酒を二本空けて、三本目を飲みかけたところから記憶が無い。


 しかし、ここはビジネスホテルの一室でもなければ、出張先の札幌でもない。

 昨夜の札幌は雪が降り積もっていたが、ここは雪のゆの字すら見当たらず、山々は紅と緑に染まって暖かい。


 いつの間にか、見知らぬ野外で戦国乱世の武者姿。

 この二つだけでお腹が一杯にも関わらず、周囲を見渡してみると、目の前の中年男性を始めとする全員が揃いも揃って戦国乱世の武者姿である。


 俺は俳優では無い。営業サラリーマンだ。

 何者かが俺を驚かせようと企んだサプライズパーティーにしては手が込み過ぎているし、費用がかかり過ぎていた。



「あれは徳川の鉄砲隊!

 おおかた内府様が内応の約束を果たさぬ我らにお怒りなのでしょう!

 最早、この上は迷っている暇など御座いません! 今すぐ、ご決断を!」



 その上、何かに恐れ慄く中年男性が唾を飛ばしてまで意味不明に訴えてくるからますます解らない。

 唯一の救いを挙げるなら、その顔に見覚えがあった。実家の真向かいに住んでいる稲葉のおっさんである。


 だからこそ、尚更に混乱は深まるばかり。

 稲葉のおっさんは俺の父親と同い年で親友の間柄だが、俺自身とは顔を合わせたら世間話を軽く交わす程度の仲に過ぎない。

 譬え、今の状況が俺を驚かせるサプライズパーティーだとしても、それに参加するほど縁は深くないし、稲葉のおっさんはこうも乗りが良い性格でもない。



「ないふ? とくがわ?」



 たまらず救いを求めて、改めて周囲をキョロキョロと見渡す。

 顔を振り向ける角度を徐々に広げて、一回、二回、三回と振り、四回目。それを見つけた。


 澄み渡った青空の下、俺を中心に左右、後ろの三方に張られた天幕。

 その穏やかな風を受けて波打つ白地の中央に家紋『丸に違い鎌』が描かれているのを見つけた。



「えっ!? えっ!? えっ!?」



 俺はそれを知っていた。

 鎌には農具としての五穀豊穣、武器として戦勝の二つの願いが込められた家紋を知りすぎるほどに知っていた。


 それは戦国時代末期の大名『小早川秀秋』が用いたもの。

 天下分け目の決戦『関ヶ原の戦い』の最中に属していた西軍を裏切り、戦国乱世に終止符を打って天下泰平の世を創った徳川家康が総大将を務める東軍の勝利を決定付けた存在でありながら、その功績を讃える者は一人も居らず、現代の至っても卑怯者、不忠者と忌み嫌われている家紋だ。


 慌てて視線を遠くに見上げてみれば、立てられた数多の旗指し物にも『丸に違い鎌』が描かれている。

 次に正面へ恐る恐る振り向き直ってみれば、豆粒より小さな数万の人達が眼下の狭い盆地で蠢き、ここ遠く離れた地まで雄叫びを絶え間なく轟かせていた。


 それ等を認識した瞬間、すぐに理解した。

 稲葉のおっさんの訴えに加えて、条件がここまで整っていたら理解せざるを得なかった。



「ははーん……。さては夢だな?」

「殿! 夢などでは御座いませぬ! さあ、ご決断を!」

「解ってる、解ってるって」

「ではっ!?」



 そう、俺は夢の中で『小早川秀秋』を演じていると。

 今現在、関ヶ原の戦いの真っ最中。小早川秀秋が属する西軍を裏切る契機となった後世の創作とされる徳川家康による『問い鉄砲』の直後だと。


 なにしろ、今の状況はあまりにも都合が良かった。

 俺にとって、夢に描いた光景とは正にこの事だった。


 落ち着きを取り戻して、周囲を良く観察してみると、知り合いは稲葉のおっさんだけではない。

 親戚の叔父だったり、数ヶ月前の同級会で再会した高校の頃の友人だったりと周囲の者達の中に見覚えがある者が幾人か居る。

 ついでに言えば、奇しくも小早川秀秋の重臣に『稲葉』の姓を持つ者が居た筈と思い出す。


 だったら、やる事はただ一つ。このチャンスを逃す理由は無い。

 もしも、自分がこの瞬間の小早川秀秋だったらと幾度も幾度も考えた『格好良い小早川秀秋』を演じるだけ。



「俺の槍と馬を!」

「殿?」

「これより全軍で山を駆け下り、敵を一気に攻める!」

「殿! その敵とはいずれの事で?」

「知れた事! 撃って良いのは撃たれる覚悟がある奴だけだ!

 我が敵は内府、徳川家康! 豊臣の興廃、この一戦に有り! 全軍、我に続けぇぃっ!」



 呼び声に応えて、すぐさま用意された馬にヒラリと乗り、恭しく差し出された槍を右手に握ると、その穂先で眼下の徳川家康が居るだろう場所を勢い良く突き出し指した。




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